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学芸員がやさしくアートを解説します|重文 華厳五十五所絵巻残闕(けごんごじゅうごしょえまきざんけつ)

菩薩への道RPG

重文 華厳五十五所絵巻残闕(部分)

―なんて読むんですか?

「けごんごじゅうごしょえまきざんけつ」です。

 

―難しい。どんな意味ですか?

まず「華厳(けごん)」とは華厳経のことです。大乗仏教の経典のひとつです。この作品には、そのうち「入法界品(にゅうほっかいぼん)」という巻に説かれる説話が絵画化されています。

 

―五十五とは?

55の場面という意味です。説話のあらすじは、善財童子(ぜんざいどうじ)という少年が、53人の教え導いてくれる師(善知識)のもとを巡るというもの。文殊菩薩(もんじゅぼさつ)に始まり、最後に普賢菩薩(ふげんぼさつ)へと至る、合計55の場面から成っています。

 

―しかし10場面しかありませんが…?

もとは55の場面を描くもっと長い絵巻で、東大寺が所蔵していました。東大寺は日本における華厳宗の大本山です。のちに切られてしまい、現在は東大寺に37段分がのこり、それ以外を藤田美術館を含む各所が分蔵しています。「残闕(ざんけつ)」とはそういう意味です。

 

―ところどころ同じ人がいる。これが善財童子でしょうか。

そうです。読む人は、この子をナビゲーターに善知識のもとを訪ね歩いて一緒に学びを得るんでしょう。

―すごい名前ですよね。

インドの裕福な家の子で、生まれたときは雨のように宝石が降り注いだそう。なので“善財”と名付けられました。心清らかな少年で、「この子は見込みがある」と思った文殊菩薩の導きにより求法の旅が始まります。

 

―なんだか既にタダモノじゃない服装をしていませんか?普通の人間とは思えない雰囲気です。

天衣や条帛(じょうはく)、裳を身に着けていますね。この服装は、菩薩や天人の姿に似ているので、“ただものじゃない”と感じたのでしょうか。菩薩は、釈迦の出家以前の、王子様時代の姿を写しています。つまり善財童子が菩薩っぽいというのは実は逆で、インドの貴族からイメージされたいでたちが菩薩なのです。善財童子は裕福な家のご令息ですから、こんな格好で描かれているのかも。

 

―すみません、そもそも菩薩ってなんですか?

そう、それが重要なのです。ひとことでいうと如来候補生です。如来とは仏教における最高位で、真理を悟った存在なのですが、菩薩は、真の悟りを求めながら、それよりも他者の救済を目指し優先する存在です。善財童子はこの旅を無事完遂して、菩薩になります。

 

―えっ!!菩薩になるんですか。

華厳宗は大乗仏教(だいじょうぶっきょう)のひとつです。大乗仏教とは、古来の仏陀の教えを拡大し新しい解釈を加え1世紀ごろに興った教派のこと。自分の悟りのためではなく、多くの人々を理想世界に運ぶ大きなすぐれた乗物という意味をもっています。菩薩もそのためにいるので、華厳経においてはとても重要な存在です。

 

―むずかしそう…ていうか難しい…

さてそのために善知識たちがいます。菩薩や神や僧侶など仏教に関係する優れた存在だけでなく、商人や遊女、法律家など、それぞれの分野を極めた人たちも登場し、いろんな説法をしてくれます。飽きません。

2023年度の展示「旅」にて掲出した作品解説パネル

―遊女!?

おもしろいでしょう。私のおすすめは、すべての欲望から逆に開放してくれる最高の遊女や、分身の術を使ってあらゆる人に同時に説法する尼さんです。この尼さんは、某塾の映像授業のようです。

 

―よく見る絵巻のように、文章と絵が交互になっていないですね。

そうですね。経典の内容を詞書にして各絵の前に記載する代わりに、絵の上部に、善知識たちの名前や場所などが書かれています。

船師にお話を聞いているシーン

―なるほど。旅のスナップ的な?

確かに、言われてみればそんな感じです。詞書と絵が分かれているよりも見やすいですよね。しかし、善知識たちとの詳しい問答は、経典を読まなければ分からない仕様になっています。

 

―この絵巻はなんのために作られたんですか?

先に説明した通り、もとは1巻の絵巻として、東大寺に伝来しました。

経典の内容を絵にするのは、そのほうが分かりやすいからです。それから、巻物は基本的には個人観賞用の形式です。なので、この絵巻は、東大寺に関係する人が読んで善財童子の物語を理解するツールなどとして使われていたと考えられます。

大地の神に話を聞くシーン

―絵が可愛らしいんだけれども、とても軽いといいますか…なので東大寺にあったと聞くと意外です。

柔らかくて淡い墨線や彩色からは、軽~く描かれたような印象を受けますよね。このような画風は、鎌倉時代前期に南都(奈良)で作られたほかの経典絵巻とよく似ているようです。こちらの絵巻も、鎌倉初期の制作と考えられています。

 

―こういう絵が流行っていたということですか?

そうとも言えます。あるいは…この時期に南都の絵仏師に複数の注文が殺到して、できるだけ速く仕上げることができる軽いタッチの時短画風を採用したのかも…なんて。もしかすると、ですよ。

 

―納期2週間でいけます!?みたいな…

ババーッと線を描いたあとに、「ここ色塗っておいて!」という感じで彩色係に回していたり。漫画のベタ塗りをするアシスタントさんのような。工房での制作ならあり得ると思います。

―絵筆に赤色が余ったら「勿体ない!」といってほかのとこにも色乗せちゃったりして。

今となっては知る由もありませんが、そういう現場の裏話もあり得たと思います。

 

―ひとことで言うと?

「華厳経」に説かれる善財童子の求法の旅を描いた絵巻が切断されたもの。

 

 

今回の作品「重文 華厳五十五所絵巻残闕」

鎌倉時代 12-13世紀

『華厳経』の入法界品(にゅうほっかいぼん)に説かれる説話を描いた絵巻の1部分。富豪の家庭に生まれた心の綺麗な少年、善財童子が文殊菩薩の導きによって53人の善知識(徳を備え、教え導くことのできる賢人)を訪問し、最後に普賢菩薩のもとに至って菩薩の悟りを得る。この絵巻はもともと全54段からなる一巻の絵巻として東大寺(奈良県)に伝わったが、現在では切断され、第22段から第31段の10段分を藤田美術館が所蔵する。善知識を訪問する各場面はそれぞれ独立するが、画面は自然に連続して展開する。淡い色彩を用い、描線は淡墨で柔らかな筆遣いを見せる

 

今回書いた人:石田 楓

藤田美術館学芸員。美術に対しても生きものに対しても「かわいい」を最上の褒め言葉として使う。業務上、色々なジャンルや時代の作品に手を出しているものの、江戸時代中~後期の絵画が大好き。

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