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学芸員がやさしくアートを解説します|源氏絵

美しき小宇宙~源氏物語の世界~

 

第12帖 須磨

―これは何の絵ですか?

これは平安時代(11世紀)に紫式部が著した『源氏物語』を主題とした絵画です。「『源氏物語』を描いた絵画=源氏絵(げんじえ)」と言います。

 

―ということは平安時代ぐらいに描かれたのでしょうか?誰が描いた?

いいえ、これは江戸時代(17世紀)に描かれたものです。当時宮廷の絵画制作を統括していた土佐光起(とさみつおき、1617~1691)が作者と伝わっています。

『源氏物語』のオリジナルができたのは平安時代ですが、その後も時代を越えてたくさんの人々に愛読され、絵画や工芸といった様々な分野にも展開しました。江戸時代の人々も物語を読んで、このような絵の鑑賞を通して『源氏物語』を楽しんでいたのでしょう。

 

―何でできているのでしょうか?

厚地の料紙に絹を貼ってその上から岩絵具(顔料)で描いています。画帖(がじょう)といって、二つ折りにした厚地の料紙を、外側の折り目と反対側の端を糊代として縦に貼り繫いでいます。さらにその外側は、豪華な裂地を用いた表紙・裏表紙で装丁しています。つまり大型のアルバム形式です。

 

展示風景

 

―『源氏物語』は、そもそもなぜ「巻」ではなく「帖(じょう)」と数えるのですか?

「巻」は巻子(かんす)つまり巻物の数え方で、「帖(じょう)」は画帖(がじょう)や蛇腹(じゃばら)状の折本(おれほん)の数え方になります。詳細は不明ですが、おそらく、『源氏物語』が書写された際に折本のような形態で多く作られたので、「帖」として定着したのではないかと考えられています。

 

―名場面集みたいなものでしょうか?

はい、全部で8ページあり、それぞれに1場面(1帖)ずつ描かれています。「第1帖桐壺(きりつぼ)」、「第2帖帚木(ははきぎ)」「第12帖須磨(すま)」、「第13帖明石(あかし)」「第20帖朝顔(あさがお)」「第22帖玉鬘(たまかづら)」「第24帖胡蝶(こちょう)」「第54帖夢浮橋(ゆめのうきはし)」です。『源氏物語』は全部で54帖ありますが、その中からお気に入りの場面をいくつか選んで描かせたのだと思います。

 

第1帖桐壺
第2帖帚木
第13帖明石
第24帖胡蝶

 

―この場面はどんなことが描かれているんですか?

第12帖須磨

 

これは「第12帖須磨」の場面で、光源氏26~27歳頃の出来事が描かれています。

この頃の光源氏は、政治的に対立していた右大臣家の姫君である朧月夜(おぼろづくよ)との密会が露見し、謀反の疑いをかけられてしまいます。そのことがきっかけで都から離れ、須磨(現在の神戸市須磨区)へと退去することになります。親しい友人や家族もおらず、つらく寂しい日々を送っていた光源氏が、須磨の海を眺めながら、都を懐かしみ、恋しく想っている場面です。臥せって物思いにふける光源氏の背中からは何とも言えない哀愁が漂っています。

 

―なるほど、これは須磨の風景なんですね!ちなみになぜ須磨だとわかるのでしょうか?

藻塩焼きと汐汲み

光源氏の視線の先にある海辺を見てください。ここに小屋のようなものと何かの道具が描かれていますね。

これは藻塩(もしお)づくりで使われる汐汲(しおく)み桶と、藻塩を焼くための小屋なのです。須磨は古代から藻塩づくりが盛んな土地で、歌枕にも詠まれているほど有名でした。ただ海を描くだけでは、それがどこの海なのか特定できません。このような藻塩焼きの小屋と汐汲み桶のモティーフを加えることによって、絵を見ている人が「あ、これは須磨なんだ!」とわかるようになっています。

 

 

―藻塩!唐揚げにつけて食べるのが大好きです。

旨味があっておいしいですよね。藻塩は、海水を含んだ海藻を乾燥させてから焼いて灰にした後、さらにそれを海水に溶かし、上澄み部分を釜で煮詰めて結晶化させて塩を作ります。ミネラルが豊富なので、当時の人々とっては貴重な栄養源だったのでしょう。

 

―基本的には、絵と文章はそれぞれに対応しているのですか?

