宮沢洋さん(BUNGA NET代表兼編集長) | 藤田美術館 | FUJITA MUSEUM

2022年4月 リニューアルオープン(予定)

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ART TALK

ART TALK_15|アートと“建築好き”

宮沢洋さん(BUNGA NET代表兼編集長)

 

宮沢 洋さん(右)と藤田館長(左)。ギャラリーの古い蔵の窓の前で。

 

日経アーキテクチュア編集長を務めたのち、「オフィス・ブンガ」を設立し、文章とイラストで建築・都市・デザインをわかりやすく伝える活動を行う宮沢 洋さんが当館にお越しくださいました。30年以上建築取材に携わり、今なお建築が大好きだという宮沢さんと藤田館長の“建築好き”対談(のごく一部)をお届けします。

 

 

古い蔵からのダイナミックな建て替えの経緯とは?

 

藤田 清(以下藤田) 今日はお越しいただきありがとうございます。

 

宮沢 洋(以下宮沢) 楽しみにしていました。どうぞよろしくお願いします。今回お伺いするにあたって昔の美術館を写真で拝見して、すごくびっくりしたんです。あの古い蔵の状態を見ると、おそらく改修というところから考え始められたのだろうと思うのですが、どういう経過をたどってここまでダイナミックに変わったのか。そこがどうしても知りたくて、今日やって来ました。

 

 

藤田 最初は蔵を別の建屋で囲って残すという案もありました。ただ、元の蔵が2階建てや3階建てだったので、バリアフリーのことなどを考えるとエレベーターが必要になります。蔵は床面積があまりないので、エレベーターを外付けにして…などと考えていくと、やっぱり色々と難しく。加えて、耐震や消火設備、空調などをどこまで入れるかを考え併せると、しっかりと建て直して、誰もが安心して美術品を守れる環境をつくるほうがよいのではないかと。元の蔵は明治時代末期の建物で、110年余り美術品を守ってきたので、僕らが次の100年先の世代に伝えるにはどうするのが良いのか、僕たちが守らなければならないのは蔵ではなくて美術品なのではないか、“美術品を守るために蔵を造り直す”ということを第一に考えて、完全な建て替えの方向に動いていきました。

 

宮沢 設計と施工は大成建設さんですね。建屋で古い蔵を囲うという最初の案のときから大成さんが関わっていたのですか?

 

藤田 はい。大成建設さんは大倉喜八郎の大倉組と藤田傳三郎の藤田組が合同で大成建設の前身「大日本土木」を作ったというご縁がありました。

 

宮沢 ではそれまでもお付き合いがあったということですね。

 

藤田 お付き合いはありましたが、私たちは公益財団法人という事もあり、大成さんを含めて2社でコンペを行いました。

 

宮沢 ご縁の他に、決め手はありましたか?

 

藤田 私たちの想いをより具現化してもらえそうだった事でしょうか。僕は建築の提案書を見るのが初めてだったのですが、それが“本“みたいな提案書が出てきたんです。硬い表紙の。帯がついていて、そこに大倉喜八郎と藤田傳三郎の歴史がばーっと書かれていました。理事会で理事の方々にもお見せしたんですが、皆さん驚かれて。こんなに気持ちを入れてくださっているのかと。

 

宮沢 そこには設計案も書かれていたんですか?

 

藤田 ありました。でもその中身だけで決めたという事はなかったです。僕たちは建築家の先生に設計してもらうのではなく、自分たちで考えて新しい美術館を造りたかったので、それには相当の熱量を持っていただかなくてはならない。大成さんならそれがお願いできるのではないかと。

 

 

宮沢 では、最初の案はこの出来上がりとは違うものだったんですね。

 

藤田 そうですね。最初は3階建てで2階が展示室、真ん中に多宝塔があって、みたいなものもありました。でも、「そうじゃないんです」と何度も話し合って、僕らも考えながら進めていきました。そうしたらある日、担当の平井設計部長が「私たちは建物をつくるのをやめました」と仰って。そのとき持って来てくださった案が、ほぼ現在の形でした。「私たちがやるべきことは美術品を守って伝える空間をつくることで、建物を設計することではない」と仰ったんです。そのとき初めて、全員がすっと「これだ」と思えたのです。

 

宮沢 どういう点がそれまでと違っていたんですか?

