千利休プロデュースの黒茶碗 | 藤田美術館 | FUJITA MUSEUM

2022年4月 リニューアルオープン(予定)

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INTRODUCTORY SELECTION

入門50選_28 | 黒樂茶碗 銘 まこも

千利休プロデュースの黒茶碗

前野学芸員がやさしくアートを解説します。

 

黒樂茶碗 銘 まこも(くろらくちゃわん まこも)
 

 

―樂茶碗とは何ですか?

京都の樂家によって作られた抹茶を飲むための茶碗のことです。

赤色の茶碗と黒色の茶碗が基本になります。

 

―それは特別なものなのですか?

茶の湯専用の茶碗は樂茶碗以前にはありませんでした。

千利休(1522~1591)が完成させた茶の湯で用いるために作らせたものです。

利休は専門の職人に命じて、この茶碗をはじめ、茶の湯にふさわしい道具を生み出しました。

 

―樂茶碗が作られる以前はどんな茶碗を使っていたのですか?

お茶を飲む習慣は、鎌倉時代に禅宗とともに中国から入ってきました。

茶碗も中国から輸入された唐物といわれる、天目や青磁の碗が使われました。

戦国時代に村田珠光(むらたじゅこう)や武野紹鴎(たけのじょうおう)が始めた茶の湯では、唐物や名物といった高価な道具でなくても茶の湯に使えるようになりました。

茶碗は天目などに代わって朝鮮半島で焼かれた高麗(こうらい)茶碗が使われるようになりました。ただ、高麗茶碗は抹茶を点てるために作られた訳ではありませんでした。利休は抹茶を飲むための茶碗を作らせたのです。

 

―樂家とは?

長次郎(?〜1589)を祖とする家で、現在も樂茶碗を作っています。

千家十職(せんけじっしょく)のひとつです。

樂家は中国の華南三彩という焼物の技術を持つ人物が祖であると考えられています。

 

―千家十職とは?

千家流(表千家、裏千家、武者小路千家など)の茶道具を作る職家(しょっか)と呼ばれる十の家のことです。

 

―他にどんな家があるのですか?

表具師、竹細工・柄杓師、帛紗(ふくさ)や仕覆などを作る袋師、土風炉・焼物師、釜師、棗や香合などを作る一閑張(いっかんばり)細工師、塗師、建水や水指などの金物を作る金物師、茶箱、棚などを作る指物師があります。

 

―この茶碗は誰がいつ作ったものですか?

初代長次郎が作りました。作られた正確な年はわかりませんが、1500年代中頃以降と思われます。

長次郎は瓦職人と言われますが、千利休と出会い、利休の意に沿う抹茶のための茶碗を創造しました。

長次郎の父は阿米也(あめや)という名で、中国より渡来した陶工と考えられています。

 

―長次郎以前にも黒い色の茶碗はあったのですか?

長次郎より前の黒い茶碗は天目でしたが、マットな感じの黒色のものはありません。

緑色の抹茶がきれいに見えるように、作らせたとも言われています。

 

―黒樂茶碗と赤樂茶碗はどのように作られるのでしょう?

ろくろを使わずに手捏(てづく)ねで成形します。

黒樂茶碗は加茂川黒石から作られた釉をかけ、1000℃程度で焼き、釉薬が溶けたところを見計らって窯から引き出し、急冷することで黒くなります。黒は窯に1つずつ入れて焼きます。

赤樂茶碗は、透明の釉薬をかけて800℃程度で焼きます。

技法的には赤の方が先にできたと言われています。

 

―「樂」の印が押されていると聞いたことがあります。これにもありますか?

この茶碗にはありません。

「樂」の印は豊臣秀吉より与えられたもので、以後、樂姓を名乗ったようです。

印は時の権力者のお墨付きとも言えます。

長次郎と工房を共にした、長次郎の妻の祖父、田中宗慶のものには印の押された茶碗があり、長次郎の茶碗と区別されているようです。ただ、すべての茶碗に押されているわけではなく、無印のものもあると考えられています。

 

―長次郎作の黒茶碗はどれくらいあるのですか?

長次郎が自分で作ったもの、田中宗慶ら同時代に工房で働いていた人たちの作ったものなどがあり、長次郎焼か長次郎作か厳密にはわかりません。長次郎と伝わる茶碗はかなり数があります。

 

―銘とは何ですか?

