藤田美術館には、大正5年に藤田家が高野山の光台院から移築した多宝塔があります。文化的価値も高く、開館以来多くの人に親しまれてきましたが、傷みが目立ってきたため、美術館リニューアルと同時に、修理を行うことにしました。工事真最中の現場を訪ね、今回の修理をご指導いただいた文化財建造物保存修理技術者である鳴海祥博さん、修理を手がけられた匠弘堂宮大工の有馬茂さん、大成建設の伝統・保存・木質建築推進室の松尾浩樹さん、藤田美術館館長とで多宝塔の修理プロジェクトや文化的、歴史的建造物を維持し、受け継いでいく意義などについて語り合いました。
多宝塔の知られざる魅力
藤田清(以下藤田) 資料によると、高野山に多宝塔が建立されたのが1682年から1692年の間ぐらい。藤田家に移築されたのは大正5〜7年の間ということです。ただ、どうして藤田家に移されたのかなど、わからないことが多かったです。
松尾浩樹(以下松尾) 歴史的にも価値がありそうな塔ですね。
藤田 そうですね。今回リニューアルというタイミングで、この多宝塔の価値を改めてきちんと知りたいと思い、先生に見ていただいたところ、貴重な建物ということがわかりました。
鳴海祥博(以下鳴海) 多宝塔は真言宗に独特の建物で、真言密教の中心となる仏様、大日如来を象徴するのが多宝塔だと言われています。また墓所としても作られます。多分これは墓所としての多宝塔だったのではないでしょうか。高野山にこの建物が現存していたら非常に貴重で面白いことです。
藤田 それはどのような点でしょうか?
鳴海 屋根の裏に注目してみてください。垂木(屋根板を支えるための木材)が扇を広げたようになっています。扇垂木(おうぎだるき)と呼ばれるものなのですが、そもそも高野山にはないものです。扇垂木は禅宗様式なので、真言宗の高野山では使われない様式です。高野山の垂木は平行なんです。
有馬茂(以下有馬) 技術的にも手が込んでいますね。
鳴海 なぜこのような建築様式が入ってきているのか不思議です。江戸時代という色々な建築の流派や文化が交流する時代を象徴する建物なのかもしれません。いずれにしても、この建物に目をつけて持ってきているというのは、藤田家の審美眼が働いていたのでしょう。
鳴海 多宝塔というのは建てるのが難しいんですよ。丸いところに四角い屋根をつけるのですから、技術がないとできない建物です。
松尾 一番難しいですね。三重塔より難しいと言われます。
藤田 昨年の台風の時も、ビクともしませんでした。改めて、日本の建築の凄さと伝統建築の考え抜かれた強さを感じました。
松尾 技術の集大成と言えますね。
生かすためにあるものは残す
松尾 修理の方針ややり方は鳴海先生にご指導いただきました。
鳴海 あるものは残す、という方針ですね。残せるのはどの部材か、どの部材が古いのかという視点でチェックしたところ、ほとんど古いものでした。古いものを生かしながら、当時の職人さんの技をそのまま残したいと考えました。
藤田 当時の移築については、高野山でバラバラにして、こちらでまた組み上げたということですね。その際に新しい部材でかなり改造されたという話を聞いていたのですが、ほとんどが古かったのですね。
鳴海 そうです。移築も丁寧にされていました。改造されたところとしては柱の足元が30㎝ほど切られていました。あと、屋根が銅板に変わった可能性があります。高野山であれば檜皮葺きですが、都市部への移築ということもあり、火災の危険を考えて変えたのかもしれません。
今回のリニューアルに伴い、庭園とのバランスや見栄えも考慮に入れ、よりよい場所に配置することを検討しました。全体的に傷んでいるところはあるのですが、中心にある心柱も劣化は見られずしっかりとした作りでもあり、修理するほどではないという微妙なところで悩みましたが、建物の価値を維持するためにもあまり手を入れない方がいいと思いました。移築は、建物をそのままの状態で移動する曳家という手法を選択しました。多宝塔をジャッキアップし、建ったままの状態で15mほど動かしました。解体せずにそのままの姿で移動することができるので歴史的建築物などにもよく使われる方法です。
藤田 公園の木々を背景に多宝塔がより映える場所に配置することができました。
鳴海 そうですね。屋根に関しては、銅板があちこち切れていて雨が漏る状態でした。ただ、葺き方が非常に丁寧で、外したら再現するのは難しいだろうと感じました。
有馬 そこで今回、20数年前に一緒に仕事をした際、丁寧で優秀な仕事をされていた板金職人さんを探し出し、なんとか銅板の屋根の修理をやっていただくことができました。移築当時のやり方や手順を紐解くのに苦労しましたが、仕事ぶりを見ていると当時の職人も初めての経験だったのではないかと思います。
鳴海 大正時代のブリキ職人の技術はすごいなと改めて思います。今回修理をしてくれた職人さんもその技術を受け継いでいるようで、今まであった銅板を丁寧に取り外して使ってくれるなど、現状を生かしながら本当によくやってくださいました。
屋根部分も、年月をかけて自然にできる緑青を残しながら、丁寧に補修がなされましたね。
藤田 銅といえば、明治時代の後半から藤田家の事業は銅の採掘が中心になっていました。多宝塔の屋根と何か関係があると分かれば面白いですね。
松尾 今回、使用せずに残った部材をリストにしていただいたり、修理の方法などもデータとしてまとめてくださっていますね。
有馬 1年後に聞かれてもどうだったか思い出せなくなるので(笑)。いつもはここまではしませんが。
松尾 データは貴重な財産になります。
藤田 今後の歴史的建造物の補修に、このデータが生かされると今回の補修を手がけた甲斐があります。
有馬 鳴海先生の指導のもとに修理ができて、大変勉強になりました。データは将来修理をされるときに参考にしていただきたいです。
修理の大切さとその意義
藤田 古い建物の補修は多いのですか?
