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学芸員がやさしくアートを解説します|芦鱸藻鯉図(ろろそうりず)

室町時代のアクアリウム

巨大な対幅の掛軸

―これは中国の絵ですか?日本の絵ですか?

日本です。室町時代(15~16世紀)に活躍した、狩野元信(かのうもとのぶ、1476-1559)という絵師が描いたのではないかと伝わってきました。ちなみにとても大きくて、およそ縦147cm×横87cmです。

 

—狩野?聞いたことあります。

狩野派というのは、室町時代から幕末明治まで約400年、日本の絵画業界の中心に君臨し続けた強大な画派です。たくさんの絵師がいて、多くの作品が残っています。ちなみに狩野元信は、狩野派の基礎を築いた2代目で、偉い人です。

 

—どういう経緯で作られたのですか?誰かからオーダーがあった?

誰による、どのような発注のもと描かれたか、制作の経緯は分かっていません。今は掛軸仕立ですが、もとからこの姿だったわけではなさそうです。

 

—えっ、そうなんですか。

実は最近、この絵を写して描いたと考えられるものが見つかったのです。狩野探幽(たんゆう、1602-1674)という、元信の7世代後に活躍した江戸時代の絵師がいます。彼が勉強のために古画を模写したスケッチブックが遺されていて、この絵も記録されていました。

狩野探幽「古画縮図」(大和文華館蔵)の学芸員によるスケッチ

—本当だ。あれ、絵が多い!

そう!要するに、もともとこの作品は、間にちょうどあと2幅ぶんくらい絵があったようなのです。

 

—しかも掛軸ではなかったのですか?

はい、もとは屏風とか、襖絵だったのではと考えられています。何らかのタイミングで切り取られてしまったのでしょうか。こんな襖に囲まれた部屋で寝たら、溺れる夢を見そうで嫌ですけどね。

 

—もともとこの姿でオーダーされたわけじゃなく、切り取られて改変されたということか…偶然とはいえ良くなっていますね!

確かにそうかも。真ん中がなくなって、端と端が残ったことにより、ちょうど魚たちが向き合うような構図になっています。

 

—そもそもなぜ魚を描いたのでしょうか?

泳ぐ魚を描くルーツは、中国の古い絵画にあります。もともと中国では、工芸品に吉祥モチーフ(子孫繫栄・富裕・立身出世など)として魚をデザインしており、それが次第に絵画の主題となりました。日本にも、そんな中国の古画が舶来して、狩野派をはじめとする絵師たちに学ばれました。この「芦鱸藻鯉図」も、中国の絵を参考にしたのではないかと考えられています。

—鱗の細かい表現がすごい。均等に繰り返されていて、まるで判子で押したみたいに見えます。

判子ではなくて、全てきちんと描いています。例えば着物の柄とかを判子で押してパターンとして表す絵とかもあるのですが、これに関してはそうではないですね。

 

—すごい。技術の高さを感じます。

そうですね。魚を描くこと=絵師にとって良い勉強法だったのでは?という意見もあります。水中の生きものをイキイキと描いたり、鱗を細かく描くことにはとても高い技術が求められるので、特に日本人にとっては中国からきた水墨表現のひとつとして学ばれていたのかもしれません。

 

—水中と水上、どこから見ているのか分からないというのも面白いです。この視覚のイリュージョンは、わざとでしょうか?

どうでしょうか。個人的には、試行錯誤している感も受けます。中国由来の色々な魚の絵を参考にして引っ張ってきて描いたとすると、視線は混在しそうですから。しかし現代の我々の眼には、逆に面白く映るというのが興味深いですね。

 

—魚の種類も描き分けているのでしょうか?

種類を言い分けることはできます。しかし左幅の中央には、ちょっと分からないヤツも泳いでいます。シャケ科なのでは?と言われていますが。

—よく描かれる魚はいるのですか?

鯉は中国でも日本でも、昔からよく登場します。大河とともに発展した中国人にとって、魚といえば鯉だったのでしょうか。更には、登龍門の故事から、立身出世のシンボルとして描くこともあります。日本では端午の節句の鯉のぼりでお馴染みです。

石田学芸員は、水草の陰にかくれるナマズとハゼが可愛くてお気に入り。

—狩野元信という人の作品は、他にも残っていますか?

はい。この作品はあくまで「伝」ですが、元信の確かな作品だとされていて、重文指定を受けているものは15点以上あります。

 

—ぱっと見て狩野派の絵だと見分けられるポイントってあるんですか?

あります。私も学生の頃、最初にゼミの先輩にした質問が「みなさんはなぜ、狩野派と円山派(※江戸時代中期の絵師・円山応挙を祖とする画派。近世絵画の代表的な流派のひとつ)の絵を見分けられるんですか?」でした。岩や波、木、人物の顔、竹の根っこなど描き方にそれぞれ特徴があって、ざっくりとした判断はできます。

 

—なるほど、そんなところに。

ただ鑑定は簡単ではありません。狩野派は幕府や朝廷の注文をほぼ独り占めするほど強く、絵画業界では無視できない存在。とりあえず狩野派を学んだり真似したりする絵師は多かったので、他流派の作品にも彼らのエッセンスが残る場合があるのです。

 

—この絵でいうと、どこが狩野派で、どこが狩野元信なのですか?波が特徴的だなとは思いました。

そうですね、岩とか波の描き方です。特にこの波の飛沫が、元信の代表的な作品に登場する滝の表現によく似ています。京都・大徳寺大仙院の障壁画「四季花鳥図(重文)」に描かれる滝が分かりやすいです。動画を一時停止したような、不思議な水飛沫の表現です。

—狩野派=集団、ということは、その中に活躍している人がいて、それぞれで作品を作るのですか?それとも集団で作品を作る?

どちらも正解です。狩野派という大きな集団の中には腕の立つリーダーが何人かいて、それぞれアトリエを持ち弟子を率いています。単独で制作する場合もあれば、お城の障壁画など大掛かりな仕事のときには弟子も総出で取り掛かります。

 

—その場合、弟子が名乗ることはない?

弟子が加わっていたとしても、あくまで作者名はリーダーの狩野○○さんになります。漫画家が、背景やベタ塗りをアシスタントに任せるのと同じです。

 

—この「芦鱸藻鯉図」はどうなのでしょう?

大きい作品ですし、複数人で描いたかもしれないですね。あるいは、元信の様式を学んだ弟子とか、後の世代の絵師が描いたのかもしれない。もうお分かりかもしれませんが、弟子たちの存在により、鑑定が難しくなったり、作者名が「伝」となったりする場合もあります。

 

—それにしても狩野派ってすごいですね。

はい。日本人であればぜひ知っておきたい人たちです。早く大河ドラマに取り上げられないかな~と思っています。

 

—ひとことで言うと?

うねる水の中を泳ぐ魚が描かれた巨大な対幅。

 

 

 

今回の作品「芦鱸藻鯉図(ろろそうりず)」

作者:伝 狩野元信 時代:室町時代(16世紀)

渦巻く波の中を泳ぐ魚、水しぶき、岩石、水草が、水墨と着色を併用して描写される対幅。室町時代後期の絵師・狩野元信の様式と見なされる。中国宋時代より定着する画題「藻魚図」を、初期の狩野派がどのように学んで取り入れていたかを考える上で、貴重な作例。

 

藤田美術館

明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。

 

石田楓

藤田美術館学芸員。美術に対しても生きものに対しても「かわいい」を最上の褒め言葉(次点は「かっこいい」)として使う。業務上、色々なジャンルや時代の作品に手を出しているものの、江戸時代中~後期の絵画が大好き。

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