 

藤田 シンプルさだと思います。メンテナンスや動線なんかを考えても、すべてがシンプルな方が長く使い込める建物になるんじゃないかと思っていたんですが、コンセプト先行で進めていたので、具体的なかたちはイメージできていませんでした。それで何度かやり取りした結果、この案が出てきた時に「私たちが欲しかったのはこういうシンプルさだったんだ」と、しっくり来たんです。自分たちが考えていたシンプルの意味を再認識できました。

 

宮沢 そもそも大成さんが美術館を手がけるのは珍しいのではないですか。それが障壁にはなりませんでしたか。

 

藤田 そもそも私たちも初めてなので、過去の美術館建築のキャリアというよりも、どれだけ一緒にコミュニケーションを取りながら進められるかが重要でした。

 

宮沢 セオリーのないところでやりたかったということですね。

 

藤田 そうですね。イチからつくる方が私たちの美術館には合うのかなと思っていました。

 

 

 

どこにも似ていない場所を

 

宮沢 大成建設さんから最初に出てきた案には、すでにこの大きな庇があったんですか?

 

藤田 庇については、早い段階でアイデアとしてありました。うちの理事長がニューヨークのメトロポリタン美術館だったと思うのですが、子供が展示室で作品の前に寝っ転がってスケッチをしている様子を見て、ああいう空間にしたいという希望を持っていたんです。ただ藤田美術館では実現が難しいだろうから、展示室の外に“原っぱ“のようなスペースを作ろうという話になりました。原っぱに木陰をつくるということからこの庇ができました。庇さえあればその下の日陰で、みんなが自由に交流できる。そこから、庇さえあればいいんだからガラスウォールも空調もいらないんじゃないかというところまで話が進んだのですが、試しに真夏に椅子を外に出して菩提樹の木陰で建築会議をしてみたら、5分ともたなくて(笑)。やはりガラスウォールはいるし、空調は必要、ということになりました。

 

宮沢 美術館の建て替えの取材をしていますと、大体、意見をまとめていくなかで「屋根は切妻にしよう」といった、どちらかというとコンサバティブな方向に落ち着いていくものだなと感じていました。ところが藤田美術館さんは「原っぱにしよう」という、先鋭的なコンセプトになっていった。なぜそちらに向かわれたのでしょうか。

 

“原っぱ“をイメージした「土間」。斜めの天井は原っぱに日陰をつくる“庇“をイメージしている。展示室のオープンは2022年4月だが、このスペースのみ団子とお茶が楽しめる「あみじま茶屋」が先行オープンしている。

 

藤田 建て替えるという事で、やはり、「前の方が良かった」と思われてしまうのは避けたいと思っていました。従来の美術館の文脈に則って進めてしまうと、どうしても以前と比べられてしまいます。そうならないためにも、美術館ではできないと思われていたことを挑戦してみよう、というイメージでした。結果的には美術館をつくるのですが、美術館をつくるという意識ではないところから発想してみようと。美術館をつくるという概念から一度外れてみて、どう表現できるか、いろんな方達にどう表現していただけるかと考えると、建物にはあまり癖がないほうがいいのではないか、といったことも「シンプル」というコンセプトに全部つながっていましたね。

 

宮沢 白い建物にしようというのは、最初から決めていたことですか。

 

藤田 はい。展示室の入口となる蔵の扉が黒い鉄の扉なので、それに合わせる、しかも蔵の壁となると、やはり白なのではないかと。むしろ、どういう色調の白にするかで悩みました。

 

宮沢 設計には随分と時間がかかったのではないですか?

 

藤田 本当に長かったですね。構想から竣工まで足掛け6年です。例えばパースを見せていただいた時に、エントランスに何気なく植栽があったりするのを「この木は何だ?」と。意味や必要があればいいのですが、意味もなく何かを置くのはやめようと。展示ケースにしても、床のコンセントの穴にしても、細かいところまでなるべく気にして考えることようにはしていました。これは本当に必要か、意味があるかないか、すごく気をつけていました。後から誰かが「ここはこうできたんじゃないか」とできるだけ思わないように、時間をかけて詰めていった感じです。

 

宮沢 仕事柄、美術館はたくさん見ていますが、あまりタイプ分けできないというか、どこかに似ていると言いにくい美術館だと思いました。どこにもないものを作られようとしたことに関しては、やり切った感があるのでは?

