ART TALK

ART TALK_20|茶事とアート 前編

千宗屋さん(武者小路千家第15代家元後嗣)

藤田美術館としても、藤田館長個人としても大変お世話になり、親しくさせていただいている武者小路千家第15代家元後嗣 千 宗屋さんとの待望のアートトークが実現しました。初めて会った頃のことから、未来のことまで話は尽きず、前後編2回に分けてお届けします。

 
美術館前にて、千宗屋さん(右)と藤田清館長(左)。

 

 

新しい美術館、どうですか?

 

藤田 清 美術館が出来上がって、オープンしたらすぐにアートトークにご出演いただこうというお話はしていたんですが、ようやく実現しました。今日はよろしくお願いいたします。

 

千 宗屋 よろしくお願いします。

 

藤田 とはいえ、オープン初日の最初のお客さんですものね。

 

千 内覧会にはどうしても出席できなかったので、開館日に伺うのがいいかなと思って、一番目に並びました(笑)。

 

藤田 気づいたら、シュッって並んでいらして、びっくりしました(笑)。実際、どうですか? 以前の美術館も十分にご存知で、建て替え中も見ていただいていて、お茶室のことなどご相談もさせていただいていましたが、出来上がった美術館をご覧になった時はどう感じられましたか。

 

千 まずは、あ、人が入ってる、って(笑)。たった5年で、まったく景色も変わって、その間に全部の作品が別の場所に移動して保管され、それらがまた戻って。いわばゼロからのスタートじゃないですか。でもすべてが整えられていて、何事もなかったかのように、慣れ親しんだ作品が並んで迎えてくれました。新しい場所に来たという感覚もあるけれど、やっぱり「ただいま」という感じがありましたね。

 

藤田 それはいちばん嬉しい感想です。

千 人の思いが一貫しているからでしょうね。やっぱりこう、以前と変わらない空気を感じました。蔵の扉を残されたということもあると思いますが、まず感じたのは「あ、ただいまだな」でしたね。

 

藤田 僕らは、「わ、鍵がカードで開く!」とか、どちらかといえば最初は違和感を抱いていたので、本当に嬉しいです。昔のものを新しく作ることはできないので、どうやったら力を借りることができるのかということをずっと考えていました。昔の蔵の材を使うことで、以前の美術館の空気や思いが伝わったらいいなと思っていたので。

 

千 新しさゆえの新鮮さとか晴れがましさはもちろんありますが、まったくゼロからの新しさというよりは、懐かしさとか落ち着きが同居していますよね。とくに展示室を出たところの、多宝塔が見えるギャラリー。あそこは何か、昔の蔵の出入り口を出て、いけばななんかが飾ってあった廊下の気分が残っているような気がします。窓から庭がちらっと見える感じとか、あの空気をなんとか伝えて残したいという、館長をはじめ美術館のみなさんの思いを、あの空間に感じました。

 

藤田 よかった。こんなにお褒めいただいていますが、夜お酒飲んだら全然違う話にならないですよね(笑)。

 

千 大丈夫ですよ(笑)。以前の蔵の展示室を惜しむ声もあったことは事実ですし、おそらく、果たしてこれで本当によかったのだろうか、という思いもどこかにはおありだったと思いますが、新しい美術館ができて、その迷いが一新されたというか。

 

藤田 あの蔵の階段がよかったのに、とか、ないですか?

 

千 いえいえ、その気持ちがきれいに更新されたなと思います。本当に便利になったし、規模も大きくなって立派にもなって。現代的な様相も大いに取り入れられて、さりながら、ちゃんと前のあの蔵の建物に成り代わる存在感のあるものができたと思いますし、雰囲気もきちっと継承されています。

 

藤田 このことがいちばん、聞けるようで聞けなかった話なんですよね。聞くのが怖い部分でもありますし。

千 作品が見やすくなりましたよね。もちろん前の、私は「どこかの蔵の中で宝探しをしているような気分」だと書いたことがある、あの感覚も好きでしたけれど、今の展示室は作品ときちんと向き合える環境が整えられています。前の蔵は玄人向きというか、ちょっとマニアックで、マニアにはたまらないところがあるんだけど、では今の若い人がいきなりそこに入って馴染めるかというとなかなかハードルが高かったんだろうな、と今となっては思います。

