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学芸員がやさしくアートを解説します|重文 阿字義

イラスト付き密教トリセツ

 

―この作品は何ですか?

平安時代(12世紀)に描かれた絵巻で、「阿字義(あじぎ)」と言います。密教における真理と実践について説いています。残念ながら作者はわかっていません。

 

―「阿字義」はどういう意味ですか?

「阿字義」とは、直訳すると〝「阿」という文「字」の「意味(義)」″となります。

〈阿〉という文字は、密教ではとても大切な文字です。この一文字の中に、宇宙のあらゆる物事や真理が詰まっており、この〈阿〉を心に念じたり思ったりすること(=阿字観〈あじかん〉)でその全てを体得できる、と考えられています。この文字がいかに大切かということを説明しています。

 

―どんな内容ですか?

この絵巻には、3つの章立て「阿字義(あじぎ)」「阿字功能(あじのくのう)」「浄三業真言(じょうさんごうしんごん)」があり、1番最初の章をそのまま作品タイトルにしたようです。最初に、①〈阿〉という字の定義・意味について説き、次いで②〈阿〉を念じることで、どのような効能・効果があるのか、さらに③真言を唱えることで人間の身体・言葉・心の三つの働き(三業)が浄められ、悟りの境地に近づくことができる、という内容が説かれています。

 

―なんだか難しそう…「阿」を思うことで、具体的に何か効果があるのですか?

詞書によると、あらゆる煩悩や穢れ、世俗の垢を取り除き、心身を清浄にすると説いています。例えば、短命の人が毎日3回念ずれば寿命が延び、まさに今死にゆく人が甦る、などの効能があると言います。

 

直衣(のうし)姿の男性貴族

 

―絵に描かれた人たちは誰ですか?男の人は立派な衣装を着て高貴な感じですね。

男性が着ているのは直衣(のうし)と言って、貴族男性の一般的な装束です。鮮やかな群青色の菱形模様がとても綺麗ですよね。また、すごく描写に凝っているところが随所に見られます。群青色の上衣はシースルーになっていて、下の衣が透けて見えます。それから頭にかぶった冠をよく見てみると、額と髪の生え際が描かれており、生地の透け感が絶妙に表現されています。

 

尼姿の女性

―もう一人は頭を剃っているのでお坊さんでしょうか?

もう一人は、実は女性なのです。一見わかりにくいですが髪を剃っている尼僧です。心なしか顔も可愛らしく描かれています。また、身に着けている袈裟や衣に細やかな文様が描き込まれ、華やかであるのも特徴です。

 

―二人ともなんとなく顔が似てますね。

確かにそうですね。二人ともよく言えば平均顔、悪く言えば没個性的な顔という印象です。このタイプの顔は、「引目鉤鼻(ひきめかぎはな)」といって、この時代の人物画、特に高貴な立場の貴族・天皇の顔立ちを描くときに様式として用いられます。糸のように引かれた一本の細い墨線で目をあらわし、小ぶりの「く」の字を書いて鼻を表現しています。あとは、なんといってもふっくらとした下ぶくれの輪郭が特徴です。これぞ私たちが想像する「ザ・平安貴族」の顔ですよね。

 

―ちなみに二人とも前がはだけているのですが…当時のファッションとかですか?

いえいえ。どんなに暑くてもここまでは着崩すことはないと思います。実は、胸の前で彼らが抱えている丸い珠のようなものがポイントです。

 

胸にかかえているものは何ですか?不思議な記号が描かれていますが。

まずこの記号は「梵字(ぼんじ)」といって、古代インドで用いられていたサンスクリット語をあらわす文字です。仏教の発祥地である古代インドでは経典などもこの文字で書かれており、それが中国や日本にも伝わってきました。そして描かれている梵語は「阿」の字です。つまりこの絵は、〈阿〉を心に念じたり思ったり(観想)することをわかりやすく図解化しているのです。

 

―周りに円のようなものがあって、文字の下には蓮の花がありますね。

この円は「月輪(がちりん)」と言います。詞書では、初めて〈阿〉を念ずる時は、この月輪の中に蓮の花を描いてから「阿」字を書くとあります。それを具体的に実践してる様子でしょう。

 

文字から線のようなものが伸びています。これは何を意味しているのでしょうか?

文字から放射状に伸びている線は、光が辺りを照らしている様子をあらわしています。先ほどの詞書の続きで、もし「阿」を念じることに成功すれば、字から四方八方に光が放たれ、全身を包み込むとあります。今でもマンガの効果として描かれることがありますよね。

 

―よく見たら詞書にフリガナが…誰が読んだのでしょうか?

そうですね、たくさんフリガナが振られています。もしかしたらこの絵巻は女性や子供向けかも?文字ばかりだと疲れるので、絵を描いた可能性もありますね。いずれにしろ、仏教のことに詳しくない人でも分かり易く理解できるように懇切丁寧につくっています。全体的に豪華な作りで、金箔や銀箔をたくさん使って装飾しているので、時間もお金もかかったでしょうね。注文主は貴族階級の人かもしれません。

 

―現代でも一部のお寺で「阿字観」という儀式をやっているようですね。それと関係ありますか?

詳しいですね!まさにこの絵巻は阿字観のトリセツ的な用途があったと考えられます。これを一通り読めば、「阿」の基礎知識が理解でき、さらに具体的な実践まで行える、という便利なものです。

 

―ひと言で言うと?

平安時代のイラスト付き密教トリセツ~みんなで実践してみよう!編。

 

今回の作品:「重文 阿字義(あじぎ)」

員数 1巻

時代 平安時代(12世紀)

金銀で装飾された料紙を用いて、密教の根本を示す「阿」字の意義と阿字観(あじかん)の実践について詞書と絵画であらわした絵巻。引目鉤鼻で描かれた貴族男性と尼僧は、阿字観を修めることによって胸中の〈阿〉字から光が放たれる姿を具体的に絵画化している。作者は不明。

 

藤田美術館

明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。

 

本多康子

藤田美術館学芸員。専門は絵巻と物語絵。美味しいお茶、コーヒー、お菓子が好き。最近買ったお気に入り:たぬきの置物(信楽焼ではない)

 

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