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ART TALK_07 | 日本美術を撮る

小野祐次さん(写真家)

 

今回のゲストは、フランス在住ながら、仏教美術をはじめとする日本美術の撮影に精力的に取り組み、“光”をテーマとした作品を発表するアーティストとしても活躍する写真家の小野祐次さんです。現在、雑誌『家庭画報』にて「藤田美術館の新たな船出」と題した不定期連載で撮影を担当していただいている小野さんに、日本美術の撮影について、日本美術と西洋美術の違いなどについて伺いました。

 

2019年4月13日〜6月9日に「特別展 国宝の殿堂 藤田美術館展 曜変天目茶碗と仏教美術のきらめき」が開催された奈良国立博物館前にて。
2019年4月13日〜6月9日「特別展 国宝の殿堂 藤田美術館展 曜変天目茶碗と仏教美術のきらめき」が開催された奈良国立博物館前にて。

 

古井戸茶碗《老僧》の思い出

 

藤田 清(以下藤田) 初めてお会いしたのは、『名碗を観る』(世界文化社刊)で、《老僧》を撮っていただいた時でしたね。

 

小野祐次(以下小野) そうですね。あの時(2010年頃)はまだフィルムで撮影していました。

 

 

藤田 撮影現場で、小野さんは林屋晴三先生(陶磁器研究家、『名碗を観る』著者。1928〜2017)に、ものすごく叱られていましたよね(笑)。最初はびっくりしました。

 

小野 はい。撮影中に耳のすぐそばで怒鳴られて鼓膜が破れそうになったり、ポラロイドを引きちぎられたりしたこともあります。本当にもう、逃げたいくらい怖かったです(笑)。

 

藤田 ああいう、いわゆる“雷親父”みたいな方はもういないですよね。《老僧》のときは、高台の写真を「なぜ撮らないんだ!」って烈火のごとく怒っていらっしゃいました。

 

小野 怒られた後に撮影した高台の写真については後日談があって、『名碗を観る』が出版された際の某新聞のインタビューで、林屋先生が「これは二つとない写真だ」と大変に褒めてくださっているんです。叱っていただいたのは、本当に財産だと思っています。

 

古井戸茶碗 銘老僧
古井戸茶碗 銘老僧

 

藤田 藤田美術館所蔵作品のもっともセンセーショナルな写真のひとつでした(笑)。僕たちも展覧会ごとに記録用の撮影をするのですが、《老僧》の高台を撮影しようとすると、だんだんあの構図に近づいてしまうんですよ。少しずつ調整しているうちに「あれ? 同じ向きになっているかも」って。それだけ、あの写真の印象が強烈に残っています。

 

 

小野 お茶碗に導かれているのだと思います。お茶碗が持っている力がものすごいですから。

 

藤田 こっちだよ、って言われているような。

 

小野 そういう交信が成立すればしめたものですよね。美術品に限らずですが、超一流の被写体に対峙した瞬間、明らかにファインダー越しに挑発されているのを感じます。

 

藤田 「あなたに撮れますか」という感じで?

 

小野 そうですね。最初に必ず、そんな風に問いかけられます。そしてどんどん引き込まれていくのですが、もっと行かなければならないのに、まだそこに到達できていない、うまくいかない、納得できない、というときに、僕は、周囲に誰がいようが、被写体が何であろうが「くそっ!」って言ってしまう(笑)。あれはすべて、自分に対して言っているんです。

 

藤田 そうなんですね。仏像の前でもおっしゃってますよね(笑)。

 

小野 仏様も苦笑いされていると思います。僕にも申し訳ないという気持ちはもちろんあって、「お騒がせしています、本当に申し訳ありません! 30分だけ!」と。それで、あだ名を付けられちゃった。

 

藤田 それは若宗匠(武者小路千家 家元後嗣 千 宗屋氏)が。被写体にゴリゴリいくから、ゴリさん(笑)。

 

 

小野 作品からは「あ、またゴリゴリが来た」と思われているのだと思いますが、見捨てられないように、食いついて、必死に追いかけています。

 

 

西洋美術と東洋美術の違い

 

藤田 小野さんは30年以上パリに住んでいらっしゃいますが、やはり西洋と東洋の美術は違いますか?

