—これはどんな作品ですか?本…?
「古代裂帖」という1冊のアルバムです。様々な種類の古い布切れが貼り付けてあります。
—コラージュ作品ということ?それともコレクション的なもの?
コラージュというのは素材を切り貼りしてアートを作る技法ですが、それとは違います。あくまで布のカタログ、コレクションです。古くて価値のある布地はたくさん残っているわけではないから、色んな端切れをちょこっとずつ集めて、丁寧に貼って記録しているのです。“布コレ”です。
—どうやって使うアルバムなのでしょうか?これをもとに服とかを作ったりする?
そういうケースもあると思いますが、この「古代裂帖」はあくまで記録用だと思います。珠玉の布コレとして鑑賞し心を満たすのでしょう。
—アルバムは誰がいつ作ったんですか?
製作者は分かっていません。表紙の裏に牡丹と鳳凰の絵が描かれていて、19世紀前半の住吉派の絵師・渡邉廣輝(わたなべひろてる、1778~1838)のサインがあるので、江戸時代後期に作られたと考えられます。

—へぇ~、この布たちは、江戸時代の時点で既にとても古いものだったってことですね?
そういうことです。例えばこちら。今回特に取り上げたいのは、このページの布です。

—お~、独特なデザイン。この布はいつ作られた布ですか?
室町時代中頃から江戸時代の初めにかけて作られていた布でして、特に桃山時代(1573~1603)が最盛期だったといわれています。なので、今からいうと430年前くらいで、江戸時代当時からすると230年前くらいの古い布切れだということ。
—どうやって作った布なのでしょうか。
布自体は薄い絹です。絞り染めを主体に様々な模様を表す「辻が花」という名前の技法がつかわれています。染めたり、描いたりと、色んな技法がこの一枚に凝縮されているんですよ。

—絞り染めは知ってます。絞り染めの浴衣って可愛いですよね。
涼しげで、今も人気ですよね。さて、この「辻が花」で用いられる絞り染めの行程は次のような感じです。
まず模様を下描きします。輪郭線に沿って絹地の縦糸をすくって、太い麻糸で並縫にします。麻糸を引っ張って絞り、布地を寄せて強く締めてから、絞った部分を竹皮と油紙でかたく包んで(防染、ぼうせん)、染料に浸します。こうすることで、防染した部分のみ染料が浸透せず、模様があらわれます。
—気の遠くなるような…
大変な作業だと思います。よく見ると、模様を縁取るように並縫で縫い締めた跡が残っていて、作業の形跡がうかがえます。

—ここのあたりはすごく細かいですね。
その部分は染めではなく、描絵(かきえ)です。鳥や花などを繊細なタッチで墨描きしています。描いた上から染めてるところもありますね。

—これは鶴ですか?
はい、鶴だと思います。2羽の鶴の上部分には貝や海藻が、右端には草花が描かれています。
—え!これチョウチョだと思ってました。貝なんですか?
独特な表現で一見わかりづらいですが、ハマグリとかアワビとか…。貝を描いた絵というのは、中国にも日本にも多くありますが、「辻が花」に見られる表現はどんな系譜なのか気になります。
—しかもサイズ感もよく分からない。鶴より大きい貝とか花とか…
本当に、この巨大な花なんて、ちょっと怖いですよね。そして隙間を埋め尽くすように流水文とか水草とか点々とか描き込んだり、モチーフには不思議な隈取りを施したり、執拗に水滴を乗せたりと、見れば見るほど奇妙です。

—この枠の形も不思議です。
たなびく雲のような形に枠取って、絞り染めと描絵を交互に配置していますね。下のほうにも注目してください。これはあくまで今は端切れですが、もともとはもっと大きい布地で、しかももっと色んな柄が展開していたのです。

—本当だ。巨大花が咲いていたり、濃い紫色に染められたりしてる。派手ですね。
派手です。ちなみに一口に「辻が花」といっても柄は色々でして、余白を活かしつつ絞り染めだけで模様を示すシンプルなものなどもあります。
—アルバムには本当に小さな端切れも貼られていますが、そんな中で、この布は結構大きめですよね。
そうですね。ページに収めるために、上のほうは折り曲げてあります。見つけたときは嬉しかったでしょうね。
—やった!私の布コレにぴったりだ!って感じかな。そもそもは何に使われていた布なんですか?
着物だと思います。「辻が花」と総称される布は、衣類の形で残るものや、絵画資料などから、武家女性や元服前の少年の小袖、武将の胴服(常用着)や小袖、下着などとして着用されていたことが分かっています。この裂地に関しては、柄からするとおそらく武家女性の小袖などだったのではないかと考えられます。
—男性も着たんですね。おしゃれ!しかし、どんな人が一番最初に着たんだろう。すごい勇気じゃないですか?
豊臣秀吉や徳川家康所用として伝わっている着物もありますよ。初めは、当時の権力者かつファッションリーダーみたいな人物が「これが流行るんだ!」とか言って着たのでしょうか。意外と初めはけっこうヒソヒソされていたりして。桃山時代は、国内統一が進められて新興の大名や豪商が活躍した時世で、豪華な文化が栄えました。そんな時代の気風も、この「辻が花」流行のきっかけだと思います。
—言われてみれば成金っぽさも感じるかも…今だったら、こんな柄の服どうでしょう?
おしゃれも多様化していますし、需要あるんじゃないですか?柄シャツだと主張激し過ぎるので、ネクタイとかで取り入れるとか、シンプルな形のワンピースでも可愛いかも。
—そもそもこんなに細かいということは、近寄って見てほしいという気持ちもあったのでしょうか。例えば武将が着ていたとして、近くまで寄ることができる位の高い家臣だけが見れたとか…
面白いですね。家臣たちのあいだで「今日の殿の服見た?貝が描かれてた」「さすが我が殿」「み、見れてない…」みたいにマウントを取り合っていたりして。いっぽうで、自分だけが見れる楽しみだったという可能性もありませんかね?
—確かに!ジャケットの裏地に仕込んで、ちらっと見える柄を楽しむ感じでしょうか。ところで、こういう布は今も作られているんですか?
再現的に作られています。この「辻が花」は、江戸時代の初めを境に作られなくなり消滅してしまいました。理由としては、手間のかかりすぎる技法であったこと、流行が終わってしまったことなどが挙げられると思います。
—ひとことで言うと?
〔古代裂帖〕古くて貴重な布切れコレクションアルバム。
〔辻が花染花鳥海賦文裂地〕桃山~江戸時代初めに大流行した、色んな技法詰め合わせの派手派手な布切れ。
今回の作品「辻が花染花鳥海賦文裂地」(「古代裂帖」のうち)
歴史ある古い裂地を150種類ほど貼り合わせたアルバム。辻が花染とは、桃山時代を中心に流行した染色技法。模様の輪郭を糸で縫い絞って、その部分を竹皮と油紙でかたく包んで染色することで模様をあらわし、さらに描絵や刺繍などを施すこともある。桃山~江戸時代初期にかけて描かれた武家の女性や若者の肖像画では、このような模様の着物をまとっていることが多く、当時辻が花染めの技法がよく使われていたことが分かる。
藤田美術館
明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。
石田 楓
藤田美術館学芸員。美術に対しても生きものに対しても「かわいい」を最上の褒め言葉として使う。業務上、色々なジャンルや時代の作品に手を出しているものの、江戸時代中~後期の絵画が大好き。