重文 熊野懐紙

2024.02.01

重文 熊野懐紙

後鳥羽上皇(ごとばじょうこう、1180~1239)はしばしば熊野へ参詣し、道中の宿所で同行した朝廷に仕える役人たちと神仏への奉納和歌会(法楽和歌会)を開きました。その際に歌人が署名とともに和歌を書いた懐紙のことを「熊野懐紙」といいます。筆者の久我通親(1149~1202) が同行した際に、藤代王子(ふじしろおうじ、現在の和歌山県・藤白神社)で和歌を詠み、書いたのがこの懐紙です。線の肥痩(ひそう)や潤渇の変化に富んだ、リズミカルな書と言えるでしょう。久我通親は鎌倉時代はじめに朝廷で活躍した人物で、和歌に通じたほか、孫である土御門天皇(つちみかどてんのう)の即位を実現させた実力者です。

 詠山路眺望和歌
      右近衛大将通親
ふちしろのみさかのそこを
なかむれはなみのはなちる
ふきあけのはま
 暮里神楽
たまかきにきみかみゆき
のいろをそへてゆふかけてしも
神のよりいた

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