 

藤田 とにかく、人が集まるような場所にしたかったという思いがあります。

 

千 インスタ映えを狙う人は、前の美術館にはきっと足を踏み入れなかったと思うのですが、そういう方々も、ここまで来て、せっかく美術館なんだから展示を見てみよう、とご覧になって、たまたま出会った作品を「これかわいい!」と思ってくれたら、嬉しいですよね。

 

藤田 少しでも印象に残ってくれたら、という思いですね。

 

千 人が自然と集まる場所を作りたいという当初の目標が達成されていて、しかも持続していますよね。インスタで藤田美術館のタグを検索すると、昔は自分か館長の投稿だけだったのに、今はもう、あの外廊下でおしゃれ投稿している人の写真がいっぱい出てきて。

 

藤田 人がたくさん並んで、撮影して投稿してくれているんですよね。そういえば、前の美術館の一時閉館前、最後の1週間くらいは、毎朝人が並んでいたんですよ。それを撮影してインスタに投稿したら、若宗匠から「人が並んでいるのを初めて見た」ってコメントがついて(笑)。いや僕もあのとき初めて見ました。そう思うと、たった数年なんですけれども、えらく変わりました。

 

二人の出会い

千 この板も、昔の蔵のものですか?

 

藤田 そうです。何を置こうか考えていたのですが。

 

千 じゃあ、私がものを置いてもいいですか?

 

藤田 もちろんです。何ですか?

 

千 大したものではないです。

 

藤田 あ、なんか……。悪い顔してる(笑)。

 

千 本当に大したもんじゃないです(そっと置く)。

 

藤田 うわあ! 懐かしい。これめっちゃ懐かしいです。

掛軸は対談が行われた10月末に合わせた《利休尺牘(せきとく)松茸送る文》。

千 初めて仕事でご一緒したときのものです。昨日、家探ししたら見つかりました。もうこの雑誌自体なくなってしまいましたが。

 

藤田 覚えてます。この雑誌、やっぱりいいですね。かっこいい。なんだかくやしいな。

 

千 すごくかっこいい雑誌でしたね。表紙が真っ白で。

左/もとはマヨネーズの景品としてデザインされ、のちにイタリアのアレッシィ社により1996年に復刻されたもの。ピエール・ジャコモとアッキーレのカスティリオーニ兄弟によるデザイン。右/『デザインクォータリー』創刊号。

藤田 この組み合わせは嬉しいですね。僕はスプーンのほうは現物を見ていないですから。掲載誌で見ただけなので、本物は初めてです。いやしかし、よく珠光の竹茶杓《茶瓢》と並べようと思いましたね。

 

千 もちろん私たちは面識はありましたけど、お仕事としては、2005年に出たこの雑誌が初めてでしたね。編集を担当して文章も書かれたのが橋本麻里さん(ART TALK_18)だったんですよ。「古美術とか古典と現代のデザインを比較するような連載を」と依頼があって、第1回にこのマヨネーズスプーンでいきたいって言うから、これに対応するものは何だろうと考えて、形や機能からいえば茶杓だけれど、せっかくだから面白い形のものにしましょう、ついてはこのデザインを想起させる形の茶杓がある、ただし、お持ちの美術館が結構コンサバなところだから、果たしてOKを出していただけるかちょっとわからないけれど、トライしてみましょう、と。

 

藤田 トライされました(笑)。いやいや、難しいだろうという話もあったのですが、でも、これは受けなきゃいけないという気がすごくしたんです。なぜだかわからないのですが(笑)。もともと、初代の藤田傳三郎が官休庵さん(武者小路千家)にお世話になっていたという繋がりもあるのですが、でもそれとも違う何かを感じていたのだと思います。「え、マヨネーズスプーン!?」って思いながらもすごく面白そうだな、とご一緒したのがもう17年前ですね。

 

千 私は単純に、この機会にいっぺん《茶瓢》を見せてもらいたいな、っていうよこしまな動機だったのですが(笑)。

千さんが手にしているのが、《茶瓢》とマヨネーズスプーンを並べたページ。

藤田 たしかに部分的にシェイプが似てるんですよね。

 

