ART TALK

ART TALK_10|アートと職人技

久住有生さん(左官職人)

久住さん(右)と藤田館長(左)。海に面した淡路島の久住さんのアトリエにて。

 

伝統的な高い技術とオリジナルデザインをともに追求し、日本のみならず、海外でも活躍する左官職人の久住有生さん。その仕事は、茶室から個人邸、ショップ、飲食店、ホテル、美術館、学校など、多岐に渡ります。久住さんの腕に惚れ込んだ藤田美術館は、新しい館の壁の一部を塗っていただくことにしました。今回は、藤田美術館での作業を約3ヶ月後に控えた久住さんの原点である淡路島のアトリエを訪ね、空間づくりについて、職人技についてなど、改めてじっくりとお話を伺いました。

 

 

前代未聞の、突撃依頼

 

藤田 清(以下藤田) 最初に久住さんにコンタクトを取らせていただいたのは、1年半ほど前でしょうか。うちの理事長とPJリーダーがNHKの「プロフェッショナル」で久住さんが取り上げられていたのをたまたま見ていて、「あれ見た?すごかったね!」と盛り上がりまして。美術館の設計・施工を担当している大成建設さんにお話をしたら「久住さんはものすごくお忙しいので、受けていただけるかどうかはわからない」と言っているのに、抑えきれない理事長とPJリーダーが「アポは取ってないけど、突撃で行こう!」って(笑)。こんな風に、突然飛び込みで依頼されることってありますか?

 

久住有生(以下久住) いや、ないです! 今まで1回もないですよ(笑)。急に来る人はいない。

 

 

藤田 でも、「プロフェッショナル」放映直後だったので、きっとお忙しいだろうし、「突然行かないと断られるだろう」と、飛び込んじゃった。

 

久住 確かに、電話やメールでのやり取りだと、空いていなければお断りする可能性もありますよね。

 

藤田 事務所の方を驚かせてしまったようで。

 

久住 確かにビビってました。「いきなり来ました!」って(笑)。

 

藤田 僕もビビりましたよ、「いきなり行くんかい!」って(笑)。その話を聞かれたときは、どう思われました?

 

久住 最初は、正直よくわからないから「へえ〜?」なんて生返事をしていたのですが、よく聞いたらあの藤田美術館か、だったらぜひやらせていただきたいと。

 

藤田 遡って考えてみると、竹中大工道具館であったり、ホテルや料理屋さんの壁であったり、久住さんのお仕事を目にしたり、お名前を耳にしていたことが多々ありました。実はお願いしたあと、まったく別件でご紹介を受けて丹波の陶芸家の方の教室に参加したら、そこのお茶室も久住さんが手がけてらして。いたる所がめくれている割れ壁で、内心、おおっ!と思ったのですが、まだ色々と公にはできない段階だったので、陶芸教室なのに「この壁のメンテナンスはどうされているんですか?」とか、やけに具体的に質問したりして(笑)。やっぱり、すごくご縁を感じます。

 

さまざまな配合を試し塗りしたサンプルを前に喜色満面の藤田館長。

 

 

「自然」が感じられるような壁を

 

藤田 今日は、次のご飯のスケジュールを決めに来たんです。どちらかというと、そっちがメインで(笑)。

 

久住 僕たち、毎回ご飯の話をしていますよね。

 

藤田 大阪に面白い卵かけご飯のお店があって。全国から取り寄せた何百種類ものお醤油で味の違いを楽しむという。

 

久住 そこ、楽しみにしています。だいぶヤバいですよね。

 

藤田 いい意味で変態ですよね。あと東京のラーメン屋さんの話とか、これまでの打ち合わせで、ほとんど壁の話はしてない(笑)。

 

久住 でもそれが一番わかりやすいです。とくに個人邸をさせてもらうときは、どこにご飯を食べに行くかとか、どこに旅行に行くかとか、そういう話をたくさん伺って、服装なども拝見して、理解を深めていきます。そこでこだわり具合とか、色んなことがわかると思うんですよね。

 

 

藤田 そうですね。ところで、お料理屋さんをはじめ、久住さんの壁を色んなところで拝見していますが、改めて思うんです。壁ってなんだろう?って。何なんでしょうね? 

