ART TALK

ART TALK_12|アートと建築

平井浩之さん
(大成建設株式会社 一級建築士事務所 関西支店設計部長)

平井浩之さん(左)と藤田清館長(右)。奥に見えるのは展示室の扉で、築100年以上の藤田家の蔵を利用していた旧美術館の扉を再利用したもの。ほかにも、梁や床材、建具などをできる限り使い、面影を留めている。

 

2017年の顔合わせから足掛け3年。2020年8月末、お陰様で藤田美術館の新建屋が竣工しました。設計・施工を担当していただいたのは、大成建設株式会社です。とくに設計担当として手を挙げ、熱意をもって取り組んでくださったのが、関西支店設計部長の平井浩之さん。竣工直後の美術館にお越しいただき、藤田館長とともに、設計から施工までの濃密な時間を振り返りました。

 

 

藤田美術館と大成建設との歴史的なつながり

 

藤田 清(以下藤田) 今日はお時間をいただき、ありがとうございます。お陰様で、建ちました。

 

平井浩之(以下平井) 建ちましたね(笑)。

 

 

 

藤田 今回の設計と施工に関してはコンペを行ったのですが、最初から、大成建設さんにはかなり気合を入れていただいていました。

 

平井 それは弊社の歴史的なこととも関連します。大成建設の前身は明治6年に大倉喜八郎が創立した大倉組商会ですが、明治20年に藤田傳三郎氏と渋沢栄一氏とともに日本初の土木建築業である「日本土木会社」を設立し、京都大学の校舎の建築などを一緒にやっていたという歴史があるのです。

 

藤田 そういう歴史を踏まえての、提案書だったのですよね。

 

平井 はい。提案書を製本しまして。

 

藤田 完全に「本」だったのです。しかも帯付きの。提案書に帯がついているのを初めて見ました。

 

平井 歴史とともに歩んできたということをどう表現しようかと一生懸命に考えました。帯に藤田組と大成建設との歴史を並べて、それが現在に繋がっているという。これを決めるのにすごく時間がかかりました(笑)。

 

藤田 そっちですか!(笑)。それにしても、衝撃的な提案書でした。理事会で提示した瞬間に、理事のかたがたが「なんやコレ!」って(笑)。

 

 

平井 黒い表紙に金の文字で、帯に年表を付けて。本来、製本するような提案書を作る際は、支店長が挨拶文を書くのですが、「これだけは僕に書かせてください」と申し出て、書かせていただきました。というのは、僕が大成建設に入って3つやりたい建物があるうちの1つが藤田美術館さんだったのです。20数年前からずっと言い続けてきて、とうとう実現しました。

 

藤田 すごいタイミングでしたね。

 

平井 30年近く前、藤田美術館の向かいにある太閤園さんで先代の藤田さんにお食事に呼ばれたこともありました。

 

藤田 私の父がビルの設計をお願いしたときだそうですね。

 

平井 余談ですが、そこで雪と蛍を同時に見せていただきました。「平井さん、窓の外をご覧ください」と言われて外を見たら、蛍が舞っている中を雪が降っていまして、窓から乗り出して見たら、上からスタッフの方がばーっと雪を降らせていて(笑)。

 

藤田 古い社員に聞いたら、「そういえばそんなことやってた!」って。当時はそんなイベントを開催していたそうです。平井さんとは、随分前からご縁があったのですね。

 

 

隣接する市立公園の塀を取り払い、広がりと繋がりを

 

藤田 建築設計をする際、通常は最初に建築要件を出して始めていただくのが手順だと思うのですが、我々は素人なので、展示室にどのくらいの広さが必要かといったことなどが、まったくわかりませんでした。そのため、私たちがやりたいことはこんなことです、ということだけをお伝えして、設計を始めていただきました。

 

平井 最初に提案するタイミングでは、設計の内容よりも、姿勢を問われているのだろうと受け止めていました。具体的な設計案はまだいい、と。

 

藤田 最初の案と竣工したものは全然違いますよね。

 

