ART TALK

ART TALK_13|美術館と職人技

久住有生さん(左官職人)

左官職人の久住有生さん(右)と藤田清館長(左)。後ろは、久住さんの手により塗られた茶室広間の床の間。

 

ART TALK vol.10にご登場いただいた、左官職人の久住有生さん。前回は美術館での作業に入る前に、淡路島にある久住さんのアトリエでお話をお伺いしました。その後久住さんには、美術館正面の展示室の大壁、展示室前室のホール、茶室広間の床の間、そしてカウンターキッチンの4か所を手がけていただきました。今回は、久住さんに美術館へお越しいただき、仕上がったばかりの壁を見ながら作業を振り返り、思い出話や苦労話を語り合います。

 

 

名職人10人がかりで幅約53mの大壁に挑む

 

藤田 清(以下藤田) おかげさまで竣工いたしました。今は、報道関係や建築関係のかたがたを含め、さまざまな関係者の皆さまに見学に来ていただいているのですが、まずこの大壁でびっくりされますね。遠目に見ているときはわからないのですが、近づくにつれて「あれ? これは塗り壁?」と気づいて、最後は触って「うわーっ」って。

 

久住有生(以下久住) この面積はね、結構大変でした(笑)。普通の白漆喰であればさらっといけるのですが、この壁は名人でも1坪が限界といわれるようなやり方をしています。

 

土間の大壁は幅約53m、高さ約3m。職人10人がかりで同時に塗り進めた。

 

藤田 職人さんが10人がかりで、前日にリハーサルもされてましたものね。

 

久住 腕のいい職人を集めて練習して、10人で同時に進めていきました。呼吸を合わせて塗り進めるなかで1人でもリズムが狂ったりミスがあったりすると、全部剥がして下地からやり直さないとならないので、ものすごい集中力が必要です。

 

藤田 そばで見ていても、その緊張感と集中力が伝わってきました。こちらも息が止まるくらい。横でじっと見ていることしかできませんでした。

 

久住 僕らもひとつの動作ごとに息を止めているので、それが伝わるんでしょうね。

 

藤田 対象となる壁はすごく大きいのに、それぞれの職人さんが集中しているのは、それこそ1/100ミリの世界なんですよね。そこがすごく興味深かったです。仕上がりではもう少し手の跡が残るのかと思ったのですが、ほとんどわからないですね。

 

久住 出ないように塗っても、完全にゼロにはならないんですよね。そもそも人間の動作なので、手の跡が出たとしても、それは本来きれいなものです。でも、そこが紙一重で、一歩間違えると“下手”な壁になってしまう。その微妙なところを職人全員が理解して、正しい動作をしなければこの表情は出ないだろうと思います。

 

藤田 そこに、光がすごくいい具合に落ちています。

 

左上のスリットから落ちる自然光が壁を美しく照らしているのだが……。

 

久住 この光は色んなことが見えてしまうので、実は職人にとって本当に厳しいんですよ。1人でもちょっと違うなという職人が混じると、そこだけはっきりとわかってしまう。この壁は明らかに美術館の顔という位置付けじゃないですか。だからプレッシャーが本当に大きかったですね。幸い、この人はという10人の職人さんが、年齢的にも技術的にも体力的にも、僕を含めてピークを迎えているというタイミングだったので実現できたと思います。

 

藤田 5年前や10年後ではできなかったということでしょうか?

