地元の淡路島で窯を構える陶芸家の大前 悟さん。お茶と団子を提供している藤田美術館「あみじま茶屋」では、大前さんのお茶碗で抹茶をお楽しみいただいています。藤田館長も大前さんの作品のファン。淡路島のアトリエに、楽しみに伺いました。
淡路島の焼き物
藤田 清 こんにちは。今日はよろしくお願いいたします。ここには初めてお伺いしたのですが、すごくいいところですね。
大前 悟 ありがとうございます。この建物は元々、どこかの会社の保養所だったそうです。鍵をもらったその日に丸ノコで床を全部切りました(笑)。
藤田 ご自身でリフォームされたんですね。壁や天井もご自分で塗られたのですか?
大前 できないところは大工さんにお願いしましたが、室内の壁はぜんぶ自分で塗りました。昨年までは家族でここに住んでいたのですが、少し離れたところに自宅を移したので、今では遊び場みたいな感じですね。たまに友人が来て囲炉裏を囲んだりもしますが、基本的には一人で、仕事をした後も、家に帰らずここで好きな本を読んだりしています。
藤田 いいなあ。うらやましいです。ここはいつ頃からですか?
大前 15年ほど前ですね。そもそも僕が焼き物を始めたのは神戸で、絵付けからなんですよ。和絵付けです。
藤田 えっ、そうなんですか? 今の作風からは全然想像できませんね。
大前 兄弟でやっていたんですが、兄がろくろを引いて、僕が(尾形)乾山写しの紅葉を描く、なんていうことをしていました。全部有馬温泉の旅館に卸していたので、もう手元にはありませんが。
藤田 それは見てみたかった!
大前 淡路島はもともと焼き物の土地で、400年以上前に築城された大阪城の瓦も、淡路島で焼いて運ばれたものです。地元の漁師の底引網には、よく古備前焼が引っかかりますしね。以前はこの辺りまで備前焼の窯があったかもしれないという説もあります。さらにさかのぼれば、島内の遺跡から大量に土器が出土しています。西明石にある兵庫県立考古学博物館でその土器の研究が展示されているのですが、見ると、僕が今、井戸茶碗をつくるときに使う土と同じなんですよね。昔の人が使っていた土を僕も使っているんや、という発見がありました。
藤田 そんなに長い歴史があるんですね。生活があるところには焼き物の作り手も必ずいたといわれますが、淡路島はそれこそ神話の時代からの古い土地ですものね。
名物茶碗の写しと、作家としての作品と
藤田 今日は懐かしいものを持ってきました。初めてお会いしたときに分けていただいた作品です。
大前 だいぶ前ですね。5〜6年前かな?
藤田 個展の会場で、ガラスのケースに入っていたものを見せていただいたのですが、手に取って中を覗いてみたら、底にすごくきれいな梅花皮(かいらぎ・釉薬が溶け切らずに鮫肌状に縮れたもの)が出ていたのに気づいたんです。覗かないと分からないから、持った人しか見ることができない。もう、すぐに欲しくなりました。
大前 そうやったかな? 梅花皮は焼きが不完全なところに出るので、火が入りにくい内側とか高台に出やすいんですよね。20度くらい温度が上がると、つるんとなくなってしまうものです。
藤田 見た目だけではなくて、そういうのが所有者の歓びですよね。それに、口に引っ掛かりがあってすごく花をいけやすいし、何でも映えます。
大前 僕の場合、個展を目指して仕事しているので、土掘りから始まって、作って、個展の会場に並べた瞬間に終わってしまうような感覚があります。そこで完結して、次は何やろうかな、となってしまう。だから使ってくださっている人の意見が伺えるのは新鮮ですね。
藤田 あと僕も大好きで分けていただいていますが、この岩のかたまりみたいな盃。盃なのに、酒飲ます気がないという(笑)。
大前 いちおう、飲もうと思えば飲めなくもないんですが(笑)。このへんはもう、売れ筋からいったら一番売れないやつです。
藤田 大前さんは、こうした作品も作っていらっしゃる一方で、名物茶碗の「写し」もやっていらっしゃいます。これだけ作品のバリエーションが広いのは、大変なことだと思います。