詞書
月と千鳥

絵の隣には、必ず『源氏物語』の本文あるいは和歌からの抜粋があり、描かれた場面(帖)に対応する文章が書かれています。ここでは、夜が更けてもなかなか寝付けずにいる光源氏が、月を眺めたり、海辺で鳴く千鳥たちの声を聴いたりしながら、独り言めいた和歌を口ずさんでいる様子がありありと浮かんでくるようです。さりげなく描かれたぼんやり輝く月や浜千鳥もいっそう抒情的な雰囲気を伝えています。

 

―全体的に金がキラキラとして綺麗ですね。すごい豪華!

そうなんです、実は一番注目していただきたいポイントです!とにかくこの絵にはたくさんの金が使われており、さらに非常に緻密で美麗な描写が際立っています。画面によく出てくる雲は、金箔を色々な形に切ったものや粉状にしたものを貼り付けています。角度を変えてみるときらきら輝いて見えます。その他にも、装束の細かい文様や、御簾の一本一本にいたっても、あらゆるところに惜しげもなく金を使っています。お金かかったでしょうね(笑)

 

 

―それに細かいところまですごく丁寧に描き込まれていて、思わず見入ってしまいます。

小さい画面の中に、人物や調度品、植物などがたくさん描き込まれていて、見ていて飽きないですよね。まさに豪華なミニアチュール(細密画)です。作者とされる土佐光起は屏風、掛軸、絵巻など多くの作品を手掛けたのですが、中でも金をふんだんに使った豪華かつ緻密な描写の源氏絵をたくさん描いています。

 

―土佐光起は画家なのですか?

冒頭で少しご紹介した通り、土佐光起は、江戸時代における宮廷の絵画制作部門のトップを務めたエリート絵師で、やまと絵を専門としていました。中国絵画や他の流派の絵画も積極的に取り入れて、あらゆる絵画技法を駆使したといわれています。

 

―彼が個人的に描きたいと思って描いたのですか?それとも注文を受けて?

当時の絵画は、まず注文主から依頼を受けてから描くいわゆるオートクチュールスタイルで制作されます。この豪華さですから、おそらく注文主はとても財力があり、かつ宮廷お抱え絵師に依頼できるほどの地位にあった、ということではないでしょうか。

 

―ちなみにやまと絵って何ですか?

説明するのは難しいですね…。「やまと絵」とは平安時代頃からある絵画様式です。当時外国(中国)からもたらされた絵画、中国の主題を描いた絵画、中国スタイルで描かれた絵画のことを「唐絵(からえ)」とか「漢画(かんが)」などと呼んでいました。そのような「外国風(中国風)」絵画の対概念として「やまと絵」があり、日本古来の主題(四季、花鳥、物語)かつ繊細優美な表現を追求した絵画のことを指していました。まさにこの『源氏物語』の絵画は、やまと絵の真骨頂といえるでしょう。

そしてこの「やまと絵」を専門的に学んだ職業画家の流派が土佐派(とさは)です。彼らは宮廷に仕える絵師として活躍し、とりわけ『源氏物語』を主題とした絵画は、彼らが最も得意としたジャンルのひとつでした。

 

―日本画とは違うのでしょうか?

「日本画」という概念ができたのは明治時代以降です。当時外国文化とともに入ってきた「西洋絵画」とジャンルを明確に区別するためにできた言葉になります。近代になると、日本美術をとりまく制度や考え方も大きく変容しますが(「美術」という概念も西洋からもたらされました)、常に「外国」を意識しながら「日本」らしさを模索してきた点は共通しているといえるでしょう。

 

―ひと言でいえば?

江戸時代に作られた、超美麗豪華源氏絵。

 

今回の作品:「源氏絵(げんじえ)」

員数 1冊

時代 江戸時代(17世紀)

作者 伝 土佐光起

『源氏物語』のうち8帖を選択して、各頁に1帖ごとの場面とそれに相応する詞書や和歌を色紙形や短冊形に配した画帖。金泥や金箔、顔料をふんだんに用いて、人形のような愛らしい人物表現と緻密に描き込まれた景物が見どころ。

 

藤田美術館

明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。

 

本多康子

藤田美術館学芸員。専門は絵巻と物語絵。美味しいお茶、コーヒー、お菓子が好き。最近買ったお気に入り:たぬきの置物(信楽焼ではない)

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