平井 まったく違います。最初は、古い蔵をそのまま移築して新しい建屋で囲うという案で、その次は、色んな光の入りかたをする小さな建屋をいくつか庭に配置するという案。

 

藤田 その次にいただいたのが、建物の中央にもとの蔵の扉を付けた展示室があり、その外に、自由に使える「広場」があるという、現在のものとほぼ同じプランでした。最初の案と決定案で共通するのは、色が白いということと、2階建てということだけですね(笑)。

 

平井 あと、まずは美術館を取り囲んでいた塀をなくしたい、というご希望がありました。

 

藤田 そうですね。以前は防犯上のことなどもあって塀があったのですが、開かれた場所にしたいという気持ちから、塀をなくそう、と。

 

平井 それにより、私が昔から思い描いてきたことが実現しました。道を隔てた隣の太閤園さんと藤田美術館、そして美術館に隣接する大阪市立の藤田邸跡公園はもともとすべて藤田家の邸宅で、ひとつの敷地だったのですから、これを繋げたかったのです。藤田美術館と藤田邸跡公園の間には塀があったのですが、これを取り払いましょうと大阪市に提案し、1年半かけて交渉して、実現しました。

 

藤田 これは本当に、大阪市もよく対応してくださいましたよね。

 

 

美術館の庭に建つ茶室の待合にて。背後に、これまでは塀で隔てられていた大阪市立藤田邸跡公園が見える。

 

平井 はい。すごく広々としたと思います。

 

藤田 美術館の庭を通して公園が見えて、景色が広がりました。今までは塀で隔てられていた上に公園の出入口と美術館の出入口が離れていたため、かなり歩かなければならなかったのですが、それが解消されました。公園に来た人も気軽に美術館に足を運んでいただけますし、美術館に来られた方も、その流れで公園を散策することができる。最初から公園の中に美術館を作るという計画であれば共存も可能ですが、そもそも塀で区切られていたところを取り払うというのは、本当に珍しいですよね。

 

平井 この美術館でどこが好きかと聞かれると、僕はいつも、この広間の縁側だと言うんです。ここに座ると正面に太閤園さんの建物の向こうの庭が見えて、振り返ると美術館の庭の向こうに公園が見える。藤田邸の敷地をもとに戻したいというのが一番の狙いでしたので、それができたということが、ここに座ると実感できます。

 

藤田 私も初めて、公園側との繋がりを感じることができました。

 

 

広間の縁側に座る二人。この位置に座ると、正面に太閤園の建物と、窓を通してその庭が見える。左手に見えるのが美術館の庭で、その隣に大阪市立藤田邸跡公園が続く。

 

職人さんに“難しいけれど、面白かった”と言ってもらえる現場に

 

平井 設計を進めるに当たって、僕はいつも、お客様に3回ご説明するようにしているんです。1回目にダメと言われた場合は、僕らが三次元で思い描いていることを説明し切れていないのではないかと考えて、パースを作るなどして、もう1回、2回と詳しく、粘り強くご説明します。でも、3回ご説明してダメだったらダメだと。

 

藤田 3回どころじゃないときもありましたよね(笑)。

 

平井 そうでしたっけ?(笑) でも本当に、美術館の方々がディテールのひとつひとつを細かく検討してくださいました。オフィスにダンボールで作ったキッチンカウンターの実物大模型が置いてあったときは、驚きました。

 

藤田 通常、設計の方と現場の方は、ガリガリやりあうものでしょうし、この工事でも実際、始まった当初はそういう雰囲気もあったと思います。現場担当の方からは「この日までに決めてもらわないとできません!」とか「もうここは変えられません!」なんてよく言われていました。でもある日突然、本当に突然、「やっぱりこうしたほうが見栄えがよくなるのではありませんか?」って(笑)。そうすると下地なんかの処理が大変なのでは?と聞くと、「……それは何とかしましょう」って。

 

