「アートを通した新しい体験を提供する開かれた施設」として2008年に開館した十和田市現代美術館。2010年、通りを挟んだ向かい側にオープンエア作品を設置した「アート広場」が開設され、桜と松の並木が美しい官庁街通り全体をひとつの美術館に見立てた「Arts Towada」が完成しました。準備段階からこのプロジェクトに参画し、2016年館長に就任した小池一子氏を藤田館長が訪ね、街に開かれた美術館の意義を伺いました。
シンボルロードの空き地にこつ然と建てられた美術館
藤田 清(以下藤田) 私たち藤田美術館は、明治時代に建てられた藤田邸の蔵を改造した展示室を使って、63年間美術館を運営してきました。恥ずかしながらこの間、地域のランドマークになるという感覚であるとか、地域とつながるという意識をあまり強く持ってこなかったように思います。リニューアルにあたり、美術館が地域にもたらすもの、地域から美術館にもたらされるものをしっかり考えたいと思い、お伺いさせていただきました。
小池一子(以下小池) 十和田市現代美術館は、国の出向機関の統廃合などで空き地が目立つようになった官庁街通りの景観の保全とまちの活性化のため、当時の市長さんのお声掛かりでスタートしたプロジェクトです。美術館が面している桜と松の美しい並木が続く「官庁街通り」は、市のシンボルロードでもあり、そこにできた空き地にアートを置きたいということから始まりました。
藤田 現在はどうしても、大きな土地が空くとショッピングモールなどの大型商業施設を作ろうという話になってしまいがちです。それを見るたびに「ほかにもっと何かあるんじゃないか」と思っていたので、今回ここに伺って、空いた土地に美術館を建てるというコンセプトがまず素晴らしいなと思いました。それまで、十和田にアート、しかも現代アートというイメージはなかったですよね。
小池 そうですね。本当にこつ然と建ちました(笑)。ただ、十和田は青森のなかでも弘前や八戸のように古い街ではなくて、開拓の人々を中心に作った新しい街なので、これは現代美術が何かやるしかない、こんなにふさわしいテーマはない、ということでスタートしたんです。
藤田 美術館を建てるということにあたっては、障害や壁のようなものもたくさんあったのではないかと思いますが、いかがでしたか?
小池 街の人々も、最初から全員賛成してくれていたわけではないと思います。ですから当時の市長さんの慧眼だと思いますね。アートが人を楽しませ、生き生きとさせるということ、そしてそれを見に来てくれる人が出てくるという、観光誘致のお考えもしっかりあって。美術館の建物ができて10年目、通りを挟んだ向かい側のアート広場ができて8年目なんです。この見事な桜並木と松並木を挟んで、両方の場が活性化しました。お陰で、本当に大勢の方がいらしてくださっています。
藤田 場に人がいるということは、とても大切なことですよね。
小池 そうですね、この場所もまったく変わりました。この一角からふわーっと明るくなって。
小学校の校歌に歌われる、街の“たからもの”
小池 今日はたまたま近くの小学校に招かれまして、この対談の前に行って来たんです。生徒が自分たちでふるさとの新しい歌を作り、その歌詞のなかに「美術館」や「アート広場」という言葉が入っているということで、500人の子どもたちが歌ってくれて、感激しました。
藤田 それは素晴らしいですね。
小池 これは、街の皆さんがどういう風にこの美術館を見てくれていたのかということですよね。学校の先生と生徒たちが自発的に愛唱歌の歌詞に入れて歌ってくれるなんて、本当に嬉しかったですね。しかも歌のタイトルが「たからもの」。十和田のふるさとの宝物だって言ってくれているんですよ。御礼に私がお話をさせていただいたんですが、もうね、1枚スライドを出すたびに「キャー、行ったことがある、知ってるー!」って子どもたちが声を上げて喜んでくれました。
藤田 ああ、それはいいですね。「アート広場」でも小さなお子さんが楽しそうに遊んでいましたし、このカフェも、とてもオープンな空間ですね。
小池 このカフェは美術館のものであり、市民のものでもあるので、ここにお弁当を持ち込んでもいいんですよ。マイケル・リンの作品であるフロアに並べられた椅子に座って、近くの中学生や高校生がお弁当を食べながら宿題をしたりしています。