 

藤田 部分的には「ここはあそこに似ているな」とか、「ここはあそこのあのイメージにつながるかもしれない」など、思い返せばやはり様々な美術館で見せていただいたことから影響を受けていると思う点はありますが、そう言っていただけると成功しているのかもしれません。いちばん難しかったのは、形じゃないところにこだわったという点ですね。そこを大成さんはじめとする皆さんがまとめてくださいました。

 

ギャラリーを抜けて出口に向かう順路の途中。写真左側にある庭と茶室が眺められる。
かつて隣の公園との間にあった塀を取り壊し、植樹した。2人の背後にあるのが茶室。

 

開かれた場所を目指して

 

宮沢 道路側がかなりセットバックしていて、普通の歩道のようにたくさんの人が歩いていますね。これは大変、気前がいいつくりだと思うのですが。

 

藤田 実は、昔は敷地ギリギリまで塀があったんです。ガードレールもなく、そばを歩く人が危険なくらいでした。加えて、美術館は公の施設なので、オープンにしないと意味がありません。そこで、早くから塀は取り払おうという方向で考えていました。塀をなくすと自然に道路からセットバックするので、そこを歩道にすれば美術館を訪れる人だけでなく周辺の方々も安全に歩けるので、その方が良いだろうと。

 

宮沢 すごく好感度が高いと思います。

 

藤田 そうですか。ありがとうございます。セットバックしておいてよかった(笑)。

 

宮沢 美術館に近づくにつれ、エントランスがすごく開かれていると感じました。

 

藤田 昔は高さ2mの塀に囲まれた閉塞感のある場所でした。明治時代の塀だったので貴重ではあったのですが、少しでも開かれた場所にしたかったので。道路側だけでなく、公園側にも塀があったんですよ。

 

庭の多宝塔(右)と茶室(左)。写真奥にある藤田邸跡公園との塀が取り払われたため、広々とした風景に。

 

 

宮沢 あっそうか、ここは全部が美術館の敷地じゃないんですね。

 

藤田 多宝塔のすぐ裏に塀がありました。隣は大阪市立の公園なのですが、大阪市さんに「公園と美術館の活性化を考えると塀がない方がいいのではないでしょうか」とお話をして、取り壊すことになりました。交渉に2〜3年かかりました。

 

宮沢 その塀は大阪市のものだったんですか? 聞いてくれるものなんですね。珍しいですよね。

 

藤田 そうですね。珍しいことだと思います。公園側と美術館側の地面のレベルが違ったので、そこは仕方なく植栽を抜いて地面の高低差をならして、また木を植えました。

 

宮沢 では以前からこの景色が見えていたわけではないんですね。

 

藤田 そうなんです。こちらから見ると、見えてるところがすべて美術館の敷地のように見えるので、得しています(笑)。

 

宮沢 視線の広がりが全然違いますね。

 

 

茶室は、実はハイテク !?  

 

宮沢 このお茶室は新築なんですか?

 

藤田 はい。もともと茶室があったのですが、強度の問題で移築ができなかったので、それを解体して、使える部材は使っています。間取りは、元の藤田家にあった茶室を再現しています。

 

宮沢 今後はお茶会なども開かれるのでしょうか?

 

藤田 そうですね。きちんと使える茶室にするために、水屋もつくっています。実はお点前をするあたりの手元が少し暗くなっていたのですが、やはりお茶室なので照明器具は入れたくなかったんですね。そうすると窓をつくるしかないのですが、窓の向こうがちょうど水屋になっているので外光が入らない。LEDを仕込むのがよくある手法なのですが、それはどうしてもしたくなかったんです。天窓を開けるとしても、やはりただの突き上げ窓とはいかず、がっちりとしたステンレスの窓枠をはめることになってしまう。お茶室にいると、外の天気の様子が中にも伝わり、曇ると急に暗くなって、晴れるとすっと明るくなります。それがどうしても欲しかったので大成さんにご相談したら、「光ダクト」というものがありますとご提案いただいて。

