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田村文琳茶入 たむらぶんりんちゃいれ|学芸員がやさしくアートを解説します。│蔵出50選_49

傳三郎さん、そんなに欲しかったの?

―文琳ってなんですか。

中国での林檎(りんご)の異称です。林檎の形に似ているところから呼ばれています。文琳は茶入(抹茶の粉末を入れる容器)の中でも2番目に格が高いとされています。ちなみに、田村さんという方が持っていたから田村というと言われていますが、あまり詳しくは分かっていません。田村文琳は昔から名物と言われています。

 

―大きさはどのくらいですか。

高さは6.4cm、胴径6.3cmです。

 

―正面がここなんですか。

はい。釉薬が微妙に垂れているのがわかりますか?こういったところを見どころと考えて、正面にすることが多いです。

 

―どういったところが高く評価されているのでしょうか。

端正なつくりが魅力です。頸(くび)の立ち上がりもすっとした感じで、胴の張りやカーブもしゅっとしてます。わかります?(笑)

それから、小堀遠州(こぼりえんしゅう、1579~1647)がたくさんある文琳の中でも非常に優れたものだと評価しています。所蔵者に宛てた手紙が残っていて、掛軸になって一緒に伝わっています。

―あの小堀遠州ですか。なんだかだんだんいいものに思えてきました。

そうです。あの遠州です。この50選のシリーズでも以前登場しましたね。戦国武将ですが茶人としても名高く、なんといっても様々な名物の基準を生み出した人です。そしてこの茶入には掛軸以外にもいろんなものが付属しています。

牙蓋
仕覆 左から日野廣東、萌黄菱龍細川純子、花色輪違宗薫純子、段織雲珠純子

―この蓋はなんですか

牙蓋(げぶた)という象牙製の蓋です。この傷のような部分は巣(す)といって、象の神経があったところです。景色(模様)として茶人が好みます。

 

―仕覆(しふく)が4つも!

そうです。仕覆(茶入を入れておく袋)が4つ伝わっています。仕覆は由緒のある裂(きれ)で作ることが多く、単に茶入を守るだけでなく、鑑賞するものでもあります。替えが多いということは、それだけ大事に思われてきたということですね。

 

―お盆も素敵

この茶入が作られた中国・明時代ころに作られたと見られるお盆です。深い彫口で、隙間なく文様があらわされており、これ自体が美術品としての価値がありますが、漆が剥がれている部分が多くて、あまり展示できないかもしれません…

 

―これは藤田傳三郎さんがお好きだったんですか?

そうです。傳三郎が前所蔵者から譲り受けた際の逸話が残っています。

前々所蔵者がこの茶入を売立に出した際から傳三郎は欲しかったようですが、馬越恭平(まこしきょうへい、1844~1933)という実業家が競り落とします。のちに「銀座ライオン」で知られる大日本麦酒の初代社長を務めた、日本のビール王の異名を持つ人物です。馬越入手後も田村文琳を忘れられない傳三郎は売立から7年後、明治32年に馬越が大阪で開いた宴会に突如参加し、得意の能の舞や謡(うたい)を披露して馬越を酔わせて大いに楽しませ、その場で田村文琳を譲ってくれるように頼んだそうです。酔った馬越は承諾してしまい、傳三郎はすかさずそばの違い棚にあった筆と硯を取って電報を書かせました。そして翌日には藤田の会社の東京支店のものに馬越宅まで行かせて田村文琳を受け取らせた。という内容です。

 

―本当に欲しかったんですね。でもやりすぎじゃないですか?

 ちょっとあの手この手が過ぎる感じですね(笑)。実は、藤田美術館の所蔵品で入手時のエピソードが残っているのは数少ないんです。しかもこの話には続きがあるんです。

 

―さらに続くんですか?

はい。実は、茶道具を手に入れたらそれを使ったお茶会を開いて、前所蔵者を招くのが数寄者の中での礼儀でした。馬越は中々呼ばれないので、傳三郎にいつ茶会を開くか尋ねると、「あれほどの名器を使うには周りの道具を整えないとならない。あと1つ、足りないものがあるのだ。それを手に入れることが出来たら、田村文琳を初めて使いましょう。」といったそうです。

 

―その足りないものはなんですか?

現在藤田美術館が所蔵する「重文 交趾大亀香合」(5/31まで展示中)です。その後明治45年、傳三郎は大亀香合を手に入れますが、この2つを取り合わせた茶会は実現しませんでした。入手後すぐに亡くなってしまったんです。

 

―じゃあ馬越さんは茶会に行けず…

そうなんです。傳三郎を追悼する大正5年(1916)茶会で共に展観しているので、そこでようやく2つが同じ空間にあるのを見れたのでしょう。ちなみにですが、ただで茶入を譲ってもらった傳三郎は、その後宴会の飲食代といって6千円を馬越に渡しています。馬越は305円で落札していますから、実に20倍のお金を渡したというわけです。

 

―本当に豪快なエピソードですね。叶わなかったお茶会、他にはどんな道具の取り合わせを考えていたのでしょうか。

それは残念ながら今となってはわかりません。

 

―ひとことでいうと?

傳三郎が長年追い求めた、唐物茶入の名物。

 

 

田村文琳茶入 たむらぶんりんちゃいれ

中国・明時代 14~15世紀

 

形が似るところから林檎の異称である文琳と呼ばれる茶入は、茄子に次いで格が高いとされています。旧蔵者の名から田村文琳と言われていますが、詳細については不明です。桃山~江戸時代の武将・竹中重門が所蔵している際、それを拝見した小堀遠州が褒めたたえた書状が付属しています。

 

今回の学芸員:國井星太

藤田美術館学芸員。きれいなものを見るのとおいしいものを食べる(飲む)のが好き。美術以外にも哲学、食文化、言語学…と興味の範囲は広め。専門は日本の文人文化。最近読んでいる面白い本:依田徹『近代の「美術」と茶の湯 言葉と人とモノ』思文閣出版、2013

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