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学芸員がやさしくアートを解説します|茶杓 銘 吾友

大切な友に贈る

茶杓 銘 吾友

―これは何でしょうか?

江戸時代に作られた茶杓です。「吾友(わがとも)」という銘がついています。

 

―身もふたもない言い方ですけど、竹を削っただけなのに、なぜこんなに価値があるものになったのでしょうか?

そうですね、本来であれば茶席で使われる消耗品です。しかし今まで50選でご紹介した作品のように、「誰が作って誰が所持したか」という伝来と歴史によって、今日まで大切に受け継がれています。

 

―なるほど、これもそのような伝来を持つ茶杓ということですね。

はい。この茶杓は江戸時代を代表する文化人たちの交流の様子がわかる貴重な作品です。作られた背景を知ると、ちょっと鑑賞が楽しくなるかも?

 

―ということは、これは有名な人が作ったのでしょうか?

小堀遠州(こぼりえんしゅう[1579~1647])という人物が作りました。豊臣家、徳川家に仕えた大名で、江戸幕府の要職を務めるかたわら、文化人としても活躍しました。特に茶人として有名で、千利休(1522〜1591)を師とする古田織部(1544〜1615)に学び、現在も続く遠州流という茶の湯の流派の祖となりました。また、建築や作庭にも造詣が深く、なんでも器用にこなすマルチタレントな人だったようです。

 

―たしかに、小堀遠州ってよく聞く名前のような気がします。

はい、藤田美術館には遠州ゆかりの作品がたくさんあります。機会があったらぜひ見つけてみたくださいね。→入門50選 第9回重文 古瀬戸肩衝茶入 銘 在中庵

 

―でも茶杓って、正直どこを見たらいいのか困るんですよね…。

そうですね、いろいろな作品のなかでも一番解説するのが難しいです。何十年も美術史研究に携わっている私の元指導教授も、「正直茶杓と刀剣だけは未だによくわからない」と言わしめるほど。

ただ、茶道具の中では、茶人みずからが作る数少ない道具のひとつで、それぞれの個性があらわれるところが見どころでしょうか。

 

―なるほど。この茶杓の特徴ってどんなところでしょうか?

竹の節の位置がやや下にあり、変わった形をしています。白っぽい竹を使っていたようです。

全体的にすっきりとした端正な造り

 

―遠州は何のためにこの茶杓を作ったのでしょうか?もちろんお茶で使うためだとは思いますが。

これは実はお友達へのプレゼントなのです。松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう[1624~1644])という人物のために、遠州がみずから茶杓を作って贈ったことがわかります。茶杓が入っている共筒(ともづつ)の表には、「昭乗法印御坊まいる 宗甫」と書かれています。「宗甫」は遠州の号の一つで、「昭乗法印」つまり松花堂昭乗を訪ねてこの茶杓を贈った、ということになります。

 

―贈った相手・松花堂昭乗はどんな人なのですか?

この人も江戸時代を代表する文化人ですね。書、絵画、茶の湯に精通しており、特に書に関しては、同時代において「寛永(かんえい)の三筆」の一人として名前があげられるほど優れていました。京都・石清水八幡宮の社僧で、瀧本坊(たきのもとぼう)に住んでいました。

 

―大物の友人は、これまた大物なんですね。

実はこの茶杓にはもう一人関係者がいます。共筒の裏に、この茶杓の銘の典拠になった漢詩が書かれています。

共筒(裏):「吾友 一竿依旧塵視山花/友干在我日々喫茶 欠伸子」

 

―本当だ!何て書かれているのでしょうか?

