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学芸員がやさしくアートを解説します|青磁鳳凰耳花入

バックトゥザ南宋

青磁鳳凰耳花入

—いつ、どこで作られたものですか?

南宋時代(12~13世紀)、中国の浙江省(せっこうしょう)の南にあった龍泉窯(りゅうせんよう)で焼かれました。日本にもたらされたのは、おそらく鎌倉~室町時代頃です。この龍泉窯では、上質な青磁の器をたくさん焼いて、中国国内での使用はもちろん、日本を含むアジア全体に輸出していました。

 

—どうやって使われていた?

まず中国本土ですが、当時どのように使っていたか確定情報はありません。中に飲料水などを入れておくには、口が広すぎて注ぎにくそうなので、花を生けたり、飾りとして置いたりしたのではないかな。

 

—どんな身分の人が使っていたんですか?

龍泉窯では、一般庶民向けの日常的な器も、宮廷や貴族向けの高級品も手広く作っていました。この花瓶は、どちらかというと後者です。お金持ちの人々が家で飾ったり、儀式などで用いていたかもしれません。

 

—日本ではどうでしょうか?どんな人がどのように使っていましたか?

日本では中国からやってきたお宝として、将軍や茶人など、権力のある限られた人に鑑賞されました。初めは生け花の花瓶として使ったり、お寺での法要のときに使ったりしました。室町時代以降、茶の湯が成立すると、茶室の床の間に飾られました。

 

—藤田家はどういう経緯で買ったのですか?

残念ながら、藤田の前に誰が所蔵していたかは分かっていません。また購入時期も不明です。

 

—「鳳凰耳」ってなんですか?

花瓶の首の部分にあしらわれている飾りです。鳥の姿をしているでしょう?これは鳳凰という、中国の神話に出てくる伝説上の鳥です。縁起の良い霊鳥で、徳の高い皇帝が就任するときに現れるといわれています。

—へえ。この花瓶が王族や特権階級の人向けに作られた、という話がぐっとイメージできました。では、そもそもなのですが…「青磁」とはなんですか?

青磁釉をかけてつくるやきものの種類です。中国で発明されました。

 

—青磁釉というのをかけると、この色になる?

そう。この青磁色を出すポイントは、釉薬と土に含まれる鉄分と、焼き上げるときの酸素量。青磁釉は、微量の鉄分が含まれている透明な釉薬です。これを土に掛けて、窯の中を無酸素状態にして不完全燃焼させると、青緑に発色します。逆に酸素がある状態で焼くと黄色っぽくなるようです。

 

—なんだかすごく繊細な技術ですね。

中国が誇る技術のひとつでしょうね。中国で初めて青磁が焼かれたのは紀元前。その頃は、ほぼ灰色だったようです。それから緑色っぽい青磁の生産がしばらく続き、青みの強い釉色を出せるようになったのは宋時代(10世紀頃)に入ってから。1000年以上もかかった大発明なのです。

 

—日本でも青磁は作られていますか?

はい。中国から技術が伝わってきて、日本で作られはじめたのは17世紀です。有田焼や鍋島焼が有名です。ちなみに日本だけでなく、中国のお隣の朝鮮半島には10~11世紀頃に技術がもたらされて、高麗青磁(こうらいせいじ)という朝鮮ならではの美しい青磁を生産しました。

 

—最近、青磁の展覧会に行きました。正直どれも同じに見えてしまいまして…青磁を楽しく鑑賞するためのポイントは?

青磁はこの色あってこそなので、釉薬の色味を楽しむのが第一です。一口に青磁と言っても、とても長い間作られていますから、時代や地域ごとに色味が違うんですよ。ぜひ自分の好きな色を探してみてください。

 

—やきもの界で、青磁とはどういう存在ですか?

やはり中国では特別な存在でしょう。中国の人は昔から今まで「玉(ぎょく)」という、磨くと光沢が出て鮮やかになる宝石を大切にします。特に翡翠などです。これはあくまで仮説ですが、玉をやきもので表現することが青磁釉の発明のきっかけだったとも考えられています。

日本では、憧れの異国・中国からやってきたお宝「唐物(からもの)」のひとつとして珍重されました。南宋時代の龍泉窯製の青磁を「砧(きぬた)」という名称で分類して愛好するのは(参照:蔵出50選「砧青磁茶碗 銘 満月」)、日本人ならではです。明らかに、やきものの中でも特別視していますね。

 

—今回、藤田美術館では「復~保存と修復~」(2024年9~11月)のテーマで展示されています。この花入もどこかが修復されているということですよね?

はい。実は、これまで見てきたのは修復後の姿です。もともと、藤田家が買ったときはこのような姿でした。

復元前

—うわ、かなり割れてる。

はい。激しく割れて、金銀継ぎされています。鳳凰の頭は欠損しており、別の器の破片があてがわれていました。このたび、美術古陶磁復元をする繭山晴観堂さんとご縁がありまして、復元をお願いしました。

 

—具体的にはどんなことをしたんですか?

継ぎを全て外し、接着剤の漆や金を除去して、別器の破片も取りはらいました。そして欠損部分を補って再び繋ぎ合わせてもらったのです。この花入が納められた箱には「毘沙門堂什器ト同手」と書かれています。「国宝 青磁鳳凰耳花生 銘 万声」(和泉市久保惣記念美術館所蔵)と、近い制作環境で焼かれたという意味です。鳳凰の頭は、その作品をもとに再現しました。

継ぎを取り外した姿
(左)箱書き、(右)耳の復元途中

 

—要するに「修理」したということ?

いえ、ちょっと複雑なのですが、この「復元(修復)」は、「修理」とは違う行為です。修理は『現状の状態を尊重したうえで、補強などをしてこれ以上劣化が進まないようにする』、復元は『制作当初の姿に限りなく近づけるよう再現する』ことです。要するに時を止めるのが修理、時を戻すのが復元です。

 

—なるほど。今回は、なぜ復元を決断したのですか?

展示をするにはあまりに痛々しい姿だったこと、失われた部分を復元するのに足る情報があること、などが主な理由でしょうか。また現在、指定文化財の復元はできないのですが、この花入は無指定ですので可能だったという事情もあります。

 

★ちょうどご来館いただいた繭山悠さん(繭山晴観堂3代目)に聞きました

—繭山さん、今回の修復でもっとも難しかったことは何ですか?

もともとの青磁釉とそっくりな塗料を作ることです。何よりもこの上質な青磁の、地肌が透ける透明感を再現することが難しかった。鳳凰の頭部分などに塗布していますので、ご注目ください。

 

—ひとことでいうと?

蘇ったうるわしの南宋青磁。

 

 

 

今回の作品:「青磁鳳凰耳花入」

中国・南宋時代(12~13世紀)

浙江省の龍泉窯で作られた。粉青色(ふんせいしょく)と呼ばれるやわらかい艶のある淡い青緑色が特徴。箱書により、毘沙門堂(京都市)に伝わった「国宝 青磁鳳凰耳花入 銘 万声」(和泉市久保惣記念美術館所蔵)と同工房で作られたとされる。口縁や底部、鳳凰耳が大破した後に金継ぎされていたが、今回の復元で鳳凰の頭部など欠損した部分を補い、青磁釉をかけて往時の姿を復元した。

 

藤田美術館

明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。

 

石田 楓

藤田美術館学芸員。美術に対しても生きものに対しても「かわいい」を最上の褒め言葉として使う。業務上、色々なジャンルや時代の作品に手を出しているものの、江戸時代中~後期の絵画が大好き。

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