藤田 私たちの新しい美術館でも、蔵をイメージした展示室の周りの空間をガラス張りにして、今はここを「広場」と呼んでいますが、そこで色んな人とつながるようなことをしていきたいと思っています。さらに、これまで道路との境にあった塀もなくし、歩道から何をしているのかが見えるようにしたいと考えていたのですが、まさに十和田市現代美術館がなさっていることですね。
小池 建築家の西沢立衛さんによって、ひとつのホワイトキューブにひとつの作品という、空間とアートがひとつずつという建築が考案されました。そのいくつかは歩道に向かってガラス張りになっているので、外からも作品を見ることができます。よく小学生なんかが外から覗いていたり、敷地内のキューブとキューブの隙間で遊んでいたりします。美術館なりアートなりが、生活の中にしっかりと浸透して、子どもたちの記憶の原風景に残るような環境になり得るとしたら、本当にいいなと思いますね。
藤田 私たちのコレクションは、私自身も幼稚園のときに見たことがありますが、やっぱりあまり覚えていないんですよね(笑)。仏教美術も「なんか怖い絵だな」としか思っていなくて。だからといって、どうせわからないからいいや、ということは一番いけないことなのではないかと考えています。子どもたちにお茶の文化を伝えていくことなどを、常に模索していきたいと思っています。
街に開かれ、つながる美術館とは
藤田 私たちの考えている「広場」では、ここで子どもたちが寝そべってもいいし、講演会があっても、何かインスタレーションがあってもいいし、企業が使ってもいいというような、自由な空間にできればと考えています。ここには畳敷きの広間も作りますが、そこはお茶会や座学などに使えるといいなと。「広場」の中にはお団子が食べられるお茶屋さんも作る予定です。一方で、蔵をイメージした展示室では、トラディショナルな展示もしっかりやっていこうと思っています。やはり、これからリニューアルするにあたって、単純に建物を新しくしました、では面白くないですし、もったいないと思うのです。何か新しい挑戦ができるような場所になればいいなという話をしているところです。
小池 元々のコレクションがおありになって、それはどこにも真似のできないことなのですから、その発展系で現代美術をなさるというのも素晴らしいのでは? たとえば若いアーティストのレジデンシープログラムなどもいいですね、制作中はドミトリーのような感じの泊まれるところがあって。
藤田 そうですね、「広場」で公開制作してもらったり、若手のかたにギャラリーとして使ってもらったり。そのかたが次々と成功していくというのが理想ですよね。
小池 現在を生きている、今の私たちの間で生まれてくるものをみんなで楽しんだり発展させたりすることはすごく素敵なことだと思います。十和田市現代美術館には、外壁に描かれた奈良美智さんの作品があります。奈良さんは青森出身の人ですので、地元から羽ばたいた、今や世界中に人気がある作家の作品があるということが、すごく嬉しいことなんですよね。私は、芸術大学を出たばかりの作家が作品を発表するために、お金を払って場所を借りるギャラリーしかないことを疑問に思って、何とかサポートできる場を作ろうとオルタナティブスペース(佐賀町エギジビット・スペース)を始めました。昭和2年に建設された「食糧ビル」という、名建築でも何でもない建物でしたが、昭和の棟梁たちが一生懸命造った柱のない80坪の空間でした。そのくらいの広さがあるとかなりのことができるので、アーティストたちに、空間模型を作ってどのようにインスタレーションするのかをプレゼンテーションしてもらっていましたね。そこで大竹伸朗や森村泰昌、杉本博司、内藤礼といった人々が仕事をしてくれて、今ではみんな仰ぎ見るような大作家になってしまいましたが(笑)。
藤田 そういう場の力ってありますよね。
小池 そうなんです。本当に不思議なものですね、空間の力というのは。美術館にはリラックスする場も必要ですが、アーティストの仕事を見る、“見るべきものを見る空間”というものも本当に大切だと思います。
藤田 集中して、緊張感をもって作品を見る場と、このカフェのようにリラックスして話をしたりできる場と。私たちの美術館でいうと、トラディショナルな展示をする閉じた空間としての展示室と、リラックスできる開かれた場所としての「広場」ということになりますね。そしてガラス張りの「広場」から、周辺につながっていくというイメージです。
小池 美術館の隣は公園なのですか?