千 そうなんですよ。最初は竹のヘラのようなものだったのをだんだん工夫して、茶をたっぷりしっかりすくうという役割のために鎌首をくっと上げたりするなど、機能性とデザイン性が融合して《茶瓢》のような形が生まれたのだろうと思います。現在の茶杓の形になる以前のものですね。

 

藤田 この撮影のあとは少し間があいて、林屋晴三先生との『名碗を観る』(世界文化社)の撮影ですね。

 

千 そうですね。《老僧》の撮影で。昔の茶室でね、寒かった記憶がありますね。

 

藤田 あの時は寒かったですね。休憩のときに林屋先生に「君はこの世界でやっていくつもりなのか」と聞かれて、休憩なのにいきなり何の話?と思ったりもしたのですが、「美術館の職員として、学芸員としてやっていこうと思います」と答えたら、「では絶対に彼(千さん)と仲良くしておきなさい」と。続けて、「彼は孫くらいに年が離れているけれど、知識の量でいったら私の倍はあると思う。こんなに素晴らしい友人とこれほど歳が離れているのが私は惜しくてたまらない、あなたは歳も近いし仲良くしてこの世界で活躍していくといいですよ」ということを言ってくださったんです。

 

千 あの時先生がそんなことをおっしゃっていたとはつゆ知らず、「もっと勝負しろ!」とカメラマンの小野祐次さん(ART TALK_07)をひたすらドヤしていたことが印象に残っています(笑)。先生なき今となっては私も同じ思い、もっとお話をお伺いしたかったです。お互いにそう思えることが有難いことですね。

 

クリスティーズでのオークション

藤田 そのあと、2014年1月に阪急うめだ本店で展覧会をしたときにもお会いしました。

 

千 そうでしたね。私は初日に、藤田美術館のコレクションについて講演をさせていただきました。

 

藤田 そのときに展示した《六龍図》を見て、東京のとある美術商の方からお電話があって「あの作品はボストン美術館にも引けを取らないすごい作品だよ」と言われたんです。クリスティーズなどに出したらすごいことになる、と。当時はまったく作品を外に出す気はなかったので、「いやそんなこと考えてませんよ」とお答えしたのですが、数年後に、この美術館の建て替えのためにいくつかの所蔵作品をオークションにかけることになりました。《六龍図》も出品され、そのとおりのことが起きたので、「ほらー!」と言われました(笑)。

 

千 現クリスティーズジャパン社長の山口 桂さん(ART TALK_03)がご自分用のお茶碗を探されているときに戸田商店さん(日本最古の茶道具商で、藤田美術館とも縁が深い)にお連れしたことがありました。そのあと、この美術館の建て替えについて戸田商店さんから意見を聞かれたときに、以前お連れした山口さんが、その頃はクリスティーズニューヨークにいらしたので、いっぺんご相談されたらどうですか?ってお話をしたのがスタートでしたね。もし作品を出されるのであれば、日本ではなく海外のマーケットのほうが絶対にいいと思いますと申し上げました。名前が表に出てしまうけれど、建物の建て替えということでもありますし。その後、より公平性を期すためササビーズさんと競合の末、最終的にクリスティーズさんに決定されました。

藤田 ちょうど公益財団法人に移行したばかり、という時期でもあったので、名前は公表されるけれども、オークションであればマーケットが価格を決めるので、そのほうがフェアで透明性があるのではないかという話になりました。それで山口さんとお目にかかったら、何かとてもお話ししやすくて。後で気づいたら、僕がこの業界に入りたての頃から愛読していたブログの書き手が山口さんでした。

 

千 「桂屋孫一のニューヨークアートダイヤリー」ですね。英語で名前を呼ばれるときに、カツラヤマグチが、カツラヤマゴイチに聞こえる、という。

 

藤田 それでクリスティーズにお願いすることになり、2016年に1年かけてプロモーションが行われ、2017年3月にニューヨークでオークションが開かれました。

 

千 私もニューヨークの北野ホテルでお茶会を、というお話もあったので、オークションに合わせてニューヨークに行きました。

 

藤田 僕は行かなかったのでその時の実際の様子はわからないのですが、現地ではどうでした?

