INTRODUCTORY SELECTION

前野学芸員がやさしくアートを解説します。|入門50選_11 | 仏功徳蒔絵経箱

箱に描かれた法華経の教え

 

仏功徳蒔絵経箱(ぶつくどくまきえきょうばこ)

 

―すごくきれいですね。これは?
お経を入れる箱、経箱です。

 

―どれくらいの大きさですか?

横32.7㎝、縦23.3㎝、高さ16.4㎝です。

箱の蓋と中はほぼ同じ大きさです。

蓋をかぶせると、中の箱は、ほぼ見えなくなります。

この形式を被蓋造(かぶせぶたづくり)といいます。

 

―何で装飾されているの?
蒔絵です。
箱は木で作られていますが、非常に薄いので、補強のために布が貼られています。とても軽い箱です。

 

―全面に絵があるようですね。中にも模様はありますか?

箱の中は無地の黒漆塗りで、箱の底裏も無地です。

 

―蒔絵はどんな技法ですか?
蒔絵は日本で独自に発展した漆の装飾技法です。
表面に接着剤となる漆で絵を描き、それが乾かないうちに金属粉(ふん)を蒔くことで模様を表します。

金属の色、粉の大きさや形を変えることで、幅広い表現ができます。粉を蒔いた後に、上から漆を塗り、それを研いで漆の膜を除去して模様を現します。研出(とぎだし)蒔絵という技法です。銀色部分は銀と錫(すず)ではないかと考えられています。

 

―いつ頃のものですか?
平安時代です。

蒔絵の様子から、11世紀頃と考えられます。平安時代後期です。

 

―箱の中にお経が入っているのですか?

今は何も入っていません。ただ、この箱の模様が全て法華経から採ったものなので、おそらく法華経を納めていたと考えられています。

 

―この箱に全部入るのですか?

法華経は8巻または10巻で構成されているので、4巻、または5巻で2段なので十分入ると思います。

 

―法華経はどんなものでしょう?
法華経は大乗仏教の代表的な経典で、誰もが平等に成仏できるという仏教思想が説かれています。
特に平安時代は貴族の間で法華経信仰が盛んで、法華八講(ほっけはっこう)などの法要が盛んに行われています。
また、成仏できないとされた女性の成仏を可能とした経典でもあり、貴族の女性にも厚く信仰されました。

 

―箱の模様にはどんな意味がありますか?
この箱の名前に「仏功徳」とありますが、功徳は今生や来世に幸福をもたらすことになる良い行いです。

良い行いを積むことで、仏の恵がある、という意味です。
仏を敬ったり、良い行いを積む様子、それらに対する仏の恩恵が表現されています。いずれも「法華経」から選ばれた説話です。

 

―なるほど。それぞれどんな場面ですか?

箱の蓋には2場面描かれています。
2場面とも法華経の「提婆達多品(だいばだったほん)」から採られています。

蓋側面 阿私仙の部分

 

ひとつ目は、山の麓の庵に阿私仙(あしせん)という仙人の話です。(改行しました)

釈迦が前世で王だった時、法華経について知りたいと強く思い、身分を捨てて、法華経について知っているという阿私仙に仕え、水を汲み、薪を拾い、木の実を集め献身的に尽くし、法華経のことを知り、ついに仏となったという話です。山の周囲に、小さく表現された男性が何人かいますが、これは全て同一人物で、釈迦の前世の姿です。

 

蓋側面 龍女成仏の部分

 

もうひとつは先ほどの裏側で、雲に乗り空を飛ぶ7人がいます。下には海が広がっています。先頭の人物の前には、香炉のようなものが置かれています。

この場面は、成仏することができないと考えられていた女性が、男子へと変わり成仏した話を表しています。

先頭の女性は8歳の龍王の娘龍女で、宝珠を捧げて、たちまち男子となり、菩薩となり、海より出て、釈迦が説法を行う霊鷲山(りょうじゅせん)に詣でる場面です。

 

蓋 天板(上面)

 

―蓋の絵はつながっているように見えますね。

蓋の側面4面を海でつなぎ、ふたつの話を展開させています。非常に優れた構成になっています。

蓋の上面部分は、孔雀のような鳥や楽器、蓮華の花びらが舞っています。蓮華の花びらは龍女の場面上空にも散っており、蓋全体でひとつの空間として捉えています。蓋上面は、仏世界である極楽浄土を表現していると考えられています。

 

蓋 龍女部分

 

―身の方も同じですか?

身は5つの話を4面に表しています。

ひとつは草木に雨が降る場面です。

 

身 側面

 

 「薬草喩品(やくそうゆほん)」は釈迦の教えを雨に喩え、雨のように遍く平等に降り注ぐことを表現しています。金と銀の尻尾を持つ雲から、銀の雨が降り注ぐ穏やかな表現です。

残りの3面は、遠景の山から流れる川、その河原から山とへつながっています。

 

身 構図が連続する3面
身 方便品(ほうべんほん)

 

河原で石を積む場面は「方便品」にある、子供が沙(すな)を聚(あつ)めて仏塔を作るという経文が下敷きとなっていると思われます。塔を作ることで、功徳を積んでいるのです。

 

身 常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)

 

川を下ると、1人の僧が、棒を持った人などに追いかけられています。この部分は「常不軽菩薩品」です。出会う人全てに「あなたは仏に成る人です。決して軽んじません」と言い続けた常不軽菩薩を表現しています。

言われた人たちは、変な奴だと棒を持って追いかけたり、石を投げて追っ払ったりしました。でも実は、常不軽菩薩は釈迦の前世の姿だったのです。常不軽菩薩を疎んじた人たちは報いを受けて、地獄に落ちてしまいました。

 

身 観音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)

 

次は小高い山があります。雲に乗った人や、犬に囲まれた人などが見えます。いずれも「観世音菩薩普門品」から採られています。

観世音菩薩の名を唱えれば、災難から逃れられるという、様々な例が表現されています。ここでは、鬼に追いかけられて崖に追い詰められても、雲に乗り逃げることができる。動物に襲われても、害を加えられないことが示されています。山の麓には観音菩薩に礼拝する人がおり、このような人が救われるのです。

仏を敬うと良いことがある、というだけではなく、軽んじると悪い結果になることも併せて示されています。

 

蓋の連続する場面

 

―この作品の見どころは?

法華経から取材した場面を、単独で表現せずに、絵巻のように横長の場面として展開しています。しかし立体物のため、全貌が見える訳ではなく、角を曲がると次の場面が現れるという、他に例のない作品です。

どのような人物が、このような箱を注文したのか、中に入っていたであろう経典には、どのような装飾が施されていたのかと想像は尽きません。

 

 

 

今回の作品: 国宝 仏功徳蒔絵経箱(ぶつくどくまきえきょうばこ)

時代 平安時代 11世紀                 

蒔絵が施された深い被蓋造の経箱で、素地には極めて薄手の木が使われています。美しい状態で残る貴重なもので、金や銀、錫などを使い、法華経の場面が、底裏を除く蓋と身全面に表されています。

 

 

藤田美術館

明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。

 

前野絵里  

藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。

 

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