―これは何ですか。
空也上人(くうやしょうにん)という平安時代のお坊さんの像です。この像が出来たのは室町時代です。高さは96.7cmと小柄です。
―空也さんってどんな人?
お寺にこもって修行!というタイプのお坊さんが主流だった当時において非常に珍しい人でした。市中に入って、庶民に「南無阿弥陀仏」の念仏を勧めていたんです。念仏を唱えながら全国を行脚したと言われます。
―そういえば歴史の教科書でこの像を見たことがあります!
教科書には、これとは違う空也上人像がよく掲載されていますね。実は全国に複数残っている像です。
―教科書に載っている像と同じようにみえるような…違うところがある?
手に持っている杖、首から下げた鉦鼓(しょうこ)、鉦鼓を打ち鳴らすための撞木(しゅもく)、草鞋(わらじ)、口から出た仏などは共通しています。細部のつくり、例えば表情や筋肉の表現などは異なっているところもあります。よく見ると、当館の像の口から出た仏は、雲に乗っています。これも違うところですね。
―口から仏!これは一体?
空也が唱えた「南無阿弥陀仏」の一字一字がそのまま仏になったという伝説を表現していると言われます。
―南無阿弥陀仏ってことは、浄土宗?浄土真宗?と関係あるんですか?
確かに、浄土宗も浄土真宗も南無阿弥陀仏を唱えますね。お墓に刻まれていることもあります。でも、この2つの宗派が出来ていくのは鎌倉時代以降で、空也が亡くなった後です。
―じゃあ空也を真似したんだ!
うーん、たぶん違うかな…空也は中国のお坊さんの善導(ぜんどう)という人を手本にしました。この人が南無阿弥陀仏を唱えること、民衆を救済することを説いています。浄土宗をつくった法然(ほうねん)も善導を手本にしました。2人ともお手本が同じなので、念仏を唱えることを重視したようです。
―善導ってすごいお坊さんですね。
そうなんです。ちなみに絵画に描かれた善導は、口から仏を出していることがあります。これも念仏が仏になったものです。藤田美術館には口から仏を出してはいませんが、善導の絵があります。

―善導も口から仏!じゃあ空也像のもとになった…?
そうかもしれません。ただ、現在見つかっている立体の像では口から仏を出しているのは空也だけですね。
―念仏が仏になるなんて、すごいお坊さんですね。
この空也像より古いものを見ると、仏が出ている支持具が口の中の穴に差し込んであることが分かるものもあります。穴が3つある空也像があり、仏が6体だったとは限りません。もちろん、2体×3箇所で6体だった可能性もありますが。ちなみに、口の両端から仏が3体ずつ出ている像もあります。
―なんだかおもしろい像です。
かなり興味深いところの多い像ですね。ちなみに当館の空也さんにはすね毛が生えています。見つけた時には思わずうれしくなりました。

―そんなところまで…どこからきた仏像なんですか?
最近の研究で奈良県の隔夜寺にある空也堂の本尊だったことがわかりました。いまもこのお寺はあります。明治時代に藤田傳三郎がこの仏像を購入したとお寺の記録にあります。
―お寺にあったのになぜ買えるんでしょうか。
先に時代背景をお話ししますね。当時、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく、仏教を廃止しようという運動)が全国で広がっていました。たくさんの有力寺院があった奈良もその例外ではありません。多数のお寺や仏像が破壊されていました。また、海外勢力が日本にやってきた時期でもあり、多数の文化財が不当に低い値段で海外に流出してしまっているという状態でした。
―なんと!そんなことがあったんですね。
そうなんです。そこで、当館のコレクションの礎を築いた藤田傳三郎や、三井物産を設立した実業家であり茶人・益田孝(ますだたかし、鈍翁の号でも知られる)らが流出や破壊から守るべく、私財を投じて仏像やお寺を後世に残そうとしました。
―では、その時にこの空也さんも購入したんですね。
その可能性があります。実は、藤田家にやってきた正確な経緯はわかりませんが、当時の状況を考えると、そうなんじゃないかな、と思います。
―歯切れが悪いですね(笑)
すみません。正確を期して話そうとするとどうしても断言できず…申し訳ない。
―傳三郎さんが買わなかったら無くなってたかもしれない像なんですね。
そうと言えるかもしれないです。当時既に海外にも知られていた貴重な仏像なんですけどね。
―海外に?明治時代にですか?
そうです。イギリス王室のコレクションに、この空也像の古写真があります。王子たちが明治時代に日本巡行に来た際、奈良で見たようです。それから、オーストリアの医師もこの像を奈良で見たようです。
―すごい!有名だったんですね
口から仏を出している衝撃的な見た目が印象に残ったんでしょう。私も初めて高校の日本史の授業で見たときには驚きました。なんて面白いんだろうって。
―ひとことでいうと?
空也像のうちの一体。最近の研究により奈良県・隔夜寺にあったことや、海外に知られていたことが判明した。魅力いっぱいの仏像。
今回の作品 空也上人像
員数 1躯
時代 室町時代(15~16世紀)
平安時代に活躍し、民衆へ念仏を広め「市聖(いちのひじり)」と呼ばれた空也の像で、奈良県・隔夜寺空也堂の本尊であった。明治時代に藤田傳三郎が購入し、以降藤田家・藤田美術館に伝わる。近年の研究により、イギリス王室やオーストリア人医師・アルブレヒト・フォン・ローレルが、奈良で本像を実見した際の古写真を所有していることが分かった。
國井星太
藤田美術館学芸員。きれいなものを見るのとおいしいものを食べる(飲む)のが好き。美術以外にも哲学、食文化、言語学…と興味の範囲は広め。専門は日本の文人文化。最近読んで面白かった本:藤田直哉『現代ネット=政治文化論』