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学芸員がやさしくアートを解説します|大江山酒呑童子絵巻

酒は飲んでも飲まれるな

大江山酒吞童子絵巻(部分)

―これはどんな作品ですか?

「大江山酒吞童子(おおえやましゅてんどうじ)」という物語を描く、上中下3巻仕立ての絵巻物です。継がれた長い紙に、文章(詞書、ことばがき)と絵が交互に繰り返されます。

 

―どんなお話?

ときは平安時代、京都の北西にある大江山に酒吞童子という鬼が棲みつきました。夜になると手下が都に下りてきて、若い娘たちをさらってしまう。しばらくはお酒の酌をさせたり撫でまわしたりと可愛がりますが、飽きると手足をもいで血を飲み肉を食べてしまうそうです。これに困り果てた帝が、源頼光(みなもとのよりみつ)率いる6人のヒーロー部隊を招集し、大江山へ鬼退治に向かわせる…というお話です。

上巻1段。池田の中納言の娘がさらわれ、悲しみに暮れる両親が娘の安否を占わせる
上巻2段。帝は頼光一行に鬼退治の勅命を下す

―いつ作られたのですか?

この絵巻は江戸時代に制作されたものです。しかし物語自体は、少なくとも鎌倉末には成立していたと考えられます。人気の物語で、多くの絵師が絵巻や屏風などに絵画化しました。能や浄瑠璃の演目にもなり、また出版物となって人口に膾炙し、現代では宝塚歌劇や漫画の題材になっています。

 

―この絵巻を作った人は誰ですか?

絵を描いたのは菱川師宣(ひしかわもろのぶ、1618~94)です。巻末にサインがあります。この名前、聞いたことありませんか?

「元禄五 壬申四月亦 房國菱川師宣畫(朱文八角印)」※元禄5年(1692)、師宣晩年の作品

―う~ん、もしかして切手になっている…?昔切手コレクションしている友人に、女の人の絵の切手を自慢されたことがあります。

それはおそらく「見返り美人図」です。不思議なことに、指定品じゃないのにすごく有名な作品です。さて菱川師宣という絵師は、江戸時代初めに江戸の町で活躍しました。独学で画を学んで、本の挿絵からはじまり、だんだん絵単体で売れていった人で「浮世絵の祖」といわれます。この絵巻は版画ではなく肉筆。工房で制作していて、弟子たちの手も入っているように思います。

 

―“酒吞童子”って…ふしぎな名前ですよね。

“酒吞”は文字通りお酒飲みってこと。“童子”については、もともとは男の子だった、子どものような髪型であるなど諸説あります。酒呑童子の生い立ちを書く前日譚(「伊吹童子」)によると、あるお姫さまとヤマタノオロチの間に生まれ、3歳から酒を飲む乱暴者。寺に預けられるが、狼藉が手に負えず追い出され、色々あって大江山にたどり着き、恨みのままに鬼となった…というあらすじ。なので、昼間の酒呑童子のヘアスタイルは、小さな子どもみたいにさらりと肩に下ろしています。

中巻2段。屋敷の奥から酒呑童子が出てきて、頼光たちを出迎えるシーン。
酒呑童子アップ。緋袴がお決まりのファッション

―立派な体格をして手下たちを侍らせる鬼の頭領が、子どものような恰好をしている…なにか意味ありげに感じます。

ほう。と、いいますと?

 

―マザコンなのでは?女の人をさらってきて、すぐに食べるんじゃなく側においておくのも…

なるほど、昔自分を育ててくれなかった母の面影を、深層心理で追い求めてるのかもしれませんね。酒吞童子マザコン説は初めて聞きました。ちなみに…酒呑童子は幼少から「容顔美麗」だそうです。鬼の本性を隠した昼間の姿は、眉がりりしく眼光鋭く、確かに菱川師宣の描く色男風です。

 

―人と鬼の距離がとても近いのが気になります。楽しそうで親しげで、これまで持っていた鬼のイメージを払拭するような表現。なぜでしょうか?

さて、その話をするには、物語についてもうちょっと説明しないといけませんね。先ほどのあらすじ紹介では「酒吞童子を退治すべく、一行は大江山の山奥へと向かった」で終わっていました。

 

―そうでした。頼光たちは無事に鬼を退治できるんでしょうか?