大前 実は、以前は「写し」をするのが苦しい時期がありました。作品の中に自分をまったく入れずに、瓜二つのものを作らなければならないと思い込んでいたんですね。いくら自分を消して作っても、何か癖みたいなものが出てしまうのがすごくいやで。そのため、作ることがそのままストレスになっていました。その後、考えがちょっと変わって、昔の人の作ったものをお借りしているだけだと思えるようになったんですよ。お借りしている枠のなかで自分がどういう風にするのか、という自由を手に入れたというか。
藤田 さきほど見せていただいた「不二山」も、以前の作とは少し違っていたようでした。見た目は以前のものの方が近いのかもしれませんが、近作のほうがより本質的に「不二山」を感じるというか。見た目だけが重要ではない何かがあるように思いました。
大前 そう思えるようになったのは、あの「飲めない盃」のような、自分が本当に面白いと思える焼き物が作れるようになってからなんです。やっぱり手を加えないほうがええんですよ。いかに地球上にあったままを形にするか。
藤田 実はさっきからずっと気になっている脚付盃があるんですが……。
大前 これがまさにそうですね。地層をすーっと掬って持って帰って、練らずにそのまま型に貼り付けて焼いています。いかに触らないか、ということをやっているんですね。
藤田 だからすごくプリミティブなんですね。いつの時代のどこで焼かれたものかがわからない。ポンペイの出土品といわれても信じてしまいそうです。窯傷というか、表情がすごく自然で魅力的です。
大前 粘土層って一種類の粘土だけでできているものではなくて、色々なものが混ざっています。それぞれ収縮率が違うから、焼くと当然切れるところがあるんですよね。最近は、普通の野原を歩いていて見かける粘土層を見ても、それ自体をきれいだなと思うようになりました。それをそのまま持って帰れないか、と。
藤田 散歩していても、景色じゃなくて土を見ているんですね。
大前 そうです。シダが生えているところは下が粘土質のところが多いので、それが目印になります。あとはオートバイに乗って走りながら、あ、ここから土の感じが変わったな、と感じるところを探したり。ほぼ勘ですけれど、何となく感じるんですね。
藤田 自分の思いを入れて自由に作る作品が、なるべく手を加えないものになるということは、なんだか逆説的で面白いですね。
大前 古備前にしても、古唐津にしても、何十人という集団で作っていたのだろうと思いますが、今見ると、全部同じ人が作ったように見えるんです。おそらく作っていた人たちは自分というものがなかったのではないか。ひょっとしたら、人間として扱われていたかどうかもわからない気がします。僕は10年ほど前まで、「この感情のない、なんにもないものは一体なんなんだ?」という、焼き物の恐ろしさみたいな点に惹かれていたところがありました。そういう独特の「怖さ」が、焼き物の凄みなのではないか、と。ただ、そういう恐ろしい世界を思いながら作っていると、自分もおかしくなってくるんですよね(笑)。
藤田 土をこねて焼くということに対して、名前が残るか残らないか、個性を出すか出さないか。でも個性を出そうと思った時点で個性ではなく作ったものになってしまうという。
大前 個性というものは、癖のような、滲み出てくるものですものね。無理にそれを作品に押し付けると、横に置いといたら目障りですし。
藤田 大前さんの作品は、そのバランスが絶妙ですよね。
大前 たとえば高麗茶碗の写しを作るときは、まず日本人であることを捨てるんです。感覚が日本人だったらだめなんですよ。李朝のものなんかは、当時作っていたのは漢人なんでしょうけれど、どういう人が作ったんだろう?と想像して、その人格を自分の中に入れる。そこがすごく重要で、そうしないと、たぶん作れないですね。
藤田 中身が日本人の感覚だと、高麗茶碗を写していても、日本の茶碗になってしまうということですね。