有馬 阪神淡路大震災以降、最近は多いですね。
松尾 建築物的にも保存活用という流れが来ていますね。
鳴海 古くなると劣化してもうだめだと考える方が多いかもしれませんが、長期的に見ると、古いものを残した方が長持ちします。新しく作ったものは意外とそんなに長期間もちません。
有馬 私もそう思います。
鳴海 例えば400年前の木と今、山で切ってきた木と、どちらが長持ちするかというと、400年前の木です。年輪の幅が違います。
有馬 目が詰まっていますね。それから乾燥の方法もあります。昔は天日干しで時間をかけてやっているので、いい成分が残っているんですが、現在一般的な高温乾燥をすると、ものすごく乾くのですが、木の中のいい部分が全部出てしまいます。
鳴海 そういう部分も含めて、古い木の良さについて、一般の方々はなかなか実感できないでしょう。木は古くなると色が変わってきますし、きれいな木の方がいいと思うかもしれませんが、中身は全然違います。
藤田 確かにそうかもしれません。
鳴海 修理するといくらかかるかと工務店などに相談しても、高くつくから新築しましょうということになって、古いものが残らないという現状があります。修理する方が高いはずがないんです。材料はすでにあるのだし、加工しなくてもいいのですから。修理するとどうなるか、イメージが湧きにくいと思いますが、修理というのはクリーニングだと思ってほしいですね。そして、色々な予算に応じたやり方やメニューがあるので、修理して残すということを考えてみてほしいです。今回は、普通はなかなかしないのですが、せっかくなら建物全体を掃除して、きれいにしましょうということで、大掃除をしました。
松尾 刷毛でさっとなぞるだけでも、変わりました。
藤田 本当に見違えるほどきれいになりました。
鳴海 特に飾り金具や錠前は、きれいにしてみるととんでもなく素晴らしいものでした。銅製の飾り金具の桐紋釘隠しや唄金物はそれぞれ16カ所ありましたが、一つずつサンプルとして、梅酢を使った超音波洗浄を行いました。どちらも緑青の下から文様が表れ、金色に光りました。ただ、時間を積み重ねてできた緑青をそのまま残すため、他は水洗い程度にとどめています。
有馬 緑青に覆われることで、内部の腐食を防ぐ効果もあります。
藤田 飾り金具も錠前も、実際はこんな文様があったんですね。先生のおっしゃる通り、きれいにしていただくとますます愛着がわきます。洗浄したものと時間が経過したものとを見比べるのも面白いですね。
鳴海 修理する前はボロボロになっていたり、埃まみれになっていたりして、なかなか良さがわからないものです。修理をすることによって、良さを認識することができます。
藤田 本当に、この多宝塔の文化的、歴史的価値や魅力をより一層実感できるようになりました。藤田美術館に来られた方が必ず目にしていたシンボリックな塔なので、その価値をきちんと見直した上で、その姿をより鮮明に来館者の方々に見ていただきたいと思っていました。皆さんの力を結集していただいた今回の修理は、材料から技術まで、文化的、歴史的建造物をより詳しく知るきっかけとなる貴重な機会となりましたし、まだまだ研究の余地があることもわかりました。次の世代への知識や情報の蓄積の一端になることを期待しながら、今後もこの塔を大切に受け継いでいきたいと思います。
鳴海祥博(なるみよしひろ)
1973年から2010年まで、和歌山県内で文化財建造物の保存修理に従事。文化財建造物保存修理技術者として、日本各地の歴史的建造物の保存と継承につとめている。
有馬茂(ありましげる)
京都市の有限会社匠弘堂専務取締役、宮大工2代目棟梁。 北九州高専で化学工学を学ぶも、阪神大震災をひとつの機に、サラリーマンから宮大工を志す。伝統的木造建築技術を駆使して、日本文化の伝承と発展に寄与している。
松尾浩樹(まつおひろき)
大成建設株式会社設計本部専門設計部伝統・保存・木質建築推進室長。1998年より、伝統建築に携わり、法然寺五重塔などを手がける。
藤田清(ふじたきよし)
1978年藤田傳三郎から数えて5代目にあたる藤田家五男として神戸に生まれる。大学卒業後、2002年に藤田美術館へ。2013年に館長に就任。現在は、2022年の美術館リニューアルに向けて準備中。