絵巻とは?
―そもそも絵巻とはどんなものでしょう?
巻物で、文章とそれに対応する絵で1セット(1段)になっていて、それが繰り返されています。基本的に絵巻は文字から始まります。文章に対して絵が来ます。印象に残る場面をひとつ描くか、いくつかの場面を連続して描きます。巻物という形態は奈良時代までに大陸から伝わったと言われています。
日本に現存する最古の絵巻は平安時代末の源氏物語絵巻です。
―この絵巻は何でできていますか?
紙を長くつないだ巻物(巻子)でできていて、紙1枚の寸法は平均的な絵巻に用いられた紙よりも大きいものが使われています(縦40㎝×横60㎝)※。
長さは1巻13〜19mです。あまり長くなると、巻いた時に太くなったり、重くなったりして扱いにくいので、適当な長さに調整して作ります。
紙の末端に軸木を取り付け、軸木を芯にして紙を巻きます。これは直径3㎝にも満たないぐらいの芯に紙を巻きつけているのですが、絵の具が塗ってあるものを細く巻くと作品が傷んでいくので、国宝になってから、もともとの芯を太巻きというケースに入れ、太くしました。
※例えば鳥獣戯画は縦30.4㎝×横55㎝
―ただ巻いてあるだけ?それとも外側にタイトルとかが貼ってあるのですか?
書物の題名を書いて貼る紙「題簽(だいせん)」があります。最も外側に美しい布を使った表紙を貼り合せ、最後に開かない様に紐を掛けて縛ります。
―袋や箱に入っていますか?
修理をして太くなってしまったので、もとの箱に入らない状態です。修理の時に箱を新調しました。
―紙に彩色してバリバリになりませんか?
なります。でも、彩色は制作された当初のものと考えられています。絵巻そのものは修理されていますが、色の塗り直しなどは行われていません。
彩色のきれいなところでも、よく見ると傷んでいたり、紙に亀裂が入ったりというのはあります。
―亀裂が入ったらどうするのでしょう?
わっていう感じ。気をつけて扱っていますが、もし彩色が落ちたら大変です。落ちたら国に届けないといけません。
―広げるとお話になっているのでしょうか?
見る時は広げて見るのではなく、自分の手の幅だけで見ます。絵本と同じような感覚ですね。クリクリ巻きながら巻頭から見ていくものです。
―絵巻って誰が見ていたものですか?
絵巻そのものは、貴族や武家、天皇家、お坊さんなど支配層の人たちが見ていました。教養があって豊かな生活を送っている・・。
―エンタメとして見られていたのでしょうか?
エンタメ的要素のある絵巻もありますが、これはもともと興福寺にあったものです。作られた経緯はよくわからないのですが、藤田家が明治時代に作った台帳には、法相宗の始祖の奥義、極秘を伝えるために作られ、偉いお坊さんしか見られないと書かれています。
見る人たちへ何かを伝えたり、教団の正当性を伝えるという内容もあります。
―これが何巻あるのでしょう?読むと何か奥義がわかるのでしょうか?
全部で12巻です。読み手に教養があると「こういうことか」と気づくのかもしれませんが、今の私たちでは気づかずに通りすぎていると思います。
玄奘三蔵はどんな人?
―この絵巻はどんなストーリーなのですか?
中国唐時代に実在した僧、玄奘三蔵(600/602~664)の生涯です。中国を出国してインドを旅して中国へ戻り、持ち帰った経典を中国語に翻訳した一大事業を中心に描かれています。
国宝に指定された時に作品の名前が「玄奘三蔵絵」となりましたが、それまでは「法相宗秘事絵詞(ほっそうしゅうひじえことば)」という名称でした。玄奘は法相宗の宗祖と位置付けられています。
―法相宗というのは有名な宗教なのですか?
有名というか、飛鳥時代に中国から最初に仏教が入ってきましたが、初期段階の頃の宗派のひとつです。浄土宗みたいな信仰というより最新流行の学問です。
―玄奘法師は日本人?どんな人ですか?