 

小野 違うと思います。作者や作風にもよるので一概には言えませんが、やはり違うと感じています。パリで暮らし始めて、ある日、絶対に勉強しないとダメだ、ここにいてそれをしないのは、目の前の宝の山を見過ごすことになる、生きながら死んでいるようなものだと思い、据え膳を食い散らかしてやろうと徹底的に勉強しました。ルーブルやオルセーをはじめ、美術館という美術館に通い、年代、手法、画家名、作品タイトルなどを頭に叩き込んで、その上で、僕は“作品を目で見るのではなく皮膚で見る”と言っているのですが、心を真空状態にして観ることができるような段階まで到達したいと考えていました。そうして年を経ていくうちに、今度は日本のことが気になり始めたんです。同時に、さまざまな日本の美術作品を撮影する機会や、人との出会いが一気に増え始めました。

 

藤田 撮影をする上でも違うものでしょうか。

 

小野 まったく違いますね。日本美術のほうが、遥かに難しい。西洋美術は足し算の美しさですが、日本美術は引き算なので……。

 

藤田 写真にとってはきついですよね。

 

小野 おっしゃる通りです。館長も撮影をされるので、よくご存知だと思うのですが、“ないものはそれ以上にはできない”という写真の本質的な条件のなかで、では自分はどうするのか、ということだと思っています。

 

 

藤田 日本美術は、空白とか余白の美学とよく言われますが、本当は余白ではないのではないかと思います。たとえば茶室でお茶碗を撮っていただくときも、後ろに掛け軸があって下に畳があって、光があって影があって。

 

小野 お茶碗を見ているはずなのですが、お茶碗を見ていないというか、お茶碗を形成する周囲の、それこそ空気のような見えない脇役が重要ということだと思います。

 

藤田 雑誌の撮影時には、たとえ掲載されるときにはトリミングされてしまう影の部分であっても、誌面で見ると、そこに影の気配が感じられるというか。撮っていただいた写真と掲載された雑誌の誌面の両方を拝見して、僕はその空気感が伝わっていると思います。そこに写っているものは、何かに繋がっていて、何かの影響を受けた何かである、ということが。

 

小野 そう言っていただけると有難いです。いつも自分に言い聞かせているのは“表現しがたいものを表現するのではなく、表現し得ることを表現しないこと”。それによって、純度の高い完成品が生まれるのではないかと考えています。

 

藤田 本当に引き算ですね。引き算をどこまできちんとできるかどうか。

 

小野 はい。僕は日本と西洋の両方を行き来しながら、それをすごく感じていますし、両方を感じることができる機会を与えていただいていることに感謝しています。

 

 

古伊賀花入《寿老人》はバケモノ!?

 

小野 撮影させていただいた作品で忘れられないのは、《寿老人》。僕はよく褒め言葉で言うのですが、バケモノだと思いました。床の間に置かれた瞬間に、ふっと次元が変わって、完全に世界を支配していると感じました。今でも怖くて身震いするほどです。

 

重要文化財 古伊賀花生 銘寿老人
重要文化財 古伊賀花生 銘寿老人

 

藤田 あの花入は、僕もいつも不思議に思うのですが、サイズ感がよくわからなくなるんです。すごく小さく見えたり、邪魔なくらい大きく見えたり、でも床の間に置いて上に何か掛けると、不思議とシュッと引き締まったり。記録のために写真を撮っていると、気づくと画面いっぱいになっているんです。撮ったデータをモニタで見ると、思ったものと全然違う絵面にしかならない。

 