 

宮沢 そんなにすごいものが使われているんですか。

 

藤田 外光を99%以上反射するというダクトを床下に通して、窓の向こうに光を送っているんです。

 

宮沢 なるほど。ハイテクですね。では、天気の変化も反映されますね。

 

藤田 はい。ここの前を人が通ると光がちょっと揺らぐくらい繊細に伝わります。しかも、ちょっとした照明器具よりも照度が高いですね。

 

宮沢 これはお茶室界で流行るかもしれませんね。

 

藤田 今回の一連のプロジェクトの中でも、大きなヒットといえます。いま古田織部がいたら、絶対使ってると思います。

 

宮沢 新しもの好きな人たちですものね。

 

 

茶室(右)と腰掛け待合(左)。庭の木は、館長自ら鹿児島と宇都宮に足を運び、選んできた。

 

 

藤田館長、建築の“沼“にはまる

 

藤田 僕は今回、初めてこういう建築に関わったのですが、大成建設さんのようなスーパーゼネコンは、どこかで大きなパーツを作って運んで、現場ではそれをバーっと組み立てるんだろうなというイメージを持っていたんです。でも実際にやってみると、考えれば当たり前のことなのですが、職人さんが毎日手作業をしていました。基礎を打っている時も、配筋がすごく綺麗で、ずっと現場に来て写真を撮っていました。

 

宮沢 もともと建築がお好きだったわけではないんですか?

 

藤田 まったくないです。興味がなかったわけではないんですが、善し悪しもわかりませんし、他の美術館さんに伺っても、「かっこいいな」と思うだけで、建築として面白いかどうかという視点は持っていませんでしたね。

 

宮沢 かなりお好きになられたんじゃないですか。

 

藤田 この建て替えが始まってからどっぷりハマってしまいました。たとえば館内に既製品のルーバーを使っているところがあるんですが、1ヶ所だけ、来館者に見える角があるんです。普通だと、2つの部材を斜めにカットして角で合わせるということをするんですが、どうしても正確にピタッと合わないから角がきれいに見えない。そこだけでもきれいにしたいって言っていたら、職人さんが手作りでステンレスを曲げて作ったサンプルを「これでいいですか?」って持ってきてくれて。僕は「1ヶ所だけだから何とかしてください」なんて言ってたのですが、「1ヶ所だけっていうのがいちばん大変です」って言われてしまって(笑)。

 

宮沢 そういう細かいところにこだわるのは、ある程度ご自身で色んなことを決められる立場だったからではないでしょうか。そうでなければそこまで目がいかないだろうと思いますね。

 

藤田 確かにそうかもしれません。先程のルーバーの「角が気になる〜」って言っていたら、大成の方に「館長、そんなところが気になるなんて、もう末期症状ですね」と言われてしまいました。他にも、この踏石の穴なのですが…(以下略)。

 

宮沢 そんな風に好きになってしまうと、出来上がってしまって寂しいんじゃないですか?

 

藤田 そうなんです。なんで竣工してしまったんだろう。もっとやればいいのにって思っています(笑)。

 

宮沢 私はこの仕事を30年以上やってきて、ずっと建築が好きなんですが、自分では1軒も建てたことがないんです。そんな風に感じるものなのですね(笑)。

 

エントランスから外観を眺める2人。この後も建築談義は日が暮れるまで続いた。

 

 

 

宮沢 洋(みやざわ ひろし)

画文家、編集者、BUNGA NET代表兼編集長。1967年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、日経BP社入社。日経アーキテクチュア編集部に配属。2016〜19年まで日経アーキテクチュア編集長。2020年に独立し、磯達雄とOffice Bunga設立。2021年株式会社ブンガネット設立。イラストと文章を組み合わせ、難しく語られがちな建築・都市・デザインの専門情報をかみくだいて広く伝える。著書に『隈研吾建築図鑑』など。

 

藤田清(ふじた きよし)

1978年藤田傳三郎から数えて5代目にあたる藤田家五男として神戸に生まれる。大学卒業後、2002年に藤田美術館へ。2013年に館長に就任。現在は、2022年の美術館リニューアルに向けて準備中。

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