
―いつの時代の絵ですか?とても古そう。
鎌倉時代、13世紀に制作されました。古いです。
―なぜ牛を描いているんでしょうか。
その話をする前に、もともとこの絵は、巻物の一部であったことが分かっています。江戸時代に制作された模写が残っていて、それによるとこの絵を含む10頭の牛を描いた絵巻物だったようです。他の9頭の絵も現存していて、東京国立博物館などに所蔵されています。
―えっ、牛ばかりを書いた巻物…?かなりの牛好きが描いたってことですか?それかメニュー表…?
この絵の作者は分かっていないので、作者自身がめちゃめちゃ牛好きだったとは断定できませんが…制作当時、身分の高いひとびとの間で牛への関心が高かったことは確かです。
―なぜ牛への関心が高かったんですか?
牛車(ぎっしゃ)をご存じですか?天皇や貴族など、高貴な人のための乗り物で、牛に牽かせます。特に平安時代に隆盛し、鎌倉時代には将軍家も用いました。すると牛に注目が集まり、その美しさや力強さを讃え、競うようなブームが起きたのです。名牛や名牛飼いについて記したり、地方ごとの牛の特徴を説明したりする書物が作られました。
―ということは、この牛も名牛ってことですね。
その通りです。この子を含む10頭はすべて実在した名牛だと考えられています。

―ずんぐりむっくりして、筋骨隆々な牛だなあと思いました。
貴顕の車を牽く牛は、ムキムキでカッコイイ牛がもてはやされたのでしょう。
実在の牛を写生的に、その個性や特徴を記録しようと描いたのではと考えられています。鎌倉時代に、人物の特徴を写し取る肖像画、似絵(にせえ)が流行りますが、この作品はその表現が動物にまで及んでいたことを示しています。

―他の9頭の牛も黒いんですか?
8頭は黒いです。1頭だけ褐色の子がいます。黒牛が流行っていたのでしょうか。
―巻物の何番目の牛なんですか?
模本によると、8番目です。
―この人は誰?
牛車に付き添って牛の世話をする、いわゆる牛飼いです。牛飼童(うしかいわらわ)といわれます。

―産直野菜みたいに「私が育てました」って感じですか?お世話した人の顔を見れたら、よりいっそう「おっ、いいな」ってなるかも。
面白い!生産者の顔ってことですね。
―でも堂々と正面を見ずに視線ずらしているのがなんとも…
なんだか少し、すかしてる感じですよね。まだ年若そうだから、恥ずかしさもあるのかな。
―名牛というくらいだから、名前はあるんですか?
ありますが、10頭すべての名前は明らかになっていません。藤田美術館のこの絵に関しては、明治時代初めに刊行された古美術図録に紹介されていて、そこでは牛の名を「夏引」、牛飼いの名を「弥王丸」としています。絵を納める箱にも同じように記されています。「夏引」とは、鎌倉時代初期の公家・西園寺実氏(さいおんじさねうじ)が上皇に献上した牛、「弥王丸」とは、鎌倉時代末に活躍した名牛飼いです。
―えっ、この牛飼いにも名前があるんですか。牛と比べると人物の表現があまりにもペタッとしているので、ただの脇役なのかと…
確かに着物などはとても簡略です。しかし近くで見てみると顔の表現は結構細かいですよ。ちなみに、他の9頭の牛には牛飼いは付き添っていません。この子だけ描かれています。

―え!この人だけ!?なぜでしょう…
分かりません。もしかすると、もともとは描かれていたのかもしれない。というのも、江戸時代の模写により巻子だったことが分かると説明したのですが…実は最新の研究では、もっとさかのぼると牛車の内壁などに描かれた障壁画だったのでは?という説も出ているのです。だから、江戸時代の模写が作られるまえに既に失われた部分もあったかもしれません。
―もしかすると、この牛飼いが10頭すべての牛を育てたとか…ぼくの牛コレクション!みたいな。
そりゃすごい。可能性はあるかもしれません。

―なぜ重要文化財に指定されているのでしょうか?
いままでの話を踏まえて、文化財としてどのように貴重であるか、あらためて説明します。まず、鎌倉時代、牛車に用いられた牛を愛好し、それを論じたり記録する文化があったことを示す史料であること。当時隆盛した似絵の表現要素を持っていること。それから現在はバラバラですが、もともとの形式が推測できること、などです。10点のうち、国内で所蔵される6点(本図を含む)が重文指定を受けています。
―ひとことで言うと?
すんごい牛とすんごい牛飼を、けっこうリアルに描いた絵。
【今回の作品】重文 駿牛図断簡(しゅんぎゅうずだんかん)
鎌倉時代 13世紀
墨の濃淡を変化させて蹄(ひづめ)や角などの部位の質感の違いや、筋肉の量感などを巧みに表現する。平安時代後期以降、牛車を牽く牛への愛好が高まり、鎌倉時代には似絵(にせえ)と言われる写実的な肖像画が流行し、優れた牛(駿牛)を描いた絵が登場した。本来は牛と牛飼を描いた作品の一部であったことが江戸時代の模本からわかっており、模本が作られた時点では巻子装だった。その後一図ずつ切り分けられ、現在の形(断簡)に改められたと見られる。この絵は、明治時代はじめには、古美術蒐集家と知られる柏木貨一郎(かしわぎかいちろう、1841~1898)が所蔵し、その後、図案家・岸光景(きしこうけい、1839~1922)の手を経て藤田家に納まった。その他の9図も伝存する。
【今回書いた人】石田 楓
藤田美術館学芸員。美術に対しても生きものに対しても「かわいい」を最上の褒め言葉として使う。業務上、色々なジャンルや時代の作品に手を出しているものの、江戸時代中~後期の絵画が大好き。