 

久住 5年前では経験が足りなかったと思いますし、10年後には、僕はもうこれは塗れないですね。椅子に座って、号令だけかけます(笑)。

 

 

天井まで土に覆われた静謐な空間

 

藤田 ここは、大壁のある土間と展示室の間にあるホールです。蔵の扉をくぐると、明るい大空間から一転、落ち着いた照明のこのホールを抜けて展示室に至るという順路ですね。土間の開放的な気分を切り替えて、作品を見る前に心を整えていただく空間ともいえます。作業としては、ここが最初でしたね。

 

展示室に入る前のホールは、床面積約30㎡、天井高約5m。土の肌合いが美しい。

 

久住 スタートからハードでしたね(笑)。このレベルの土壁をこの面積で塗ったのは初めてでした。床面積はコンパクトですが天高があるので、天井と壁を合わせると大壁よりも面積が大きいのです。ここはね、何しろ天井が大変でした。天井は、通常は薄く塗ることが多いのですが、やはり全体の印象が軽くなってしまうので、壁と同様に厚塗りにしました。大量の土を持って足場にあがって塗り始めて、天井からそのまま壁に繋げていくのですが、僕はもう天井の段階でダメになりそうでした(笑)。

 

藤田 見学に来られたかたがたは、ここでもびっくりされますね。建築をご存知の方ほど、その大変さをおわかりいただけているようです。ここまでの高さがある空間を全部塗るという発想がまずないから、「塗ったんですか!?」って。ここは角を丸く仕上げていただいているのですが、どのくらいのアールをつけて、どこから始めてどこで終わるのかというところは、完全にフリーハンドでしたね。

 

久住 ある程度下地は施工側で作っておいてもらっていたのですが、角が入り組んでいるところはポコッと空いてましたものね。

 

藤田 ここは久住さんうまいことやっといてください、という(笑)。最後はスプーンを使ってませんでしたか?

 

久住 お玉なんかもね(笑)。塗る場所によって使うコテを細かく変えるのですが、ここを塗るコテは現場に来たらちょっと思っていたのと違っていたので、普通に頼むと3〜4か月かかる道具屋さんを拝み倒して、明日までに作ってくれ〜!って、前日にコテを作ってもらったりもしました。

 

藤田 ここには屏風のような作品を飾ったり、プロジェクターで壁に動画を映写したりすることを想定しているのですが、僕は壁そのものを見ていたいなと思っています。壁があるけれど壁がないというか、ずっと奥があるように見えてきますね。

 

久住 素材の土はもちろん自然のものですが、土を塗る人間も自然の一部だし、人間の動作もまた自然の一部なのだろうと僕は考えています。だからこの壁も、自然の風景を見るときのような「なんかいいな」という気持ちに繋がって欲しいと思いますね。

 

藤田 何というか、古い大きな木に触りたくなるのと同じで、つい触りたくなってしまいます。

 

久住 そう言ってもらうのが一番うれしいですね。

 

 

どんなものも受け止めてくれる茶店カウンターと床の間

 

藤田 当初、僕らはこのカウンターについて何も考えていなかったんですよね。木がいいか、石か、コンクリートか。銅板はどうかという話もありました。でもどれもピンとこなくて、やっぱり久住さんにお願いしよう!ということになりました。ここは、どう仕上がるのかが作業当日までわからなかった。

 

お茶や、おだんごを提供するほか、インフォメーションカウンターとしても活用される予定の茶店カウンター。

 

久住 最初は浅黄っぽいグリーンで、つるっとした質感を考えていました。もう1つの候補は、マットなブルーでしたね。その頃は、ここの床が石張りになるという前提だったので。

 

藤田 そうでした。グリーンでもブルーでも、どちらになっても面白そうだな、と思っていたら、そうこうしているうちに床がタタキになることになって。で、久住さんが「ちょっと考える」とおっしゃって。ここだけが、ほかの箇所と違って決定までが結構難しかったですよね。

 

久住 大壁をメインに考えていたのでそちらに意識を向けていたのですが、実はこの空間ではカウンターの存在がかなり目立つし、床とか周りがどんどん変わっていくし(笑)、ちょっと最初に考えていたものではないな、と思って。

 

藤田 でも内心ずっと、このカウンターが久住さんの作品としてこの空間で存在感を持つであろうと思っていました。背後にある大壁と自然に溶け合ってもいいし、戦うのもいい。最終的に違和感なくここにあるという作品は久住さんにしか作れないので、どんなものになっても、結果的には全体が調和するのだろうと。とにかく、みんな本当に触ります。このカウンターは。

