INTRODUCTORY SELECTION

前野学芸員がやさしくアートを解説します。|入門50選_39 | 古代裂帖 刺繍天人幡残闕

飛鳥時代の鮮やかな刺繍

 

古代裂帖 刺繍天人幡残闕 こだいきれちょう(きれじょう) ししゅうてんにんばんざんけつ

 

 

―これは何ですか?
刺繍の施された布製品です。
継ぎ針繍(つぎばりぬい)という日本刺繍の技法で、3本の細長い布に刺繍されています。
継ぎ針縫は表と裏に同じ文様を表現することができる縫い方ですが、台紙に貼りつけられているため、裏面は見ることができません。

 

―貼ってあるのですか?
はい。布ばかりをアルバムのように貼った裂帖(きれちょう/きれじょう)として作られています。

 

―どんな裂(きれ)が貼ってあるのですか?
飛鳥時代以降江戸時代までと思われる裂が50枚ほど貼られています。
江戸時代以降の編纂と思われますが、誰の手によるものかはわかりません。
この裂帖を作った人の好きな裂が貼ってあると考えられます。

 

―この刺繍はいつ頃のものですか?
飛鳥時代(7世紀)のものです。

 

―何でできていますか?
染めた絹糸が使われています。強い撚(よ)りのかかった糸で、飛鳥時代や奈良時代の刺繍に多く使われました。

 

―何が表現されていますか?
蓮台(れんだい)に座る天人(てんにん)です。天衣(てんい/てんね)とよばれるリボンがひるがえり、火炎宝珠(かえんほうじゅ)や雲などが浮いているように見えます。

 

―天人は何をしているのですか?
仏を讚仰(さんぎょう/徳を仰ぎ尊ぶこと)しています。
右の天人は両手を上げて踊っているようなポーズ、中央は手を握ったポーズ、左は胸元で両手を開いたポーズをしています。
他の作例では楽器を奏でているものもあります。

 

 

 

―きれいな色ですね。現代にも通じる色合いです。
黄と緑の裂地に刺繍されています。青、橙、緑、黒、赤などが使われていますが、色合わせが明るくエキゾチックな感じがします。
たとえば、天人の肌は黄色く見えていますが、実は染めていない絹糸を使っています。その体の周囲を輪郭線として赤い糸で縫っています。そして地の裂は緑色で、補色に近い華やかな色合わせになっています。

 

―何のために作られたのでしょう?
法隆寺にあった金属でできた幡(ばん)のような、金銅幡(こんどうばん)の幡足(ばんそく)として作られたと考えられています。幡とは旗のことで、仏や菩薩などを荘厳する(おごそかに飾る)ために掲げるものです(第38回参照)。

 

―もっと長いものだったのですか?
そうです。
元々はかなり長いものだったようですが、台紙に貼るにあたって、真ん中に天人が来るように上下を組み替えるなどしてまとめています。
中央の緑地のものは、黒く汚れているように見える頭の輪郭線のすぐ上で切っています。周囲にある天衣も切れているので、ここで別の部分と繋げていることがわかると思います。天人の頭上にある文様は、実は天人の足元にある文様とつながります。

 

―1枚の幅はどれくらいですか?
1枚の幅は約11㎝になります。
3枚を横に並べて貼り付けています。

 

―裂帖は他にも藤田美術館にありますか?
茶道の名物裂を貼った裂帖などがあります。

 

―一言でいうと? 
エキゾチックな天人が刺繍で表現されています。7世紀とは思えないような鮮やかな色合わせが見どころです。

 

 

 

今回の作品: 古代裂帖 刺繍天人幡残闕

こだいきれちょう(きれじょう) ししゅうてんにんばんざんけつ

員数 3枚

時代 飛鳥時代 7世紀                 

撚りの強い絹糸を用いた刺繍です。仏を荘厳する幡の一部と考えられ、同種のものが、法隆寺や正倉院に伝えられています。軽やかな天衣の表現、エキゾチックな配色が見どころです。

 

 

藤田美術館

明治時代に活躍した実業家、藤田傳三郎と息子の平太郎、徳次郎によって築かれた美術工芸品コレクションを公開するため、1954年に大阪に開館。国宝9件、重要文化財53件を含む世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵。

 

前野絵里  

藤田美術館主任学芸員。所蔵する日本や東洋の古美術品に絡むものはもちろん、宗教、建築、歴史なんでも気になる。直接役立つことも役立たないことも体験体感することが一番と考えている。

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