銘は茶碗などの器物につけられた名前で、ニックネームのようなものです。

物の姿形から連想されたり、由来や所有者などにちなんでつけられます。

楽器、お香などに付けられる銘は平安時代より例があります。

銘があると、数多くある黒樂茶碗のうち、どの茶碗かを確定することができます。

 

―この茶碗は「まこも」という銘ですね。「まこも」とは何ですか?

マコモはイネ科の植物です。現在はマコモダケという名で、野菜として売られています。

古くから日本にあり、鏡開きなどに使われる日本酒の菰樽(こもだる)もマコモを編んだものです。万葉集にも歌われる植物です。

 

―なぜ「まこも」の銘が付いたのですか?

茶碗の箱の蓋裏に

「あやめ まこも二ツの茶碗 まこもハ千宗旦所持 あやめハ千宗守ニ有之・・・」

とあり、「あやめ」「まこも」の2つの茶碗があったことがわかります。

伝えによると、長次郎の作った「あやめ」という黒樂茶碗に似ているが、より侘びているため「まこも」と名付けたそうです。

まこも、あやめはどちらも水の中で生育する植物でよく似ているそうです。

「あやめ」は現在、MOA美術館にあります。

 

―誰が銘をつけたのですか?

利休の孫、千宗旦(1578〜1658)です。

宗旦は3人の息子を紀州徳川家、加賀前田家、讃岐松平家に茶道指南として仕官させました。また、それぞれが表千家、裏千家、武者小路千家をおこし、現在も続く三千家の基礎が築かれました。

一番内側の箱の蓋表に「まこも」とあり、蓋の裏に千宗旦のサイン(花押 かおう)があります。

 

 

内箱蓋表

 

―黒樂茶碗はどれも同じように見えますが、違いは何ですか?

形や釉薬の違いがあります。樂家歴代でもそれぞれ異なっています。

「まこも」は筒形と呼ばれる素直な形をしています。

外側の黒は艶があり、真っ黒ではなく黄味がかった色や赤味のある色が見え隠れしています。

見込と言われる内側は深く、外側とは違い褐色で艶のない、のっぺりした表情になっています。長次郎の他の茶碗にも見られる独特の風合いです。

高台には、漆を使って修理した跡が見られます。

茶碗は意外に厚みがあります。特に口縁(こうえん)と呼ぶ口の触れる部分は厚みがあるのですが、口縁のすぐ下の部分のみ薄く作られています。

高台まで全て釉薬がかかっています。

 

―たくさん箱がありますが、なぜですか?

それぞれの箱に、その時の所有者が、茶碗がいつどこから来たかを記しています。

全部で5重の箱になっています。

最も古いものが、宗旦の花押がある箱。

次が、明暦3年(1657)の年記のある箱。

3番目が宝永4年(1707)の年記のある箱。

4番目が享保12年(1727)の年紀のある箱。

5番目はそれらを保護する箱です。

 

―箱に書かれている事柄から誰が持っていたか、分かるのですか?

明暦3年の箱に「まこも宗旦より中村宗哲に伝り宗哲より此の方へ参候也」と久須美疎安(くすみそあん 1636〜1728)が記しています。

久須美疎安は茶人で、宗旦晩年の弟子の1人です。

 

外箱蓋裏

 

宝永4年の箱に「利休所持」の言葉が現れ「久須美疎安より此方へ申請候 江原」とあります。江原は江原忠七のことで、銭屋と呼ばれていたようです。糸割符(いとわっぷ)商人ではないかと考えられています。

享保12年の箱に「京都江原忠七より此方え譲受る 矢倉氏」とあり、泉州岸和田の矢倉与一へ移りました。

以後、山下祐巴、道具屋勝兵衛(通称道勝)ののち、鴻池伊兵衛より藤田家へ入りました。

箱書や添状などから、細かく所有者の移動を追うことができます。

 

―一言でいうと?

なんの変哲もない真っ黒な茶碗ですが、よく見ると、赤や黄の色が見え隠れして、複雑な色に見えます。茶の湯のために作られた長次郎の黒い茶碗が現代まで様々に表情を変えながら作り続けられている、その原点になる茶碗のひとつです。

 

 

 

今回の作品:黒樂茶碗 銘 まこも(くろらくちゃわん まこも)  

時代 桃山時代 16世紀

作者 長次郎

手捏ねで成形された筒形に近い姿で、かせた(光沢を抑えた)見込みと艶のある側面が見所です。千宗旦が「まこも」、千宗守が「あやめ」と呼ばれる茶碗を所持したことが、久須美疎安の箱書から分かります。「あやめ」より侘びているところから宗旦が銘を付けました。

 

 

藤田美術館

明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。

 

前野絵里  

藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。

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