 

手触りのよいカウンターの表面(左)と、塗り分けられアールがつけられたカウンター側面(右)。

 

久住 やっぱり撥水剤でコーティングしなくてよかったですね。自然な感じが出るから。

 

藤田 みなさん口を揃えて「これって、汚れとかは……」っておっしゃるので、いやもう汚れますよ、手垢も付くし、赤ワインなんかこぼしたらシミになるでしょうねって答えています(笑)。でも、それこそワイングラスでも、織部の茶碗でも、じかに何を置いても受け入れてくれますね。

 

茶室広間の床の間。わずかに青を感じさせる黒に塗られている。

 

藤田 この床の間は、最初はもう少し青みが強い色のイメージでしたね。

 

久住 そうですね、曜変天目のような濃紺はどうだろうと思っていました。

 

藤田 それが話をしていくうちに少しずつ変わっていって、最終的に、角度によってほんのわずかに青が感じられる黒に落ち着きました。この床の間は、古いものももちろん掛けられるし、現代アートも掛けられるし、場合によっては、何も掛けずに、庭からの光だけでも絵になりますよね。現代アートを掛けて、古い花入れを合わせるというような楽しみ方を、若い世代が面白がるというのは当たり前なので、それでどれだけ上の世代に納得してもらうことができるかということをどこかで試したいと密かに思っていたのですが、改めて、それがここやな、と思っています。この床の間なら、どんなものを掛けても崩れない。

 

 

久住 たいていの現場では、色と質感とメンテナンス的な実用性を話し合うことが多いのですが、今回は、色々と本質的なことを考えさせられる仕事でしたよね。そこがすごくよかったと思う。美術館の開館までに時間があるから、こうやってゆっくり見ることもできますし。

 

藤田 そうやって深く掘り下げて色々と考えて、話し合うことができたからこそ、どんなものでも受け止めてくれる懐の深いものに仕上げていただいたと思います。色んな意味で本当に勉強になりましたし、面白かったです。ありがとうございました。

 

新建材で仕上げた茶店カウンター上部を見上げる二人。ここも「久住さんに塗ってもらえばよかった」と藤田館長。

 

 

久住有生(くすみ なおき)

1972年、兵庫県淡路島生まれ。祖父の代から続く左官の家に生まれ、3歳で初めて鏝(こて)を握る。高校3年生の夏に、「世界を観てこい」という父の勧めで渡欧したスペインにて、アントニ・ガウディの建築を目の当たりにし、その存在感に圧倒され開眼、左官職人を目指す。日本に戻り、左官技術を学ぶべく18歳からさまざまな親方の許で、本格的な修行を始める。

1995年、23歳の時に独立し「久住有生左官」を設立。

重要文化財などの歴史的価値の高い建築物の修復ができる左官職人として、国内だけにとどまらず、海外からのオファーも多く、経験を積んできた。伝統建築物の修復・復元作業だけではなく、商業施設や教育関連施設、個人邸の内装や外装を手がけることも多い。

現場では企画段階から参加することが多く、デザイン提案なども積極的に行っており、伝統的な左官技術とオリジナティ溢れるアイデアが、国内外での大きな評価につながっている。また、どの現場でもその土地の暮らしや自然を意識しながら、土や材料を選び、ときには地元の暮らしの調査をしてから工事に入るなど、それぞれの風土も大切にしている。

通常の仕事の他にも、日本の左官技術を広く伝えるべく、ワークショップや講演会を積極的に国内外で開催している。

 

 

藤田清(ふじた きよし)

1978年藤田傳三郎から数えて5代目にあたる藤田家五男として神戸に生まれる。大学卒業後、2002年に藤田美術館へ。2013年に館長に就任。現在は、2022年の美術館リニューアルに向けて準備中。

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