大前 李朝の人たちは寡黙だったのか、怒りっぽかったのか、実際はどうだったか分からないけれど、彼らの気持ちになり切ったうえで、あまり何も考えずにだーっとろくろ轢いて、ばーっと焼くという。逆に楽茶碗は、意識を向き合わせなきゃいけないので一碗にかかる時間がむちゃくちゃ長くて、気持ちが重たくなるんですね。作っている間、そいつがずーっと前におるわけです。
藤田 それはわかる気がします。楽茶碗の存在って、精神世界が広がっていて重厚ですよね。
大前 長次郎(初代長次郎、楽焼の創始者)のように、利休さん(千 利休)からこういうものを作れといわれて、それに沿って忠実にやり切った人のことが、あまり理解できないということもあります。その点、楽茶碗のなかでも光悦は現代人に近いアーティスト的な感覚があるので想像しやすいんです。この人、今だったらゲレンデ(メルセデス・ベンツ ゲレンデ ヴァーゲン)に乗ってるんちゃうか、とか。
藤田 時計もごっついのしてそうですね(笑)。
大前 そうやって想像すると、少しストレスが軽減されて作りやすくなります(笑)。
若い人に伝えるために
藤田 藤田美術館の「あみじま茶屋」で、大前さんのお茶碗を使わせていただいています。
大前 先日、娘に「大阪に行くけど行きたいところある?」って聞いたら、「藤田美術館!」って。中学生が知っているんですよ。
藤田 まさかのリクエスト(笑)。うちは今まで来館者の平均年齢70代、みたいな感じだったじゃないですか。それが急に、10代20代のかたが「あみじま茶屋」にたくさん来てくださって。もちろん全員が展示室の中に入って展示を鑑賞してくださるところまで至っていないのですが。
大前 でも、たまに覚醒する人もいるんじゃないですか。
藤田 そうですね。今の若い人はお茶碗というとご飯を食べる飯茶碗しか知らないかたが多くて、だからお茶碗の裏なんて意識して見たことがない。でも、ゴツゴツしたお茶碗で抹茶を飲んだ後、本能的に、どうなってるのかなってひっくり返して見たくなる人が出てきます。そこで、高台がきっちり削られていたりとか、それこそ梅花皮がきれいに出ているとか、作り手の指の跡が残っていたりというのを発見すると、何か感じてくださることがあるようです。たまにインスタグラムに高台の写真をアップしてくださっている若いかたがいらっしゃるんですよ。
大前 僕らの世代くらいまでは、女性が嫁入り前にお茶を習うというのがかすかに残っていたんですが、今はもうなくなっていますよね。でも、茶道、茶の湯ということ自体は知らなくても、たとえばインスタグラムで茶碗とお団子の写真を見て、面白そうと感じ、共感してくれる若い人がいるのは嬉しいことです。お茶や日本美術の知識が邪魔をして、逆に素直に見られないということもありますものね。
藤田 これはどこの何だからいいものだ、という理由が欲しくなってしまいますよね。それを知らないと納得できないというか。若い人は「なんか、いい」と感覚で見てくださいます。その感覚のまま、さらに深いところまで楽しんでいただけるような企画を考えていきたいと思っています。
大前 「かわいい〜!」って。それでええんやないかと思います。
藤田 そうですね。本日はありがとうございました。
大前 悟(おおまえ さとる)
1972年大阪生まれ。1991年神戸にて陶芸を始める。1994年土を採取し始め、南蛮焼締を焼く。1999年大阪にて初個展。2001年信楽に移住し、伊賀・信楽の窯変焼締に着手。全国で個展活動を開始。2003年全地下式穴窯を築窯。2005年施釉陶器に興味をもち、白磁や唐津等を焼き始める。2007年李朝時代の焼物に惹かれ、穴窯焼成にて井戸茶碗や柿の蔕茶碗に挑戦し始める。2010年淡路島に移住。半地下式穴窯、楽窯を築窯。黒楽を焼き始める。赤茶碗用薪窯を築窯。2016年淡路島の土を使い、白楽を焼き始める。
藤田 清(ふじた きよし)
1978年神戸生まれ。大学卒業後、藤田美術館に学芸員として勤務。2013年に館長就任。藤田傳三郎から数えて五代目にあたる。