小野 支配しているんですね。なんというか、原子とか分子レベルで異常だと感じるくらい、危険な作品だと思います。本来、誰が作ったのかもわからない、作為のないものですよね。

 

藤田 偶然の産物でしょうね。土をどーんと置いて、ギュッと形を作って、焼いただけ、というような。

 

小野 しかるべき空間に置くと豹変する、こういうものがあるんだなと本当にびっくりしました。

 

藤田 作品を光と影で撮影するということと違って、空間そのものを撮るという難しさがあるのでしょうね。ある意味、《曜変天目茶碗》よりも難しいかもしれません。小野さんの作品展(「Vice Versa-Les Tableaux 逆も真なり 絵画頌」2018年12月12日〜2019年2月2日、シュウゴアーツにて行われた)で拝見した小野さんの作品も、絵画を撮影しているんだけれど、壁に飾られている絵画を撮っているのではなく、その空間が切り取られているのだなと感じました。西洋美術の絵画を撮影しているのに、どこか日本美術風で。

 

小野祐次さんが取り組んでいるTableauシリーズ 。「モネ《印象派ー日の出》」(マルモッタン美術館蔵)を、特別な許可を得て自然光のもとで撮影した作品。
小野祐次さんが取り組んでいるTableauシリーズ 。「モネ《印象派ー日の出》」(マルモッタン美術館蔵)を、特別な許可を得て自然光のもとで撮影した作品。

 

小野 観ていただいて、ありがとうございます。しかもそんな風に理解していただけて本当に嬉しいです。ここ、太字にしておいてください(笑)。

 

 

藤田 本当に、すごく面白いなと感じました。ギリギリで展覧会開催中にお邪魔することができてよかったです。空間で思い出しましたが、以前、長い間使われていなかったお茶室をお借りして茶会をする機会があったんです。最初にそのお茶室を拝見したときは、畳が古いなどといった次元ではなく、空間が“死んでいる”状態でした。でもとにかくリハーサルで何かものを掛けてみましょう、と作品を置いた瞬間に、茶室がふわっと生き返ったんですよね。ディズニー映画の魔法みたいに。

 

小野 空間として待ち望んでいたものが置かれたときに、瞬時に目が醒めるという感じでしょうか。

 

藤田 そうですね。あの感じは、《寿老人》を床の間に置いた瞬間に近いような気がします。空間が一瞬にして若返るというか。一度、《寿老人》と徹底的に向き合う、というような企画もやりたいですね。

 

小野 様々な光のもとで、どんな表情を見せてくれるのか。“《寿老人》と3泊4日”、やってみたいですね。

 

藤田 1週間でもいいですよ(笑)。

 

奈良国立博物館前で撮影中、鹿が乱入!
奈良国立博物館前で撮影中、鹿が乱入!

 

小野祐次(おのゆうじ)
1963年福岡県生まれ。1986年大阪芸術大学写真学科卒業後、パリに移住。日本とパリを往復しながらアートや宝飾、食、旅などの撮影に携わり、近年は日本美術の撮影を精力的に行う。一方で、自身のテーマである“光”を主題とし、自然光で西洋絵画を撮影する《Tableaux》シリーズと、シャンデリアに人工光を与えて撮影する《Luminescence》シリーズを発表。作品は、パリ国立図書館、カルナヴァレ美術館、ヒューストン現代美術館、パリ市立ヨーロッパ写真美術館、フランソワ・ピノー現代美術コレクション、アライア・コレクション、上海美術館、東京都写真美術館などにコレクションされている。《Luminescence》シリーズは、2020年春にシュウゴアーツ にて個展が開催される。

 

藤田清(ふじたきよし)
1978年藤田傳三郎から数えて5代目にあたる藤田家五男として神戸に生まれる。大学卒業後、2002年に藤田美術館へ。2013年に館長に就任。現在は、2022年の美術館リニューアルに向けて準備中。

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