 

久住 もともと左官の壁は主張がない方がよしとされていたんですが……、ええと、左官の話をしてもいいんでしょうか(笑)。

 

藤田 はい、大丈夫です、ご飯の話題以外も(笑)。

 

久住 左官の仕事というのは主張がないことがよしとされていて、その伝統を大切にすべきだと思うのですが、一方で、僕はデザインした壁も作ります。それを始めたきっかけというのが、まだ若い頃ですが、大都市にある、予算が大きい現場に入ることが続いて、だんだんと気持ちがしんどくなってしまったことがありました。そこでは効率が求められるので、工期も比較的短くて、お金をかけて贅沢な素材をふんだんに使っているのに、あくまでも僕にとっては、ということですが、感動しづらいというか。これは何だろう?と。

 

藤田 なるほど。表面的な感じがするという感じでしょうか。

 

 

久住 はい。もっと自然にいいものがあるのだから、使ったらいいのに、と。ただ、そういう提案をしても、土壁ってボロボロするでしょ、もっとメンテナンスしやすいもののほうがいい、という反応が多くて。でも、やわらかいもの、手をかけて作るいいものが、大人もそうなんですが、とくに子どもが暮らす環境になければ、日本はどうなってしまうんだろう?と思い始めました。ただ、大都市の現場で、手間を掛けて僕らがいいと思うことをやっても、「普通」だな、という雰囲気になってしまって。そこで、もっと直接的に自然を感じられるほうがいいのかもしれないと考えて、デザインをやり始めたんです。デザインといっても、僕はもともと淡路島で仕事をしていて、ここは何もないようだけれど、海、空、山、木、土など、本当にきれいなもので溢れている。その形をそのまま写すのではなく、雲の形や波の形、空の色なんかを見てきれいだな、と思う、その思ったこと、感じたことを形にできたらいいなと思って、それをやりだしただけなんです。

 

 

藤田 だからなんでしょうか、久住さんの壁を見ていると、触りたくなります。本当は触っちゃダメなところでも、そっと触ったりして(笑)。

 

久住 そう言っていただけるのが一番嬉しいですね。そこを一番に思って作っています。建築をはじめ、人が作ったものというのは、育った環境や時代によって、好き嫌いが変わりますよね。でも、自然はいつ誰が見てもきれいだと感じるじゃないですか。今は人間の知能の発達によって自然破壊が進んでいます。これは僕の勝手な考えですが、それを最低限に抑えるために、本能として「自然を見てきれいだと感じる」という機能が備わっているのではないかと。それこそ、赤ちゃんを見てかわいいと感じる、ということと同じで、戦争が起ころうとも、一方では自然を守りたいという本能が働いて、地球をちゃんと残そうとするのではないか。だったら、ふだんから自然をもっと感じられるようにしたいですよね。たとえば料理屋さんなどでは滞在時間も短いし、食事をしながらですと、ただ落ち着いた土壁では、ぱっと見てすぐにそう感じてもらうのは少し難しい。そこに形を加えることで、「あ、風にも見える、波にも見える」というようなことが、ほんの少しでも感じていただけたらいいなと思って、左官職人の仕事としては少々オーバーかもしれないのですが、やっています……というのが、左官の話です(笑)。

 

 

振り子のようなバランス感覚

 

藤田 久住さんは、淡路島にある小学校の壁も塗られていますよね。子どもたちがボールを投げて当てたりしているっていう話を聞いて、すごいなと。僕らは漆喰でも土壁でも、大事にしなければならないっていう固定観念があるので。

 

久住 よくご存知ですね。そこは廃校をアーティストが自分たちで直して使っているところ(ノマド村)で、自分たちで塗ったから、ボロボロ落ちてもまた自分たちで直せばいいと思っているんじゃないかな。

 

藤田 そういうのがすごくいいなあって。

 

久住 左官というのは、土や砂、藁、竹、など、材料が生のものですよね。それを人が水で練って作るだけなんですよ。化学反応を起こさずに作っているので、もう、すごく原始的。なのに、突き詰めすぎると、人から遠ざかって、触ってはいけない、と、人をはねのけてしまいます。日本の伝統的な仕事はどれも素晴らしいのですが、あまり詰めすぎると、人をはじいてしまう。僕らもお茶室などは土壁であってもシャキッとするような気持ちで作ったりしますので、その頃合いが難しいですね。