平井 設計が提案した後に、現場から「こっちのほうがいいんじゃないか」と、もっと手間のかかることを逆提案されたこともありました。

 

藤田 休日返上で、プライベートで出かけた先でも「面白いものを見つけたからこれ使えませんか?」と提案してくださったり。あと、一番大きかったのは広場のタタキですね。アイデアとしてはあったものの、やっぱり難しいという話になり、石の床にする方向で検討を進めていたのですが、最終決定のタイミングで、「タタキでやってみませんか」と。「実はタタキにする案がなくなってからも、どうにか実現できないかと実験を続けていたんです」と言っていただいたときは感激しました。この場所の床をタタキにすることができて、本当によかったです。

 

平井 パブリックスペースの床をタタキにする人なんていませんもの(笑)。

 

藤田 そうですよね。汚れてもいい、ここはそういう場所だから、ということで決めさせていただきました。石とはまた違う、硬いけれど柔らかいというか、何とも言えない素材感です。大勢の人が入ったときにここがどうなるのか、すごく楽しみですね。

 

平井 最初は、このスペースはガラスウォールも空調もいらない、吹きさらしでいい、という案も出ていました。そこで、ちょうど夏だったのですが、定例会議のときに庭にテーブルを置いて、ここで会議しましょう、それで暑くなければガラスウォールも空調もなしでいきましょう、とやったんです。

 

藤田 そうしたら、半数以上のメンバーが5分で部屋に入ったんですよ。「暑い!」って言って(笑)。完全に無理でしたね。

 

平井 そうしないとわかってもらえなかった(笑)。

 

 

藤田 全面ガラスウォールですが、庇のお陰で直射日光が入らないですね。

 

平井 シミュレーションして庇の角度やサイズなどを計算しました。空調の効きもいいようですね。

 

藤田 通常の庇とは逆に上を向いているので閉塞感がなく、直射日光は遮りながらも、天気が悪い日でも常に明るいです。この庇も、建物の正面と側面では、微妙に角度が違うんですよね。角度が違う2つの庇を繋げる角の部分を、どう結合するのか。僕たち素人は、出来上がったパネルをただはめていくんでしょう?くらいに思っていたんですが、角度を合わせるために、現場で職人さんがパネルを曲げて、何人かでそれを持ち上げて、腕をぷるぷるさせながら「合わない! 1回下ろそう」って言って下ろして、また削って、曲げて、ということを繰り返されていて。すごく手作りなんだということに驚きました。

 

平井 そのパネルにも、“3ミリ事件”というのがありまして(笑)。

 

藤田 ありました。いくつかサンプルを見せていただきながらお話をしていて……。

 

平井 理想とする見え方に近づけるためには、通常15ミリ必要なパネルの目地を、3ミリにしようという結論に至りました。そのために施工のしかたを全部変えなければならず、2〜300枚ある施工図面をすべて書き直したという(笑)。

 

藤田 平井さんが「3ミリにしましょう!」とおっしゃった瞬間の、その場にいらした皆さんの表情が忘れられません。「ええっ?」って。

 

平井 そうしたら、昔からよく存じ上げているパネル屋さんの大御所が、すでに幹部なので現場にいらっしゃることはあまりないのですが、とうとう降臨されました。「平井さん、図面書き直しに来ましたわ」って。

 

藤田 一見シンプルなのですが、大きな1枚屋根の大空間なのに柱が細く、しかも屋根が宙に浮いているように見えるので、建物内にいるという圧迫感がないんですね。ふわっとした柔らかい光に包まれて、とても居心地がいい。それは、たとえば展示室側の、左官師の久住有生さんに塗っていただいた大壁に梁の影が落ちないようにするという大成建設独自の技術や、空調の吹き出し口など普通に作ると目に入ってしまうものを極限まで排除する細やかな配慮から成り立っています。一般の方々には自然に「なんだか気持ちがいい場所だな」と感じていただいける空間である一方で、建築に詳しい方が見ると「ここは一体どうやってるんだ?」という恐ろしい技術が詰まっているという(笑)。当初、平井さんが「設計はしますが、建物は造りません。建物じゃないんですこれは」とおっしゃったのが印象的でした。