もちろんできます。見事首を獲るシーンがこちら。

下巻1段。刎ねられた童子の首が頼光の頭に食らいつくが、神々から授かった兜のおかげでセーフ。
下巻1段。鬼相手に鬼神のごとき強さの頼光一行

―けっこうグロテスクですね…でもただではいきませんよね。どうやったんでしょう?

頼光たちの作戦は酒宴です。宴会芸で油断させ、お酒をしこたま飲ませて泥酔させ、そのすきに首を獲る!という。こちらは、そのための重要なアイテムを神様たちから授かるシーン。旅立ちの前に神社にいって鬼退治の無事を祈祷するのですが、願いを聞き届けた神様たちがたびたびあらわれて助けてくれるんです。

上巻4段。八幡、住吉、熊野の神々からもらう鬼退治アイテムは…

―ご、ご都合主義!どんなアイテムなんですか?

鬼にだけ効く魔法の酒「神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)」と、強い兜(かぶと)です。このお酒、神の方便、鬼の毒酒といって、鬼が飲むと力を失ってふにゃふにゃになるが、人が飲むとパワーアップするというもの。たいそう美味しいそうで、酒吞童子によると「甘露(かんろ)のよう」。鬼たちの上機嫌で親しげな理由は、うまい酒を楽しむ宴会のシーンだからというのがひとつ挙げられます。

中巻4段。神便鬼毒酒に浮かれた鬼たちと、飲めや歌えの大騒ぎ。

―このあと討たれることも知らずに……。宴会のシーン以外も、なんとなく親しみ深さを感じるのですが?

理由としてもう一つ挙げるなら、菱川師宣の描写力でしょうか。師宣は、市井で営まれる生活文化の様子をたくさん描写した浮世絵師ですから、この絵巻にもそういう筆が表れていると思います。例えばこの、髪の毛を気にしている鬼。頭がかゆいのか、枝毛が見つかったのか…詞書には記述がないので、こんな仕草に描く必要はないんですけどね。浮世絵師が描くと鬼たちも人間くさくなってしまうのかも。

主人の横でつい枝毛を気にしてしまう(?)鬼。

―確かに、イキイキしています。そもそも、どうして酒呑童子は頼光たちを迎え入れたのでしょう?詰めが甘くないですか?

酒吞童子の屋敷は、通行人のおじいさんが「人間は立ち入れない」というように大江山の奥深~くにあります。目的地が童子邸じゃないかぎり、人がここに来るなんてありえないので、普通に行けば鬼たちに不審がられてしまう。そこで頼光たちは山伏(山に籠って修行する修験者)に変装します。修行で山奥に来たが迷ってしまった、一晩の宿を貸してくれと芝居をうつのです。

 

―なるほど…それでも屋敷にあげるなんて不用心な気がする。山伏ってそんなにすごいんですか?

昔、スパイや逃亡者はよく山伏の変装をしたそう。山伏は先々で寝食を提供されたり関所のお金などが免除されたりと、色々都合が良かったからです。なので物語を作るにあたって頼光らを山伏に扮装させることは自然の流れだったのかも。まあ鬼たちには、あわよくば食っちまおう、という気もあったと思いますよ。酒呑童子いわく「女の肉は柔らかいが、男も筋張っていていける」。

中巻1段。酒呑童子邸の門前にて。手下の鬼たちが大騒ぎしている。山伏に変装した頼光たちは何食わぬ顔で「迷っちゃって…」

―宴会のお食事内容が気になります。何を食べている?

こちらをご覧ください。

中巻3段。頼光がんばった。

―これは、腕…?

そう、人間の手足です。このシーンは酒吞童子が頼光らを試すために、手足と血をだしてきて食ってみろというもの。頼光は、ここでひるんで鬼たちから舐められてはだめだと、ひと芝居うって、ぺろりと平らげてみせます。

 

―世界各地を旅行してる人が、その土地それぞれの郷土料理を食べて親交を深める、みたいな感覚ですかね?