「吾友 一竿依旧塵視山花友干在我日々喫茶 欠伸子」と書かれています。

「欠伸子」は江月宗玩(こうげつそうがん[1574~1643])の号で、小堀遠州と松花堂昭乗の共通の友人でもある禅僧です。大阪・堺の豪商で茶人である津田宗及(つだそうぎゅう[?~1591])の子で、京都・大徳寺龍光院(りょうこういん)の住持(じゅうじ)などを務めました。この人もまた詩、書、画、そして茶の湯に通じた文化人として名を馳せており、茶の湯などを通じて遠州、昭乗らと親交を深めていました。

「吾友」とは竹の異名なので、この茶杓そのものを指しています。続く漢詩では、旧友(遠州)から贈られたこの茶杓を使って、山を見て、花を友として静かに日々茶を嗜む心境を詠っています。この宗玩の漢詩がきっかけとなり、「吾友」が茶杓の銘となりました。

 

―当時の彼らの交流と「吾友」という名前がリンクしているんですね。

ちなみにこの茶杓には、昭乗から遠州に宛てたお礼状があり、添状として掛軸になっています。

軸装された、昭乗から遠州に宛てた礼状

 

―どんな内容ですか?

どうやら遠州は、この茶杓と一緒に羽箒もセットで贈ったようで、それらに対するお礼状ですね。

一部内容をご紹介しましょう。[以下書き下し、現代語訳(一部抜粋)]

【書き下し】

一 御茶杓拝受 さてゝゝかたじけなき/御事中々心も心ならず候ことにくれ/竹のためしなき見事さ茶入につけて/よゝにつたへ可申候 誠に千尋あるかげに立/よるさちにこそと返々ありがたく覚申候/並羽箒弐具拝受是又たぐひなき/さま重畳のかたじけなさ中々書中/に御礼難申上候愚意之程被成御推量可被下候万事

老倅世のまじはりもむつかしくこゝちよはり/候つるに拝受之二色にてわかがへりいか/なるいく薬も是にしく事あるまじく閑居/之もてあそびかのふる人の吾友も此竹/ならぶまじく候中々袖につゝむうれしさならねば/袂ゆたかにともねがはず候

【現代語訳】

一 お茶杓拝受いたしました。さてさて、とても有難いことでございます。あなた様も中々気が気でないことでございましょう。とりわけ呉竹の見た事の無いほどの見事さ、茶入に付けて代々伝え申し上げることとします。 本当にとても広く深い拠り所にり添う幸せと、本当にありがたく思い申し上げる事です。

一方で羽箒を二揃い拝受いたしました。 これまた比べるものがない程の様子、重畳のありがたさ、なかなか手紙では御礼を申し上げることが難しいことでございます。 私の思いの程を御推量下さい。

何事も年寄りと若者世代の交わりが難しく、心が弱ってしまったところに、頂いたこの二つの品で若返りました。どんなすばらしい薬も、これに匹敵するものはなく、閑居でこれを慰みとしています。かの昔の人の吾友も此の竹にならぶものではないでしょう。中々、袖に包むような喜びが無いのであれば、袂が豊かになるようにと願うこともないでしょう。

 

―かいつまんで言うと?

大意としては、自分(昭乗)は年を取っていつしか世間との交わりが途絶えて心身が弱っていたが、思いがけず(遠州から)この茶杓(と羽箒)をもらって若返った、と言っています。このような真心はどんな妙薬にも勝るものである、として感激したようです。

 

―素敵なエピソードですね。なんだかほっこりしました。

彼らはそれぞれ年齢も立場も違いますが、茶の湯がきっかけとなり、その壁を越えて友誼(ゆうぎ)を結ぶことができたということですね。ちなみに、藤田傳三郎没後5年に開催された網島大茶湯(大正5年11月20日~25日)においてこの茶杓が使われました。傳三郎の親しい友人や同好の士を招いた茶会でしたので、この茶杓のエピソードと共に、故人を偲んで懐かしんだのでしょう。

 

―ひとことで言うと?

茶杓は友情の証。

 

 

〔今回の作品〕

作品名:茶杓 銘 吾友

制作年代:江戸時代 17世紀

作者  :小堀遠州

小堀遠州が松花堂昭乗のために作って贈った茶杓。共筒には江月宗玩による詩句が書かれ、それに因んで「吾友」と名付けられた。後日、昭乗が遠州に宛てた礼状が添っている。

 

藤田美術館

明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。

 

本多康子

藤田美術館学芸員。専門は絵巻と物語絵。美味しいお茶、コーヒー、お菓子が好き。最近買ったおきにいり:ミャクミャクのぬいぐるみ(中)

 

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