玄奘三蔵は中国の初唐時代の僧です。600年もしくは602年に生まれ664年に没しました。正式な出国許可がないまま、仏教研究を目的として627(629)年に唐を出国し、陸路徒歩でインドへ赴きました。
―ということは、25か27歳でインドに行ったということですね。
ナーランダー寺院(現在の大学のようなもの)などで学び、645(643)年に唐へ戻りました。
―そもそも修行に行くのはインドなんですね?
お釈迦様がインドの方なので。インドでも仏教はどんどん変わっていきますが、又聞きや翻訳で勉強していると消化不良を起こす。「直接原典に当たりたい!」それで出かけて行ったんですね。
―そういう人は何人もいたの?玄奘三蔵だけ?
基本的には向こうから来る人、中国語もできるインドのお坊さんが多くいます。経を取りにいった人はこの人以外にいたのかわからないのですが、よく知られているのは玄奘です※。
経典を持って帰ってきて翻訳まで成し遂げたので、玄奘訳と巻頭に記された経典が多数あります。うちの国宝「大般若経(だいはんにゃきょう)」(奈良時代)もそうです。
※玄奘の前に東晋の法顕(ほっけん)(4〜5世紀)がインドへ行きました。
―翻訳までしたんですね?
インドの言葉から中国語に訳しています。言語もできる人だったのです。持ち帰った仏教経典、1335巻の翻訳作業を行いました。玄奘のインドでの見聞は太宗皇帝の求めに応じ『大唐西域記』としてまとめられました。
それから、玄奘三蔵はアスリートのような体力を持っていました。中国からタクラマカン砂漠を越えてずっと歩いていく。ずっと歩いて、最後にお経を持ち帰ってくるんですから。アメリカの教科書に載せるための玄奘三蔵の絵を貸してほしいという依頼がきたので、どういう風に紹介されるのかと思ったら、歴史の中の冒険家として出てくるんです。
―中国の話を日本人が描いた?誰かから話を聞いて作ったのでしょうか?
そう、日本人が鎌倉時代に作りました。もとになるストーリー、書籍があり、後の研究で『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』というものをもとに作っているだろうと言われています。
主題は史実も物語も「取経」で、インドへ行き仏教経典を中国へ持ち帰ることがテーマです。
それまでに作られたお坊さんの伝記絵巻などから使えそうな構図を参考にして展開するという方法がとられたと思います。玄奘三蔵は西遊記の主人公と同一人物です。三蔵は尊称のひとつ、玄奘は名前です。
―西遊記の人なんですね。
西遊記は玄奘三蔵の実話を元に、孫悟空、猪八戒、沙悟浄が登場する全100回の物語として、中国で明時代(16世紀頃)に完成しました。
―玄奘三蔵絵にも猪八戒みたいなお供は出てくるんですか?
お供はいないです。基本的に1人で行っている格好です。行く先々で王様とかいろんな人に会ったりしますが、特定の誰かがいつも一緒であるという風ではないですね。
―玄奘三蔵が持って帰ってきた経典は日本にもあるのですか?
「大般若経」も玄奘三蔵の訳で、中国の唐時代、日本の飛鳥奈良時代に遣唐使が行って最新の訳だという600巻を手に入れて帰ってきて、書き写し、各国に1部ずつ奉納するという国家事業がありました。
―すごいことをしていますね。
そのもととなる経典を翻訳したのが玄奘なのです。
第2回に続く
今回の作品: 国宝 玄奘三蔵絵(げんじょうさんぞうえ)
全12巻
時代 鎌倉時代 14世紀
唐時代の僧 玄奘三蔵の一生を全十二巻に描いた絵巻で、絵の様式から宮廷絵所預 高階隆兼が関わったと考えられます。美しい彩色と豊かな想像力で、異国の風景を描いています。興福寺大乗院が所蔵していました。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
前野絵里
藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。