―これは何ですか?
中国で作られた漆芸品です。木でつくった素地の上に漆を何層にも塗り重ねて、それに彫刻をほどこしています。この技法を彫漆(ちょうしつ)といいます。
―いつごろ作られたものですか?
15~16世紀ぐらいです。中国では明時代にあたります。
―何だか印鑑ケースみたい…何に使われていたのですか?
中国ではどのような使い方をしていたかはわかりません。蓋つきの器であるため、おそらく何かの入れ物であったと考えられます。日本では茶席において香を入れる香合として使われていました。
―お香ですか…木でできてるので燃えてしまいそうですが?
これは火が着く前の香を入れるための器で、香を焚くときは香炉を使います。本来は、茶を点てる前に炉や風炉に炭をくべる「炭手前(すみでまえ)」の際に用います。炭手前を省略する時は、紙釜敷の上に置いて、床の間に飾って鑑賞します。
―細かい模様がたくさん彫られていますが、何をあらわしているのでしょうか?
池に蓮がたくさん咲いている様子を、壮年の男性が岸辺から眺めています。
この男性は、中国・北宋時代に実在した儒学者・周茂叔(しゅうもしゅく、1017-1073)といい、蓮をこよなく愛した人物として知られています。彼は「愛蓮説(あいれんせつ)」を著し、蓮を君子の花として讃えました。
―なぜ蓮を好きになったのしょうか?
周茂叔は「愛蓮説」において蓮が好きな理由を述べています。世の中の人々は牡丹を好んで褒めるが、自分は汚れた泥の中でも清らかな花を咲かせる蓮のほうが好きである、と。また、その清廉な佇まいを手に届かずとも遠くから眺めているのが良い、としています。この「愛蓮説」が有名になって、いつしか水辺で蓮を眺めている人物=周茂叔として認識されるようになり、中国の絵画や工芸品のモティーフとして定着しました。
―池の部分は赤いですね。蓮や人物は黒いのに、なぜ色が違うのでしょうか?
黒漆と朱漆が交互に塗り重ねられており、ここでは、池の部分は朱漆の層が見えるように、厚みを計算しながら彫っています。このように彫漆では、しばしば違う色漆(黒・朱・黄・緑)を交互に塗り重ねて、違う色の層を見せるように彫刻をほどこす高度な技術を駆使している作品が多くあります。ちなみに、これは黒漆の層が表面(一番上の面)に出ているので「堆黒(ついこく)」といいます。朱漆が表面の場合は「堆朱(ついしゅ)」となります。
〔参考作品画像:堆朱五花形楼閣山水図盆 明時代(15~16世紀)〕
―そうなると作るのはすごく大変そうですね…
お金も時間も相当かかったと思います。特に漆を彫る際は細心の注意を払って、丁寧に作業をしていたと想像できます。うっかり彫り間違えたら、漆の層をつくるところから全部やり直しになりますからね。
―どういう人が使っていたのですか?高価そうなので庶民は使えなさそう…
中国では誰が持っていたのか、具体的な伝来の詳細はわかりません。しかし日本に来てからは、このような中国製の質の高い工芸品や絵画は「唐物(からもの)」とよばれ、主に貴族、将軍や大名クラスの上流階級によって受容されてきました。その後茶の湯が広まると、茶道具としての唐物受容が高まり、茶席の格式を上げるアイテムとして好まれた傾向にあります。あるいは、その頃に台頭した有力な茶人や財力をもつ町衆などが所持したかもしれません。
―漆って、数百年経ってもこんなに鮮やかに色が残るのですね。
縄文時代の出土品に塗られた漆の色も鮮やかに残っているそうですよ。熱や湿度に強い性質から、塗料のほか防腐剤や接着剤としても古くから使われていた身近な素材だったのですね。このような不変性に加えて、漆の持つ独特な色合いや質感、光沢などが美術品として人々を魅了したのでしょう。
―ひとことで言うと?
蓮好き隠者の悠々自適ライフをあらわした超絶技巧の漆芸品。
〔今回の作品〕
作品名称:堆黒周茂叔一文字香合
法量:直径6.3cm 高3.1cm
員数:1合
中国・明時代につくられた堆黒の香合。蓋表には、黒漆で周茂叔と蓮、朱漆で池のモティーフを彫り表している。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
本多康子
藤田美術館学芸員。専門は絵巻と物語絵。美味しいお茶、コーヒー、お菓子が好き。最近買ったミュージアムグッズ:はにわのぬいぐるみキーホルダー