 

道具を見せていただく。コテだけで1000種類以上もあり、そのうちの30種類ほどを現場に持ち込むという。
道具の中には、こんなに小さなものも。この道具にしかできない役割がちゃんとあるのだそう。

 

藤田 千 利休が作った茶室「待庵」は、「壁に藁を入れるように」という指示がわざわざ出されていたそうです。当時は壁を洗練させて、藁を見せないようにしたり漆喰を使っていたのを、利休が土や藁の感じを敢えて出せ、とやって、一回元に戻すような形で空間を作ったのだろうと思います。そう思うと、人間は、振り子のように、自然のものと人工のもの、古い技術と新しい技術の間を行ったり来たりしているのではないかと思います。そういうなかで、新しい美術館をどう作っていくのか。「旧美術館で使っていた古い蔵の扉を付けたい」とか「野原のような空間を作りたい」と考えたときに、周りの素材はコンクリートでもないし、鉄でもない。そういう意味で、今回は本当にいい方に壁を塗ってもらえるなと思っています。もうどんどんプレッシャーかけようと思って(笑)。

 

久住 うわあ(笑)。あの大きな壁は難しい。職人泣かせやわ。精密さだけがいいわけではないですものね。でも、間を取ってそれなりにしたのでは、きれいなものにはならない。技術がもちろんあって、さらに思いがどれだけ強いか。関わる人全員が噛み合わないといいものはできないし、見る人とも噛み合わないと、きれいに見えない。それらが全部噛み合うと、「これ最高やな」ってなると思うんですが。

 

藤田 楽しみにしています。その前に、卵かけご飯ですね。

 

久住 それで壁が変わるかもわからない(笑)。

 

藤田 壮大なお遊びみたいですよね。100年後にその壁を見る人は、久住さんや藤田美術館の名前はわかるかもしれないけれど、まさか「卵かけご飯」の話をしながら出来上がったとは思わない(笑)。それを未来の人たちに想像してもらうのが面白いですね。そうそう、美術館の建設に携わってくださった方々全員のお名前を銘板にして残そうと考えています。全部で700人くらいになるようなのですが。

 

久住 そんなにいるんですか! でもそれは、うちの職人たちも本当に喜びます。

 

藤田 建物に名前を残させてもらう方々に、将来、「これを建てたんだ」と誇りに思ってもらえるような美術館にしていきたいと思います。

 

 

 

久住有生(くすみ なおき)

1972年、兵庫県淡路島生まれ。祖父の代から続く左官の家に生まれ、3歳で初めて鏝(こて)を握る。高校3年生の夏に、「世界を観てこい」という父の勧めで渡欧したスペインにて、アントニ・ガウディの建築を目の当たりにし、その存在感に圧倒され開眼、左官職人を目指す。日本に戻り、左官技術を学ぶべく18歳からさまざまな親方の許で、本格的な修行を始める。

1995年、23歳の時に独立し「久住有生左官」を設立。

重要文化財などの歴史的価値の高い建築物の修復ができる左官職人として、国内だけにとどまらず、海外からのオファーも多く、経験を積んできた。伝統建築物の修復・復元作業だけではなく、商業施設や教育関連施設、個人邸の内装や外装を手がけることも多い。

現場では企画段階から参加することが多く、デザイン提案なども積極的に行っており、伝統的な左官技術とオリジナティ溢れるアイデアが、国内外での大きな評価につながっている。また、どの現場でもその土地の暮らしや自然を意識しながら、土や材料を選び、ときには地元の暮らしの調査をしてから工事に入るなど、それぞれの風土も大切にしている。

通常の仕事の他にも、日本の左官技術を広く伝えるべく、ワークショップや講演会を積極的に国内外で開催している。

 

藤田清(ふじたきよし)

1978年藤田傳三郎から数えて5代目にあたる藤田家五男として神戸に生まれる。大学卒業後、2002年に藤田美術館へ。2013年に館長に就任。現在は、2022年の美術館リニューアルに向けて準備中。

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