おもしろい! アマゾンの奥地の民族にとんでもない虫食を出されて頑張って食べると仲良くなれる、みたいなイメージですね。食べものを共有することは文化を受け入れるひとつの方法。ここで頼光が人間の血肉を食べられなかったら、鬼を懐柔できなくて、退治失敗しちゃったifもあったでしょう。単なるカニバリズム的な表現でない、重要なシーンなのかもしれません。

 

―衣装の模様、屏風など調度品の描写がとても凝っています。なにか意味があったりする?

モチーフすべてに物語に沿った意味があるとは思えません。師宣の工房で描けるラインナップで採用されているだけのものもあると思います。ひとつ分かるとしたら、酒呑童子の寝所の襖絵です。能の演目「大江山」中、酔っぱらった童子が寝床に向かうシーンで、“荒海の障子おし開けて…”と謡うのですが、これが絵巻の描写に影響を与えたのでは?と考えられています。

下巻1段。鬼の姿をあらわし、高いびきの酒呑童子。背後の障子にご注目

―特に鬼たちの衣装が派手で気になるなあ。

イメージの源泉には、中国の甲冑や、地獄絵や神将像などがありそうです。それから牛の角を生やし虎のパンツを履く鬼の定型スタイルは、鬼門が「丑寅」の方角であることから始まっていて、江戸時代に定着します。ちなみに頼光たちのファッションも凝ってますよ。童子を襲撃する直前に、山伏の変装から甲冑にお色直しするのですが、下着まで全部着替えています。

神便鬼毒酒に群がる鬼たち。虎のパンツ?を履いている鬼もいる

―とつぜん不思議な植物が生えています。これはなに?

ソテツです。酔っぱらった童子が上機嫌に自分語りをするシーンで、屋敷の植栽を「万木千草」と自慢します。エキゾチックな見た目のソテツは、桃山~江戸時代にかけて大名家や寺院の庭園植物として流行りました。当時の流行をふまえて、童子邸の豪華な植栽を表すために描かれたモチーフかもしれません。

中巻3段。童子と同じくらい大きなソテツ

―この絵巻はなんのために作られたのでしょう?

残念ながら現時点では、発注者や制作背景、藤田家の前に誰が持っていたのかも不明です。始めに、多くの絵師がこの物語を題材に絵巻を作ったと言いました。そのうち、狩野元信が描いた絵巻(サントリー美術館蔵)や他いくつかの作品は、嫁入り道具とされたことが分かっています。もしかするとこの絵巻も、そんな文脈で作られた可能性があるかも…

下巻2段。酒呑童子の首をもって凱旋する

―嫁入り道具?こんな血みどろの絵巻が?

平安時代に編まれた最古の日本語辞典によると、鬼は目に見えない恐ろしいもの(疫病や天災など)の具現化です。それを退治することで一族の繁栄を願うのかもしれません。また特にサントリー本は、徳川家康の次女・督姫が再婚するときの婚礼絵巻になりました。源氏の武将が化け物を退治するストーリーは、清和源氏の末裔であることを誇る徳川将軍家にとって意義深く、その絵巻は権威の象徴になったようです。従わないとこうなるぞ!という、大名に対する威圧もあるかもですね。

 

―ひとことで言うと?

ヒーローも悪役も魅力的な鬼退治絵巻。

 

【今回の作品】

タイトル:大江山酒呑童子絵巻

筆者:菱川師宣(?~1694

製作年代:江戸時代、元禄5年(1692)

「大江山酒呑童子」の説話を上中下3巻に渡って描く紙本の絵巻。詞書は『御伽草子』による。作者は〔絵:菱川師宣(落款有)〕〔詞書:伝 飛鳥井雅経(箱書)〕で、下巻の年紀から元禄5年(1692)、師宣最晩年の作であることが分かる。後世に大きな影響を与え、多くの作品の拠り所となった狩野元信筆「酒呑童子絵巻」(サントリー美術館蔵)と比べると、詞書と絵を再構成するようにまとめており、1段あたりが長く、また段数が少なくなっていることが分かる。

 

【今回書いた人】

石田 楓

藤田美術館学芸員。美術に対しても生きものに対しても「かわいい」を最上の褒め言葉として使う。業務上、色々なジャンルや時代の作品に手を出すものの、江戸時代中~後期の絵画が大好き。

 

 

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