
―日本っぽくない雰囲気です。
正解です。元~明時代(14世紀)の中国で描かれたと考えられています。“日本っぽくなさ”は具体的にどのあたりに感じましたか?
―全体的に圧が強いところです。このキリッとした表情とか…日本だと仏様はもっと穏やかな顔をしているイメージがあります。
確かに、アイラインが濃くて吊り上がっていて、瞳はこちらをジッと見ている感があり、慈愛みたいなものは感じ取りづらいです。顔の造形は図形的で、肉身としてのリアリティや柔らかさがなく、冷たく感じます。
―それから髪型もあまり見たことがありません。タイトルに「地蔵菩薩」とありますが、こんな髪型のお地蔵さんもいるんですね。
髪を結い上げずに、毛先を両肩に垂らしています。菩薩像は、両側で束ねた髪を耳の後ろから肩に垂らすことがありますが、それともちょっと違いますね。そして地蔵菩薩は基本的には坊主頭であらわされることが多いです。

―ん?ということは、どういうこと?地蔵菩薩じゃないんですか?
はい。実は、マニ教という宗教の教祖を描いた絵です。日本に舶来されてからは、マニ教を知らない日本人が地蔵菩薩だと解釈して、長らく「地蔵菩薩像」として伝わってきました。
―ええっ!日本人は地蔵菩薩だと思って信仰していたけど、全くの別物だった…ってこと?
その通りです。ぞわぞわしません?
―マニ教というのは初めて聞きましたが、どんな宗教ですか?
ひとことで言うと、3世紀(200年代)当時の新興宗教です。ササン朝ペルシアに生まれたイラン人のマニ(216~276/277)が、既存のゾロアスター教、キリスト教、仏教などの考えを折衷して、世界宗教(特定の民族や地域に限定せず普遍的な教えを説く宗教)として創始しました。西はローマ帝国やエジプトから、東は中国まで広く伝播しましたが、13~14世紀ごろに衰退し現在は完全に消滅しています。
―新興宗教というとなんだか怖いイメージがありますが、どんな教えですか?
世界を霊的な“光”と物質的な“闇”ではっきり区別して、物質的なもの、つまり肉体や現世を否定します。殺生や破壊行動、様々な欲望などを禁じる戒律があって、信者はみな白い衣を身につけ、祈祷や断食などを行ったそうです。この絵も何らかの儀式のときに掛けて使ったのでしょうか。
―日本にはマニ教は伝わってなかったということですか?
そうです。だから自分たちの知っている仏教の絵画なんじゃないかと思ったのでしょう。

―この絵が地蔵菩薩ではなくマニ教の絵だということは、いつ分かったんですか?
初めて指摘されたのは2015年のことです。中国・宋元代の江南地方で描かれ日本にもたらされた仏画のなかに、別の宗教、特にマニ教の絵が紛れ込んでいるということが2000年初頭から明らかになり、研究が一気に進んだのでした。
―すごい…どうして分かったのでしょうか?
マニを描くときの決まりごとがいくつかあって、それが当てはまったからです。一番分かりやすいのは、衣に4つ描かれている赤い四角。セグメンタと呼ばれる紋章のようなものです。二筋に分かれた顎髭や、白い衣、それから最初に指摘してくれた髪型もマニの特徴の1つです。

―この光の輪?の表現がすごいです。本当に発光しているみたい。
この輪は光背(こうはい)といって、神仏の発する聖なる光を視覚化したものです。白っぽい光の管のような太い線は金で描かれていて、その周りを赤から茶色のグラデーションで囲んでいます。まるでネオンサインのような輝きの表現、見事ですよね。

―全体的に表現がすごく細かいですね。
細かいですし、とても装飾的です。
―下のほうをよく見ると小さな女の人たちがたくさんいます。何をしているんでしょうか?
天衣を身にまとって、それぞれ楽器を持って演奏しています。教祖マニを讃える表現のひとつでは?と考えられています。ちなみに私は、更に下のほうにいる獅子が可愛くて気に入っています。


―こうやって見ると、マニ教が仏教の影響を本当に強く受けているように思います。
影響というよりも、布教のため能動的に取り入れたと言うほうが正しいですね。マニ教は本来は、仏教よりもキリスト教の考えをかなり重要視した宗教でした。ただ、最も長く信仰されたのは仏教圏である中国で、特に江南地方では、邪教として弾圧されながらも秘密裡に生き残り、仏画の工房で仏画に似せたマニ教の絵を描かせていたと考えられています。この絵はそのうちの1つですから、仏教要素を特に強く感じるわけです。
―では他の国で描かれたマニ教の絵は、また違う雰囲気なのでしょうか?
マニ教絵画として現存が確認されているものは、トルファンの遺跡から発掘された細密画の断片と、日本に伝わる中国・宋元代の作品のみです。前者は、もともと仏教大国だったトルファンが、マニ教を国教とした西ウイグル国に支配された10世紀前後に制作されたものと考えられています。
ですので、仏教とほぼ関係がない他の文化圏(例えばローマ帝国など)で制作されたマニ教絵画は残念ながら残っていません。もしあったとすればかなり違う雰囲気だと思います。
―ひとことで言うと?
仏教美術の皮をかぶって隠れていた、全く別の宗教の教祖を描いた絵。
【今回の作品】地蔵菩薩像(マニ像)※「中地蔵左右文殊普賢像」のうち
中央幅は地蔵菩薩と伝わりますが、近年の研究によりメソポタミアに生まれたマニ(216~276?)を描いたものと判明しました。彼が現在のイラン付近で起こしたマニ教はササン朝のシャープール1世に保護され、その後ユーラシア大陸一帯に広まり信仰されました。両肩と両膝のあたりにつけるセグメンタと呼ばれる赤い四角形や、肩に垂れる髪などがマニ像の特徴です。台座の描き方など仏教絵画の影響を強く受けている部分も見られます。中国において元・明時代頃に描かれたマニ教絵画が仏画として日本に伝わりましたが、この絵もそのうちの1つと考えられます。左の文殊菩薩は獅子に、右の普賢菩薩は象に乗り、ともに穏やかな表情をしています。左右の二幅は室町時代に日本で描かれたと考えられますが、いつしか中央幅にマニ像を配して三幅対とされたようです。
【今回書いた人】石田 楓
藤田美術館学芸員。美術に対しても生きものに対しても「かわいい」を最上の褒め言葉として使う。業務上、色々なジャンルや時代の作品に手を出しているものの、江戸時代中~後期の絵画が大好き。