 

 

展示室を囲む「広場」と名付けた場所は、誰でも出入り可能な自由なスペース。床はタタキを採用した。展示室の扉が取り付いている白い大壁は左官師の久住有生氏が塗った左官壁で、ここには屋根の梁の影が落ちない工夫がなされている。

 

平井 美術館は美術品を展示するための装置ですから、建築はでしゃばってはいけない。存在を消すようにしようと考えました。

 

藤田 そのために現場の方々が、目に見えないさまざまな工夫と努力を重ねてくださいましたね。安易に何かをする、ということが一切ありませんでした。現場の職人さんとは、皆さんで一度お食事させていただいて、すごく楽しかったです。

 

平井 有難いことでしたよね。「職人さん大事だから」って言ってくださって。

 

藤田 だんだん打ち解けてきた頃に、「すごく大変だと思いますが、楽しんでやっていただけているとしたら、僕らとしてもとても有難いのですが……」と申し上げたら、「いや本当に大変! こんな現場なかなかないよ!」って言われました(笑)。でも、「面白いし、勉強になる現場だ」と言っていただけて。ベテランの職人さんに混じって、若い方もたくさんいらっしゃるのが、とても素敵だなと思いました。

 

平井 さらに、僕らも含めて、建築に携わった人間の名前全員を入れたプレートを作っていただきました。こんなことは初めてです。しかも肩書きなどで優劣をつけず、名前の五十音順で並んでいて。

 

 

1000名にのぼる建築関係者の名前を記したプレート。通用口付近に掲示されている。

 

 

藤田 これは、我々の間で早い段階から決めていたことでした。せっかく建てていただくのだから、関わってくださった方々が「自分がこの美術館を作った」と思っていただけるようなものを作りたかった。将来、ご家族を連れてここに来ていただいて、「これは自分が作ったものだよ」と話していただけたらと。

 

平井 これは本当に有難いことですし、設計・現場ともども感慨もひとしおです。

 

藤田 本当にとてもいい経験をさせていただきました。すごく面白かったです。工事が終わってしまったのがとても寂しいです。

 

平井 工事が終わるのは、寂しいものですよね。

 

藤田 美術館としては、ある意味でこれがスタートなのですが。

 

平井 そうですね。僕らは、建物が建った時がスタートラインに立った時だと考えていて、子どもを産んだようなものなので、ここからの成長は親御さん次第。育て方が間違ったら変になるのであって、モノが悪いわけではない、と(笑)。

 

藤田 お陰様でこうやって完成した建物ですから、これからは自分たちでちゃんと育てていきたいとおもいます。本日はありがとうございました。

 

 

元は高野山にあったという、徳川家の紋章が入った江戸時代の多宝塔は、補修し、位置を移動した。調査の結果、高野山でも珍しい江戸時代初期の貴重な建物であることがわかった。

 

 

 

 

 

平井浩之(ひらい ひろゆき)

大成建設株式会社 一級建築士事務所 関西支店設計部長。

1964年奈良県生まれ。京都大学工学部建築学科卒業後、大成建設入社。立命館大学理工学部建築都市デザイン学科非常勤講師、武庫川女子大学特別講師。神戸大学アメフト部レイバンズの後援会会長も務める。「パイオニアナレッジセンター」(2017)で日本建築家協会 優秀建築選、「宇部興産大阪研究開発センター」(2017)で日経ニューオフィス賞、「祗園みゆきビル」(2018)で日本建築学会 作品選集、「パスカル大分事務棟」(2019)でDSA日本空間デザイン賞 金賞など受賞多数。

 

藤田清(ふじた きよし)

1978年藤田傳三郎から数えて5代目にあたる藤田家五男として神戸に生まれる。大学卒業後、2002年に藤田美術館へ。2013年に館長に就任。現在は、2022年の美術館リニューアルに向けて準備中。

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