―これは何ですか?
お経です。
お経を写本したものです。
―どんなお経ですか?
大般若経という全600巻で一組のお経です。経典の中でも最大です。
般若、仏教の智慧(ちえ)についてのお経で「大般若波羅密多経(だいはんにゃはらみたきょう)」といいます。短く「大般若経」と呼ばれます。インドで成立した古い大乗仏教の経典です。
―どんなストーリーですか?
ひとつのお経ではなく、智慧についての色々なお経がセットになっています。
般若はサンスクリット語のプラジュニャー、パーリー語パンニャの音写です。
―波羅密多とは?
般若と同じで、サンスクリット語の音写です。
もともとは「完成した、到達した」いう意味だったようですが、仏教では理想世界である彼岸に到達するという意味のようです。
また、仏になるために菩薩が修行する六波羅密は、1布施(ふせ)(与える)、2持戒(じかい)(戒律を守る)、3忍辱(にんにく)(耐え忍ぶ)、4精進(しょうじん)(努力修行)、5禅定(ぜんじょう)(精神集注)、6智慧(ちえ)(般若ともいう)です。
―玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が書いたものですか?
唐の時代の僧、玄奘三蔵がインドより持ち帰ったサンスクリット語の経典を660年から4年間かけて漢訳したものです。それを写したものが中国よりもたらされ、奈良時代に書写しました。
―写経は日本人が行ったのですか?書いた人がわかるのですか?
この経典は別名を「魚養経(ぎょようきょう)」といいます。伝承として朝野魚養(あさののなかい)という人が書いたとされるからです。
実際は官営の写経所で770年から2年をかけて作られました。巻末に写経にかかわった人の名前が記されているものもあります。
―写経所というものがあったのですね。
奈良時代に仏教経典全般の書写を目的に設置されました。写経所では誰が書いても変わらないような一定の基準の文字を書けなければならず、文字を間違えると給料が引かれたりもしました。紙を用意する部門、校閲、チェックする部門という分業制で多くの人が働いていました。
―写経はどれだけオリジナルに近いかなどの基準はあるのですか?
本文を一字一句間違えずに写していれば、その時代の文字や紙を使って構いません。
小説のハードカバーか文庫本かのようなもので、中身が重要です。
―もとはどこにあったものですか?
奈良の薬師寺にありました。
巻頭に「薬師寺印」、第1紙目(1枚目)の裏面に「薬師寺金堂」の印が押されています。
薬師寺には600巻のうちの一部が残り、大部分が薬師寺より流出しました。そのうちの387巻が大正5年に藤田平太郎の手に渡りました。
―薬師寺にも残っているのですか?
はい残っています。部分的に残っているものも含めて48巻あるようです。
―薬師寺では使われていたのでしょうか?
長い歴史の中で数回修理されているので、使われていたのではないかと思われます。
―ところで、何でできていますか?
紙に墨で記しています。
巻子(巻物)形式です。紙を糊で貼り合わせて繋ぎ、軸木を芯に巻いた巻子になっています。最後は紐を巻いて閉じます。
―大きさは?
縦27.3㎝で、長さはお経によって変わりますが10mぐらいになります。
―紙の色は元々のものですか?
虫除けのために染めてある紙が使われています。
―大般若経はすべてこの形なのですか?
いろいろな時代に書写されており、今では印刷もあります。
古いものでは巻子の他に折本があります。
―387巻あるそうですが、どれくらいのボリュームですか?
昭和時代に1度修理しており、10巻ずつ入るサイズの引き出しに入っています。387巻を納めるには39の引き出しが必要になります。
―もともとは箱に入っていたのですか?
100巻一箱の葛籠のようなものに入っていました。
―一言でいうと?
奈良時代の写経独特のバランスをもった文字で記されています。
一字一字がきっちりした形をもち、巻末まで乱れなく一定の調子で記されているところが見どころのひとつです。
今回の作品: 国宝 大般若経(薬師寺経) だいはんにゃきょう(やくしじきょう)
員数 387巻
時代 奈良時代 8世紀
薬師寺にあった奈良時代の大般若経600巻の内の387巻を所蔵し、一括で国宝に指定されています。朝野魚養が書写したとの伝承から「魚養経」とも呼ばれ、奈良時代後半を代表する写経として知られています。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
前野絵里
藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。