藤田 はい。大阪市が管理する藤田邸跡公園です。これまで美術館とは塀で仕切られていたのですが、リニューアル後は壁をなくして公園と一体化させて、行き来できるようにしたいと考えています。その隣が大阪市の旧公館で、現在はレストランになっています。美術館の向かいには、太閤園という結婚式場もあります。藤田美術館のある場所一帯は、元々藤田邸のあった網島という場所ですが、立地としては大阪の中心からほど近いにもかかわらず緑が多い地区でもあり、大阪城のすぐ北で、有名な桜の通り抜けもすぐそばです。できればこの地域全体を活性化したいと思っています。
小池 すっかり変わりそうですね。地域とつながると同時に、そこで「何かを見たい、どんないい空間が楽しめるんだろう?」ということを目指して、観光客も立ち寄ってくれる場所になるといいですね。この十和田市街も、これまでは青森観光に訪れた人にとって通過点でしかありませんでしたが、美術館ができてからは必ず寄ってくれるようになりました。入場者数の多さは、その反映だと思います。
藤田 関西には私立の美術館が多いのですが、今年の3月、中之島に朝日新聞社の創業者である村山龍平氏が蒐集したコレクションを展示する香雪美術館の分館「中之島 香雪美術館」がオープンし、美術館巡りで大阪をぐるりと一周できるようになります。「中之島 香雪美術館」は、同じビルの上階にコンラッドホテルが開業するので、国内外の宿泊客がすぐ下にある美術館に立ち寄って、そこから藤田美術館だけでなく、周辺の美術館も巡る、というルートができるといいなと思っています。色々と情報を共有して一緒に発信していきたいですね。
小池 楽しみですね。開館されたら、ぜひ伺います。現代美術の作家さんはいい方がたくさんいらっしゃるので、ぜひ現代美術にも挑戦してください。
小池一子(こいけ かづこ)
クリエイティブ・ディレクター
早稲田大学文学部卒業。アドセンターにて、アートディレクター堀内誠一氏のもと、編集・広告企画、執筆を開始。1961年よりフリーランスとして、アートディレクター田中一光氏とともに西武百貨店やパルコなどのコピーライティングや編集企画を手掛ける。1976年、編集・デザイン・美術展企画などを行う株式会社キチン設立。1980年に無印良品の立ち上げに参画し、現在もアドバイザリーボードを務めている。1983年、昭和2年に建築された「食糧ビル」内に「佐賀町エギジビット・スペース」を創設し、2000年まで運営。現在は「3331 Arts Chiyoda」にてその活動と資料、作品コレクションを検証し、展示し、語り、学ぶための空間「佐賀町アーカイブ」を主宰し、アーカイブをショーケース化するという新しい試みを行っている。2016年十和田市現代美術館館長就任。武蔵野美術大学名誉教授。近著は、昨年ドイツの出版社タッシェンから発売された『ISSEY MIYAKE 三宅一生』に収録されたエッセイに書き下ろしを加えた『イッセイさんはどこから来たの?』(HeHe)。2017年度エイボン女性年度賞大賞受賞。
藤田 清(ふじた きよし)
藤田美術館館長
1978年、藤田傳三郎から数えて5代目にあたる藤田家五男として神戸に生まれる。大学卒業後、2002年に藤田美術館へ。2013年館長に就任。現在は美術館リニューアルに向けて奮闘中。
十和田市現代美術館
青森県十和田市西二番町10-9
TEL 0176-20-1127
開館時間
美術館:
午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
cube cafe & shop:午前9時〜午後5時(ラストオーダー午後4時30分)
休館日:
月曜日(月曜日が祝日の場合は、その翌日)、
年末年始、イベントや工事、メンテナンス等での臨時休館あり