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学芸員がやさしくアートを解説します|[重文]大燈国師墨蹟 偈語

悟りを開いた力強い筆致

重文 大燈国師墨蹟 偈語(だいとうこくしぼくせき げご)

―これはどんな作品ですか?

禅宗のお坊さんが書いた書で、墨蹟(ぼくせき)といいます。本来は墨で記した書跡全般を指しますが、日本においては前述の意味で使います。この書を書いた人は、大燈国師(だいとうこくし、1282~1337)といって、鎌倉時代に活躍した日本の禅僧です。

 

―日本のお坊さんなんですね。どんな人ですか?

僧侶としては宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)と名乗っていました。臨済宗(りんざいしゅう)の名僧で、京都の大徳寺を開いたことでも知られます。もともとは播磨国(現:兵庫県)出身で、鎌倉や京都の禅寺で修行したのち、鎌倉・建長寺の南浦紹明(なんぽじょうみょう、1235~1308)に師事して、正式に悟りを開いて認められました。歴代の天皇からの信頼も篤く、特に花園天皇(1297~1348)や後醍醐天皇(1288~1339)が熱心に帰依(きえ)したそうです。

 

―あの大徳寺の!そんなに有名だったのですね。

はい。花園天皇からは「興禅大燈国師(こうぜんだいとうこくし)」という尊号を賜り、後醍醐天皇は度々お寺に領地を寄進するほどだったそうです。

 

本紙

 

―ちなみにこれは漢詩ですか?

広い意味では漢詩です。七言絶句(しちごんぜっく)という、7語×4句で構成される短い形式の漢詩になります。特に仏教において、経典に説かれる教義や悟りの境地を詩にあらわしたものを「偈語(げご)」といいます。

 

―なるほど。お説教くさい難しそうな内容みたいですが…。

確かに字面は漢字ばかりで難しいですよね(笑)

内容をみてみましょう。

 

[書き下し]

熱一上兮寒一上 去留出没任天真

浮生年老心孤処 飛過帝郷作野人

龍寶山宗峰叟書  朱文方印「宗峰」/朱文鼎印「妙超」

 

大意としては、

「暑さや寒さが自然に移ろうように、どこに行ってどこに留まるのか、またどこに現れてどこに隠れるのか、(ひたすら)天に身を任せて従うのみである。

この短く儚い命も老境に達してますます孤独になり、その心は都(京都)を離れて懐かしい故郷へと飛んでいくようだ」

つまり、自分が年老いた心境を望郷の念と共にしみじみとうたったものですね。意外にシンプルな内容で、お説教くさくない。

一字一字が力強く堂々としており、躍動感がありながらも格調高い筆致が見事です。

 

―何のためにこれを書いたのですか?

大燈国師が何のために誰のためにこれを書いたのかは明らかになっていません。最後の署名にある「龍寶山(りゅうほうざん)」は大徳寺の山号なので、寺を建立した正和4年(1315)以降に書いたものと考えられています。

禅宗において、墨蹟は師の僧侶が弟子の僧侶に対して禅学の修行を体得したことを証明する、いわゆる修了証として非常に重要視されていました。そのため、禅宗が中国からもたらされた鎌倉時代(13世紀)以降、このような名のある禅僧による墨蹟は特に珍重されました。名物裂(めいぶつぎれ)などで表装して秘蔵し、しばしば香や花を供えて、その遺徳を称えたそうです。

大燈国師は歴代の天皇とも親交がある高名な禅僧であったため、多くの弟子もいたでしょうし、依頼されて揮毫(きごう)する機会も多かったのではないでしょうか。

 

―賞状を額縁に飾っておくような感じでしょうか?周囲のデザインも素敵ですね。

そうですね。このように美しい裂地で表装されているところをみると、この墨蹟がいかに大事にされてきたかがわかります。これらの裂地は、中国から舶載したとても貴重な染織品で、日本では高僧の袈裟(けさ)などに用いられるほか、茶の湯において茶器を納める仕覆(しふく)や帛紗(ふくさ)、書画の表具にも使われました。

 

一文字/風帯:紫地牡丹造土文印金(むらさきじぼたんつくりつちもんいんきん)
中廻し:皮色牡丹大造土文印金(かわいろぼたんおおつくりつちもんいんきん)
天地:白地大牡丹蓮唐草文銀紗(しろじおおぼたんはすからくさもんぎんしゃ)

 

特に金箔を型押しした印金や、金や銀の箔糸を織りこんだ金紗・銀紗は、禅宗(臨済宗)の高僧が着用する袈裟(けさ)に使われていたので、禅僧の墨蹟と取り合わせることが多かったのです。書はもちろんのこと、それを装飾する表具もまた同等の格式のものがふさわしいとされたのでしょう。

 

―ちなみに茶席でもこんな感じの書を見たことがあるのですが…。

そうです!よくご存じですね。墨蹟は、禅宗だけでなく実は茶の湯においても大変貴重なアイテムなのです。室町時代(15世紀)以降、わび茶が流行すると同時に、茶席の床の間に墨蹟を掛けることが流行しました。茶の湯自体が禅宗由来であるため、墨蹟は茶席の掛け物の中で、最も格式が高いものとして尊ばれていたのです。禅宗寺院で礼拝されていたのが、次第に茶席で賞玩されるようになる、その移り変わりが興味深いですね。

 

―一言で言うと?

自然の理に従い、こころは自由に。悟りを開いた力強い筆致。

 

〔今回の作品〕

作品名:重文 大燈国師墨蹟 偈語

制作年代:鎌倉時代 14世紀

大徳寺の開山である禅僧・大燈国師が、老年に至って悟りを得た境地を七言絶句であらわしたもの。力強く堂々とした字は、迫力だけでなく風格をも感じさせる。大徳寺の山号「龍寶山」があることから、書かれた年代が推測できる貴重なものである。

 

藤田美術館

明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。

 

本多康子

藤田美術館学芸員。専門は絵巻と物語絵。美味しいお茶、コーヒー、お菓子が好き。最近買ったおきにいり:ミャクミャクのぬいぐるみ(中)

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