INTRODUCTORY SELECTION

前野学芸員がやさしくアートを解説します。|入門50選_46 | 渓西広沢墨蹟 偈語

均整のとれた丁寧な字

 

渓西広沢墨跡 偈語(けいせいこうたくぼくせき げご)

 

 

―これは何ですか?
禅宗のお坊さんの書で墨蹟といいます。これは渓西広沢(けいせいこうたく)が記した書です。

 

―一般の人が書いたものと区別されているのですね。
そうですね。禅僧の書いた書を「墨蹟」、平安から鎌倉時代に書かれた日本の和歌などを記した書は「古筆」と呼んでいます。

 

―渓西広沢はどんなお坊さんですか?
禅宗のお坊さんで中国の人です。
詳しい来歴はわかっていませんが、南宋時代後半(13世紀)に活躍しました。
臨済宗松源派という流派に属し、仏日庵(江西省廬山 ろざん)に住しました。

 

―有名なお坊さんなのですか?
日本から留学した禅僧たちが訪ねるようなお坊さんでした。

 

―偈語(げご)というのは?
書かれている文章のスタイルです。
偈語というのは本来、仏の徳などをたたえる詩の形をした韻文(いんぶん)です。
この場合は、教えをうけた僧に対し、師から与えられた文章のことを指します。 

 

―書いてもらった人はどんな人ですか?
日本人の留学僧(禅僧)、白雲慧暁(はくうんえぎょう)です。1269年1月17日に書いてもらいました。
白雲慧暁は文永3(1266)年に39歳で宋へ渡り、中国滞在中に開悟、悟りを開きました。
弘安2(1279)年に日本に帰り、京都の東福寺4世になりました。

 

―何と書いてありますか?

書き起こすと、次の通りです。

 

卷舒出没自閑

閑一色明来早

自瞞勿謂無蹤

又無跡等閑遮

卻面前山

 日本暁上人以

 白雲為號佛日

 渓西〔広澤〕證以二

 十八字咸淳已巳

 上元後二日書

 

最初の5行が偈、その後の5行が、この墨蹟を書いた理由と署名、日付です。

咸淳は中国の年号、已巳は1926年、上元後二日は1月17日となります。

 

 

 

 

―どんな内容ですか?
白雲慧暁の人となりを白い雲に例えて褒め称える文章です。

 

―他にも渓西広沢の書はあるのですか?
この偈語以外には知られていません。

 

―ということは、唯一のものなのですね。文字はどのようなものですか?
線は細いのですが、力の抜けたところがなく、全体に右上がりの文字です。
おもに行書ですが、スピード感よりも丁寧さを感じます。均整のとれた几帳面な文字です。

 

―大きさは?
本紙のサイズで縦28.2横58.6㎝です。

 

―この書は白雲がもらった後、どうなったのですか?
白雲以降、どのような経緯をたどったか分かっていませんが、江戸時代初めに禅僧の江月宗玩(こうげつそうがん)がこの墨蹟を見ていることが、江月の記録から分かっています。
江月は大徳寺の禅僧で、小堀遠州などと親交がありました。

 

―一言でいうと?
全体に筆線は細いですが、非常に丁寧に筆を運んだ緊張感のある字形が見どころです。触ると切れるような感覚があります。

 

 

 

 

 

今回の作品:重要文化財 渓西広沢墨跡 偈語(けいせいこうたくぼくせき げご)

時代 南宋時代  1269年

禅僧渓西広沢が日本から禅を学ぶために留学していた白雲慧暁の人となりを雲に例えてたたえた偈(漢詩)です。白雲は帰国後に東福寺4世になりました。

 

 

 

藤田美術館

明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。

 

前野絵里  

藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。

INTRODUCTORY SELECTION