―これは何ですか?
棗(なつめ)という茶道具で、抹茶(基本的に薄茶)を入れる容器です。
客の前で茶を点(た)てる時に、これに入れて茶席へ持ち出します。
―何でできていますか?
中は木製で上から黒漆を塗っています。
作られてから時間がたち(約400年)、黒漆が濃い臙脂色のように変化しました。
―誰が作ったものですか?
作者は分かりません。
古くは生没年不詳の塗師、羽田五郎が作ったものと伝わっていました。
羽田五郎は室町時代末頃の人といわれています。
―町棗は棗の種類ですか?
作者不詳の大雑把なもの、粗末なもの、といった意味合いです。
―どのようなところが?
漆の塗り方、作り方と言われています。
茶の湯の世界ではこのような粗末さに侘びや茶味を見出しました。
―利休の名が付いているのはなぜですか?利休が作ったものですか?
利休が特別に作らせたものではなく、町で見つけて手に入れ、気に入って使っていた棗と伝わるためです。
―他の棗(中棗)とは何が違うのですか?
手に取ると、重さを感じます。
木地を挽いて作る際に、底や蓋に厚みを残しています。
内側の底は曲面ではなく平になっています。
―銘の「再来」に意味があるのですか?
銘はニックネームのようなもので、所有者の名前や、そのものの姿から連想、または作品にかかわる由来から付けられます。
この棗は利休が亡くなった後に行方不明となり、利休の孫である宗旦の息子のひとり、裏千家4代の仙叟宗室(せんそうそうしつ)の時代に千家に戻ってきたことから、「再来」の銘が付けられたようです。
裏千家6代の泰叟宗室(たいそうそうしつ)の時代に茶人坂本周斎に譲り、さらに周斎は堀内仙鶴に譲っています。
―箱にいろいろ書いてあるのは何ですか?
棗を納める一番内側の箱にいろいろと書いてあります。
箱の蓋は仙叟宗室、箱の身側面は泰叟宗室と坂本宗斎、そして箱の底裏は堀内仙鶴です。
―袋がついていますが、これは何ですか?
仕覆(しふく)という棗を納める袋で、茶の湯の点前で用います。
この棗には3種類の仕覆があります。
―3種類の仕覆とは?
ひとつは、秀吉から拝領した裂(きれ)で作られています。
あとの2つは、利休緞子(どんす)と相良間道(さがらかんとう)です。
いつごろ仕覆が3つになったか、わかっていません。
―秀吉からもらった裂ということですか?
箱の蓋裏に「袋切秀吉公 御腰物袋之切」と記されています。
仕覆のうちのひとつが、秀吉の腰物の袋の裂を拝領し、利休の妻である宗恩が仕覆に仕立てたと伝わります。よく見ると変わった位置に縫い目があります。
―一言でいうと?
中棗といわれる棗に見えますが、手に取り蓋を開けてみると、まったく様子が異なっています。箱の側面や底にも書き付けられているなど、伝来が面白く、棗そのもの以外の楽しみもあります。
今回の作品:利休黒町棗 銘 再来(りきゅうくろまちなつめ さいらい)
時代 桃山時代 16世紀
利休道具として残された長持3棹の中に入っていましたが、千家を離れ行方が分からなくなりました。その後、再び千家に戻ったことから、利休の曾孫にあたる裏千家4代仙叟宗室が「再来」の銘を付けました。均整の取れた形や枯れた趣が非常に魅力的です。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
前野絵里
藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。