―これはいわゆる日本刀ですよね?いつ頃作られたのですか?
「小太刀 銘 國行(こだち めい くにゆき)」という作品で、鎌倉時代(13世紀)に作られました。現在、重要文化財に指定されています。
―そもそも刀とか太刀とかありますけど、どう違うのですか?
私たちが現在日本刀といっているものは、「太刀」「刀(打刀[うちがたな])」「脇差(わきざし)」「短刀(たんとう)」などの種類があります。太刀と刀(打刀)の一番の違いは、刃の反りの向きと大きさです。太刀は、刃の部分を下に向けて左腰に吊り下げて携行する[佩(は)く]のですが、「刀」は刃を上に腰帯に差して携行します。それから刃の長さは、太刀が2尺4~6寸(約72.7~78.8cm)程度であるのに対して、刀は2尺以上(約60.6cm)となります。
―これは「小」太刀なのでサイズが小さいということでしょうか?
はい。これは刃の長さが56.3cmで、このように2尺(60.6cm)未満の短い太刀のことを小太刀といいます。ちなみに3尺(90.9cm)以上の長い太刀は「大太刀(おおだち)」と呼ばれます。
―銘はどこにありますか?「國行」さんがこの太刀を作った人の名前ということ?
柄すなわち手で握るグリップ部分に収めているところを茎(なかご)と言います。そのお尻の部分に「國行」と刻まれています。
「國行」は、鎌倉時代(13世紀)に大和国(現奈良県)で活躍した刀工です。しかし生没年などの詳細はわからず、現存する作品も極めて少ないため、このように銘があるものはとても貴重です。
―鎌倉時代はたくさん刀工がいたのですか?
一般的な日本刀としてイメージされる刀身が弓なりに反った「湾刀(わんとう)」は、平安時代中期(10世紀)以降に作られはじめます。さらに鎌倉時代(12世紀~14世紀)になると、國行のように質の高い刀を作る優れた刀工たちが全国各地に綺羅星のごとく現れるようになります。特に当時の大和国(現奈良県)は、大和五派(やまとごは)と呼ばれる優れた名工を輩出した5つの勢力があり、それぞれ千手院(せんじゅいん)・手搔(てがい)・当麻(たいま)・尻懸(しっかけ)・保昌(ほうしょう)と流派を名乗っていました。國行は當麻寺(たいまでら)付近(奈良県葛城市)を本拠とする当麻派の祖とされ、この流派で初めて銘を入れました。
―刀剣ってそもそも鑑賞の仕方がわかりません…どんなところを見ればいいんですか?
そうなんですよ。刀剣の解説を読んでも、用語が呪文みたいでよくわからないですよね。
でもここではシンプルに2カ所のわかりやすい鑑賞ポイントを見ていきましょう。
まずは、刃文(はもん)。刀身の白っぽくもやがかかったような部分を指します。よく切れるように刃の部分だけを強化する「焼き入れ」をした際に、硬度が高くなったところを「焼刃(やきば)」と言い、そこにあらわれる文様が刃文です。焼き入れ方法によって文様は様々に異なるので、重要な見どころのひとつです。
―これは何となく見た目でわかりそう…どんな特徴があるんですか?
國行は、刃文が直線的にあらわれる「直刃(すぐは)」で、そこに不規則な小さな乱れがあります。さらに、刃文の中ほど下には「喰違(くちがい)」という特徴が見られます。ちょっとわかりにくいのですが、切先側からの線と茎側からの線が刃文の縁に沿って交差するように伸びているのがわかりますか?このように線が食い違うような文様のあらわれ方は、大和五派の刀工がつくる作品によく見られます。
―もう一つのポイントは?
地鉄(ぢがね)です。これは刃文より内側で、刃の部分と刃がない棟(むね)側を分けるように刀身全体に縦に入った筋(鎬筋、しのぎすじ)との間の部分にあらわれる文様を指します。ここに細かい縦の筋の文様がたくさん入っているのですが、木を真っすぐに縦に割った柾目(まさめ)に似ていることから「柾目肌(まさめはだ)」と呼びます。さらに「沸(にえ)」と呼ばれる細かい白い砂粒のような文様が地鉄全体に見えます。これは、高温で焼いてから水で急冷した時に、刀身の表面にキラキラ光る微粒子が現れたものです。
―え?正直よく見えないんですが…?
すみません、実は肉眼でも極めて見えづらい部分なのです。画像ではもはや判別は難しいかも…。
―ちなみにこの太刀は実際に使われたのでしょうか?
どうでしょうか…その可能性は低いと思います。武器として実戦で使うと、刃こぼれや曇りなどが出てしまうのですが、これにはそのような形跡が見られません。
―ひとことで言うと?
某オンラインゲームのキャラクターになって欲しい!鎌倉時代を代表する名工による一振。
〔今回の作品〕
作品名称:重文 小太刀 銘 國行
員数:1振(口)
鎌倉時代に活躍した大和五派のうち、当麻派の祖とされる國行によって作られた小太刀。茎に「國行」銘あり。刃文は直刃に不規則な小さな乱れが交じり、喰違が見られる。地鉄には柾目肌に地沸(じにえ)があらわれている。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
本多康子
藤田美術館学芸員。専門は絵巻と物語絵。美味しいお茶、コーヒー、お菓子が好き。最近買ったお気に入り:たぬきの置物(2匹目)、たぬきのトートバック