 

千 私は藤田美術館のご紹介とコレクションの特徴をお話しする講演もクリスティーズでさせてもらったのですが、あそこまでのオークションの現場に実際に参加したのも初めてでしたし、本当に「すごい現場を見た」というひと言に尽きますね。《六龍図》がいちばん盛り上がりましたが、ほかの作品でも、ビットがどれだけ続くんだろう、という感じでしたし。

 

藤田 僕はネット中継で見ていたのですが、最初のロットの競りが始まったときに、感覚的にそう思ったのかもしれませんが、一声目が出るまですごく長く感じました。始まった瞬間に、会場がシーンとして、ネット中継が切れたのかと思ったくらいでした。誰も札を挙げてくれずに、このまま終わってしまうのではないかって。

 

千 実は前日が大雪だったので、私は1作目は間に合わなくて、2作目から拝見しました。

 

藤田 最初の札が挙がってからは順調だったようで、ホッとしました。

 

千 意外な作品がすごい価格になったり、これはもう少しいくかな、という作品がそれほどでもなかったり。

 

藤田 そうでしたね。

 

千 むこうはイブニングセールでしたけど、こっちは朝ですものね。朝からあのテンションはなかなかきついですね。

藤田 朝からはきついですね(笑)。いちばんよく覚えているのは、オークションが終わってすぐに、同じく現地に行ってくれていた戸田商店の戸田貴士さんから電話があって、「いま若宗匠が横にいるから代わるね」って少し話をしたんですよね。そのときに「これからがやっとスタートですね」って言ってくださって、すごく嬉しかったんです。

 

千 そんないい話しましたっけ(笑)?

 

藤田 懐かしいですね。

 

千 とはいえ2017年だからそんなに昔の話でもない。5年間は大きいですよね。

 

藤田 ここ5〜6年は本当に内容が濃かったです。

 

千 翌年の10月には、興福寺中金堂の落慶法要があって、私がお献茶、藤田美術館さんが慶讃茶会の席主を務めてくださって。そのお席で館長が選んでくださった茶杓が、例の《茶瓢》だったんですよ。初めて一緒に務めるお茶会だったからこそ、そこに思いを重ねてくださったんだと感じ入りました。

 

藤田 そうですね。あれは大変でしたけれど、楽しかったですね。

 

千 私も5日間連続でお献茶するということは前代未聞でしたが、藤田美術館さんも5日間連続で席をもたれて、しかも毎日主茶碗を変えるということをされて。

 

藤田 中1日は、床の飾りも変えました(笑)。それで暮れの打ち上げの席で、若宗匠に乾杯の音頭をお願いしたら、かんぱーい、のグラスを合わせる瞬間くらいに早口で「あ、そういや来年結婚します」って。全員のけぞりました(笑)。

 

千 ちょうど結納が終わった直後くらいでしたね。興福寺、結納、翌年結婚式、ときて、新型コロナでこれまでの流れが一度停滞しました。こちらはその間は開館準備の時期だったので、タイミングがよかったですよね。

 

藤田 タイミングには本当に恵まれました。話が戻りますが、ニューヨークのオークションのときも、前日の大雪でこのままいくと交通が全部麻痺して何もできないのではないかといわれていたのですが、有難いことに晴れてくれて。

 

千 天も味方してくれてのことだったのでしょう。(後編に続く)

 

千 宗屋(せん そうおく)

1975年京都生まれ。武者小路千家第15代家元後嗣。斎号は隨縁斎(ずいえんさい)。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学大学院前期博士課程修了(中世日本絵画史)。2008年、文化庁文化交流使としてニューヨークを拠点に世界各国で活動。明治学院大学非常勤講師、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授、同志社大学特別講師を歴任。近著に『千 宗屋の和菓子十二か月』(文化出版局)

 

藤田 清(ふじた きよし)

1978年神戸生まれ。大学卒業後、藤田美術館に学芸員として勤務。2013年に館長就任。藤田傳三郎から数えて五代目にあたる。

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