―これは何ですか?
『古今和歌集』の一部です。
装飾された紙に墨で『古今和歌集』が書写されています。
元々は上下2冊からなる粘葉装(でっちょうそう)の冊子本でした。
―元々は冊子だったのですね。
糊綴じ(粘帖装)の糊をはずし、さらに紙の表裏をはがし(相剥ぎ あいへぎ)2枚に分け、台紙に貼ったものです。
10枚ありますが連続性はなく、同じ冊子にあった別々のページが貼りつけられています。
―古今和歌集とはどんなものですか?
天皇の命令によって作られた最初の勅撰(ちょくせん)和歌集です。
平安時代の初めに醍醐(だいご)天皇の命によって、紀貫之(きのつらゆき)らが撰者として編集にあたりました。全20巻に1100首がおさめられています。
―紙の表と裏に和歌が書かれていたのですね?
筋の入った方が紙の表、網目が紙の裏になります。
装飾のある表と無地の裏の両方に和歌が書写されていました。
―筋切(すじぎれ)、通切(とおしぎれ)と呼ばれるのはなぜですか?
和歌を書いた紙につけられた呼び名です。
筋切は縦に線(筋)の入った紙、通切は網目のような跡が入っている紙を使っているものを指しています。
網目を「とおし」と呼ぶのは、紙をすく篩(ふるい)のことを「とおし」とも呼ぶためで、紙についた網目を篩の網とみたてて「通切」と呼ばれています。
―縦に筋が入った紙があったのですか?
本来の紙の向きを90度回転させて和歌を書写しています。今、縦に筋が入っていますが、本来は横向きに引かれた線で、行頭を揃えるためのガイドでした。
―作品の横に貼りつけられている短冊のようなものは何ですか?
鑑定や極(きわめ)といって、この書を誰が書いたかを江戸時代に鑑定したものです。書かれている「四条大納言」は藤原公任(きんとう)を指しています。
でも、藤原佐理(ふじわらのすけまさ 944−98)が書いたと考えられていたので、多くの場合、「藤原佐理筆」とされてきました。
―結局、誰が書いたのですか?
これは12世紀(平安時代後半)に書写されたものですが、筆者は他作品との比較検討より、推定で藤原定実(ふじわらのさだざね 12世紀初)とされています。
―藤原定実とはどんな人ですか?
能書家のひとりと言われています。
優美というよりも、シャープな印象のある文字を書きます。
―古今和歌集の写本は沢山あると思うのですが、古いものですか?
以前にご紹介した「高野切(こうやぎれ)」が現存最古の写本と言われています。豊臣秀吉が全20巻あったうちの一部を高野山に寄進したことからついた名前です。(第4回参照)
―冊子はいつ頃解体されたのですか?
いつかは分かりませんが、江戸時代のことと思われます。
藤田家に入った時には今の姿で、10枚が台紙に貼りつけられていました。
誰によって貼られたのかは分かっていません。
―なぜ台紙に貼ったのでしょう?
10枚手にしたのでまとめて鑑賞できるように、アルバムのように台紙に貼ったのではないでしょうか。
―10枚ということは、10首書かれているのですか?
1枚に4〜5首入っているものもあるので30首ほどあります。季節や内容はバラバラです。
―大きさはどれくらいですか?
縦21.5㎝、横13.6㎝です。
―一言でいうと?
記された文字よりも、使われている紙について語ることの多い作品です。紙の両面に文字が記されているものを、真ん中から剥いで2枚に分け、しかもそれぞれに名前を付けています。
今回の作品: 重要文化財 古今和歌集断簡 筋切(八葉) 通切(二葉)
(こきんわかしゅうだんかん すじぎれ とおしぎれ)
員数 1帖
時代 平安時代 12世紀
作者 藤原定実(推定)
紙を2つに折り糊綴した粘葉装の冊子2冊に書写した「古今和歌集」写本の断簡です。筋切と通切は1枚の紙の表と裏で、縦線のある筋切が表、布目のある通切が裏になります。伝承筆者は藤原佐理ですが、現在は筆跡より藤原定実と推定されています。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
前野絵里
藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。