―これは何ですか?ぎっしり文字が書かれていますね。
了庵桂悟という禅僧の記した墨蹟です。
漢詩は1句が5字のものと7字のものがあり、それぞれ五言、七言といいます。
この漢詩は、本文の文字数を7で割ることが出来ますので、長文ですが七言詩です。
現在は「雪舟自画像」(第13回)と一緒に伝えられています。
―墨蹟って何ですか?
墨で書いた字のことですが、特に禅僧の書いたものを指します。
―大きさはどれくらいですか?
縦62.4㎝×横22.3㎝です。
紙に書かれています。紙の左右は多少切り詰められているようです。
―了庵桂悟は何をした人ですか?
室町時代の禅僧です。
1425年に伊勢で生まれ、京都の南禅寺、東福寺などに住しました。
87歳(1511年)で遣明使の正使に任命され、中国(明国)へ行き、1513年に帰国しました。中国では、皇帝より「阿育王山広利禅寺」という著名な禅寺の第102代住持(住職のこと)に任命されています。
帰国後、1514年9月15日に数え年90歳で亡くなりました。
―何が書いてあるのですか?
大まかな内容は次の通りです。
まず、30年前に大内氏の治める防府(山口県)で、雪舟と出会い、詩を論じるように、画について論じた思い出を語り、あまり知られていない雪舟の後半生について記しています。
次に、1514年に官命を受けて中国(明国)へ行くことになった了庵が帰国し、雪舟の住んだ雲谷の草庵に立ち寄ると、雪舟はすでに亡くなっており、遺愛の野草が茂り、建物は住む人もなく危うい状態であると書かれています。(この部分は、出国前に山口へ立ち寄ったという解釈もあります)
話は変わり、了庵は無事に明国より帰国できたことについて、天照大神(あまてらすおおみかみ)の加護に感謝するため、伊勢神宮を参詣しました。すると、神官が大切にし、子孫に代々伝えたいと願っている雪舟の描いた山水図を取り出し、画面上部に賛(漢詩)を求められました。絵を持っているこの家が、今後も栄えるように祈っている、というようなことが書かれています。
参考までに漢文全文を次に載せます。
三十年前舶止防々城僑居転蒼黄有老客款戸而至字号雪舟諱等揚自謂天童典賓職
揮寫随意游大唐西周大守憐漂泊雲谷幽廬安老狂尓来風晨与月夕往来我亦共彷徨論画猶如
論詩句風騒水墨互汪洋与雪翁離索久矣流水浮雲若異方(郷?)往々毎観彼遺墨一潜靡不増感
傷
永正丁卯承官命専入明節双鬂霜防守待吾事靡鹽雲谷旧廬歴炎凉幽花野草皆遺愛竹亭
松宇危橋梁癸酉栄旋非為錦東藩入貢喜観光蒞衆育王拝設利一朝震旦夕扶桑踰溟越漠保瀛劣
神助聊賽 天照皇館司悦〔カ〕祝〔カ〕予再来治具盃盤以還郷出玆小幀覓題上屋宇森列有無
際舟楫隠顕
泛蒼茫為珎而愛于素壁于高堂人謂斯画伝一代我知渠三昧古未曾亡願此門戸弥吉祥
旹永正十一祀星舍閼逢閹茂林鐘朔旦 大明阿育王山広利禅寺百二代日域瑞龍歴位了庵九十歳筆
―それでは、雪舟と了庵は交流があったということですね。
この了庵の漢文からは、交流があったと読み取れますね。
了庵は1424年生まれ、雪舟は1420年生まれですから、世代としてもほぼ同じです。
―賛(漢文)を求められたということは、この漢文の下には雪舟の絵があったということですか?
そうですね。
残念ながら、あったであろう山水図は、今は所在が確認されておらず、すでに失われた可能性もあります。
この作品は「題雪舟山水図詩」(せっしゅうさんすいずにだいするし)とも呼ばれています。
―本当にぎっしりと書かれています。
下に山水図があるとなると、かなり細長い作品だったと推測されます。
紙幅22㎝に8行書かれていて、文字数は本文266文字です。
―さっき、1513年に帰国したと聞きましたが、いつ書かれたのですか?
最後の行の「永正十一」だけ読めるのですが…
そうですね。最後の行にこの漢文が書かれた日が記されています。
順番に見てみましょう。
「閼逢閹茂林鐘朔旦」が書かれた月日を示す部分です。
閼逢(あっぽう)は甲、閹茂(えんも)は戌で、永正11年が甲戌(きのえいぬ)の年であることを表しています。
林鐘は6月、朔旦は1日。全部合わせると、「永正11甲戌 6月1日」となります。
永正11年は西暦1514年で、帰国した次の年の6月1日です。
―90歳とも書いてあります。
そうです。一番下の判のところに「九十歳筆」とあります。数え年90歳でこれだけの文字を書き記しています。
―たしか、了庵桂悟は1514年に亡くなっていますね。
9月15日に亡くなっています。
この文章は、明国から帰国した翌年、亡くなる3か月ほど前に書かれたものです。
―雪舟の自画像(第13回)と一緒に伝わっているのですね?
はい。同じ箱に納められています。
明らかになっていない雪舟後半生の足跡がわかる貴重な資料ということで、重要文化財に指定されました。
もともと自画像と墨蹟は一緒に伝わった作品ではなく、この2作品を同時に入手した人によって、セットにされました。歴史の不思議な縁を感じます。
―この作品を一言で表現すると?
雪舟は、6点の絵が国宝に指定されるなど、作品が多く残り、有名であるものの、今なおその生涯などわからないことが多い人物です。そんな中で、雪舟と面識のある人物が記した文章であるという点が評価される貴重な作品です。
今回の作品:重要文化財 了庵桂悟墨蹟(題雪舟山水図詩)
りょうあんけいごぼくせき(せっしゅうさんすいずにだいするし)
時代 室町時代 1514年(永正11年)6月1日
作者 了庵桂悟筆
30年前に出会った雪舟を偲んで、了庵桂悟が作った漢詩です。雪舟の描いた山水図に添えられていました。文末の落款から、この詩は了庵が90歳の時に記したことが分かります。山水図の行方は分かりませんが、現在は雪舟自画像と一緒に伝えられています。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
前野絵里
藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。